特殊捜査班ミルフィーユ!
<1>
海水浴場は活気に満ちていた。九月半ばの土曜日はまだ残暑が厳しい折りで。子供の歓声があちこちから聞こえてくる。
「このあたりか?」
「おぅ。剣太郎の話がビンゴなら、この辺のはずだ。」
葵たちの捜査班も全てをミルフィーユに任せて安穏としていたわけではない。先日のミルフィーユとの直接対決時に桜井が撮影したD&Bの写真を手に、地元警察の強みを活かして、怪傑B&Dの情報収集に全力を挙げていた。市民に人気のあるD&Bであるし、悪賢いことも分かっている。あまり表だった聞き込みなどをすれば逃げられてしまうかもしれない。ミルフィーユに迷惑を掛けるような事態だけは避けなくては……。そんな危惧を抱きながらも、懸命な捜査を続け、葵らは数日前に決定的な情報を手に入れた。D&Bは六角海岸のあたりにいる。
その連絡を受けて、黒羽と桔平は週末六角海岸に飛んだ。一本取られたままで終わってなるものか!そんな思いが彼らを駆り立てていた。
「この辺でサンマは捕れるのか?」
「や……橘サン。サンマは沖合漁業だからよ?で、ここは海水浴場であって、漁港じゃないからよ?」
「……じゃあ、あのサンマはこの辺のサンマじゃないわけだな?」
「まぁ、昔から良く言うだろ?サンマは目黒に限るって。」海は青く、空は高く、じりじりと陽射しが照りつける砂浜。背広を腕にかけYシャツの袖をまくり上げた黒羽は、手の甲で汗をぬぐった。
「しっかしずいぶんにぎやかだなぁ。」
「交通の便が良いからな。」
六角は人口の多い町ではない。だが近隣の町の身近な観光地として、人気のある海水浴場であった。「とりあえず飯食うか。」
「……そうだな。」
早朝に東京を発って、六角海岸に到着したのは昼前。二人は本格的な捜査を始める前に腹ごしらえをすることにした。
「やっぱ夏の海で飯食うなら海の家だろ?」
「……そういうものか?」
「おぅ。海のことならバネさんに任せておけって。」
広くはない六角海岸にたった一軒だけの海の家の軒先のテーブルに空席を見つけ、腰を下ろす。
「この辺、叔母の家があってさ。小さい頃、一度だけ来たことあるんだよな。」
水平線に目を向けて、黒羽がふとつぶやく。
「お前に小さい頃があったとは想像しにくいな。」
桔平の言葉に黒羽は吹き出して。
「かわいかったんだぜ?」そのとき。
「ご注文は?」
海の家の従業員が声を掛ける。
「えっと、焼きそば……って、てめぇ!ダビデっ!!」
黒羽は目を見開き、勢いよく立ち上がった。そこにはTシャツに短パン姿の天根が、何食わぬ顔で立っている。そして。
「違う。俺は海の家の素敵なお兄さんだ。ところで、お客さん。素敵なステーキはいかが……?ぷぷ!」
相変わらずの謎のダジャレをぶちかまし、黒羽に回し蹴りを食らった。
「このダビデがっ!!海の家でステーキ食うやつがいるか!!」「黒羽。まあ落ち着け。こいつは海の家の素敵なお兄さんだそうだ。」
目配せをしながら黒羽を制する桔平。一瞬桔平と天根を見比べてから、黒羽はおとなしく座り直した。今、ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。天根がのこのこ姿を見せたのは、それなりの算段があってのことだろう。
だとすれば。
D&Bは六角海岸にいる、という情報だって、こいつらが故意につかませたネタだったのかもしれない。注意深く動くに越したことはない。「で、焼きそば二人分でいい?」
「……おぅ。」
「頼む。」
「まいど。」
天根はとことこと店の奥に戻っていく。
「……海の家、むちゃくちゃ違和感ないな。あいつ。」
その背を見送って、黒羽がしみじみつぶやくと、桔平も深くうなずいた。店は繁盛しているらしい。所狭しと並べられたテーブルに椅子。客は入れ替わり立ち替わりやってくる。
「以前、来たときもこんな感じだったのか?」
辺りを見回す黒羽に、桔平が尋ねれば。
「……うーん。来たのは春だったしな〜。こんなににぎやかじゃなかった気がする。それに俺が遊んだのは、もうちょっとあっち側の岩場だったんだ。川の河口んとこな。」
黒羽が指を指す先。
数百メートル離れた岩場には人影もない。
「あそこな、カニとか魚とか貝とか、すんげぇいろいろいてさ。地元のガキと変な爺さんと俺の四人で遊んだんだよ。」
「変な爺さん?」
「ああ。よぼよぼでな、オジイっての。」
