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「ここからモノ盗ってこうとすると、結構手段は限られるな。」
 物思いにふける橘の隣りで、黒羽が窓に額を貼り付ける。
「下の階から上がってくるか、屋上から降りてくるか、窓から突入か。屋上経由なら、ヘリだな。」
 指定された場所は26階。それほど広いビルでもない。
「北西のビルから乗り移るって線も消えないがな。あるいは、南か東の窓から、ヘリコプター経由で突入という手もあるかもしれん。」
 だが、大量の警官を配備して、彼らの襲撃に備えるわけにもいかない。現実問題として、予算が無限にあるわけではないし、あえてミルフィーユに挑んできた彼らを、正面から迎え撃ってみたいという、得体の知れない衝動が二人を突き動かしているのも事実であった。
「屋上は、ヘリポートなどない上に貯水槽があるから、ヘリを降ろすのは物理的にムリだろうな。」
「ああ。そうすると、縄ばしごとかで降りてくるのか!それ、ドラマみてぇだな!」
 本当は開けてはならないコトになっている26階の窓を全開にして、黒羽は新しいラジコンの話をする少年か何かのように、笑った。
 もしかしてこのオトコには危機感というモノがないのか、とときおり橘は不安になる。しかしその不安はむしろ甘えに近い感情で。何事にも動じないこのしたたかで大らかなオトコが相方で居てくれるからこそ、これだけの難事件にも平常心で挑めるのかもしれない。橘はそう考えている。

 彼らの「執務室」は、表向きには会計士の事務所であって。
 森や桜井ら数名の事務方が、あたかもそこが会計事務所であるかのように、日々、それらしく振る舞ってくれている。
 だが、それはあくまで世を忍ぶ仮の姿。ミルフィーユが動くときには、彼らは陰になり日向になり、ミルフィーユを支える戦力なのである。

 もちろん、今回もその例外ではない。迫り来る襲来の時刻を睨みながら、彼らもまたD&Bへの対応に追われていた。
「ところで1本って、何だろう。」
「あんまり高価なモノってねぇからな。この部屋。」
 森と内村が執務室を見回して、首をひねる。

「今夜、26階で頂戴します。とりあえず1本だけでいいや。怪傑D&B」
 犯行予告には確かにそう