「その子たちのおじいさんだったのか?」
「……いや。というか……変な話だけどよ。俺を迎えに来たお袋にはオジイは見えなかったって言うんだ。子供三人で遊んでいるように見えたって。」
「……見えなかった?」
「その話、叔父貴にしたらさ。それは子供にしか見えない妖怪、磯オジイなんだって。子供好きで優しい妖怪なんだと。」岩場に目をやったまま、黒羽は記憶の糸をたどりつつゆっくりと語る。自分でも半信半疑なのだろう。少し照れたような笑みを口元に浮かべて。
「……なんだ。黒羽さん、あのときのコト、覚えてたんだ?」
低い声。
驚いて振り返れば、気配もなく一人の青年が立っていて。
「……伊武?!」
「……焼きそば二人分、おまちどう。」
せりふを棒読みするような口調で、伊武は二人分の焼きそばをテーブルにがちゃりと置き。
「覚えていたって……どういう意味だ?」
「焼きそば……残さず食べてくださいね。天根が作ったからまずいだろうけど。」
問答無用で伊武は皿を二人の前に押しつけて。
「……いくらだ?」
「金はいらないです。覚えていたんだったら、それでいい。手間が省けたから……。」
くるりと背を向ける。
「オジイはもういないですけどね。」
聞こえるか聞こえないか、小さくそうぼやき残して。呆然と伊武の背を見送る黒羽。
「……伊武……海の家、似合わねぇのな……。」
日に焼けにくいらしい赤みがかった肌。サングラス。Tシャツに短パン姿なのは天根と変わらないのに、とうてい海の家のバイトには見えない。
「……恐ろしいほど似合わないものだな。」
桔平も驚いた様子で同意しながら、割り箸を割った。焼きそばは思ったほどにはまずくなかった。「あいつらが、俺たちをここに来るように仕組んだのはなぜか。」
焼きそばを平らげた黒羽が指先で箸を回して玩びながらつぶやく。
器用にキャベツを一かけつまみ上げたまま、桔平は。
「何か裏がありそうだな。……思えば、ケーキ屋のイチゴを入れ替えたときから、今に至るまで、全てあいつらの思うとおりにことが運んでいるのかもしれん。」
ゆっくりと言葉を選ぶ。桔平の皿に伸びる黒羽の箸を放置して。
「いずれ……あいつらはお前に用がある。そうだろう?」
桔平の低い声に、黒羽はくすねた焼きそばをぱくりと頬張り。
「だろうな。あのとき一緒に遊んだヒカルとシンジが……ダビデと伊武だったってわけだ。」
「……いつ気付いた?」
「……分からねぇ。確信持ったのは今だけど……あんまりびっくりしねぇな。」
黒羽は驚いたというよりもむしろ嬉しそうに、目を見開いて見せた。
そして桔平は思い出す。居酒屋で伊武と天根に出逢ったとき、黒羽が見せた表情を。あのとき、彼は明らかに何かを見つけた目をしていた。面白そうなヤツを見つけた喜びかと今まで桔平は誤解していたのだが、そうではなかったのかもしれない。たぶん黒羽は記憶の片隅でしっかり「理解」していたのだ。そこに懐かしい友達がいる、ということを。「……おい。俺の飯を食い尽くす気か?」
「なんだ?お前、まだ食うのか?」気が付けば黒羽は桔平の焼きそばを皿ごとくすねていた。桔平は大きく溜息をつくと、最後の一口を飲み込んだ黒羽の頭を軽く小突き、立ち上がる。
「岩場の方、行ってみるか。」
「おぅ。オジイがいなくなったってのも……気になるしな。」
海の家の奥を覗き込んでも、伊武も天根も見えない。これから彼らを捜すのはムダだろう。それに……桔平は今でも確信していた。彼らが悪人などではない、ということを。間違いなく黒羽もそう考えている。店の奥を熱心に覗き込んでいる相棒にちらりと目をやってから、桔平はゆっくりと歩き出した。
波打ち際を歩いて数百メートル先。岩場は閑散としていた。
低い松の木が並び、ごつごつとした岩に波が当たる。
「こんなに狭かったかなぁ。」
「お前が大きくなったんだろう。」
きょろきょろと辺りを見回して声を上げる黒羽。
ひときわ大きい岩にひょいひょいと登って海面を見下ろして。「……。」
首をかしげる。
軽くジャンプして隣の岩に移る。引き潮のときに取り残された海水が水たまりのように岩の合間に残っている。「……。」
「どうした?」
「……いや。」
桔平の元へ戻ってきた黒羽は、柄にもなく寂しい目をして。
「……魚も貝もカニも、何もいなくなっちまった。伊武の言うとおり、オジイももうここにいないのかもしれねぇな。」
吐き捨てるようにそう言ったまま、黙り込んだ。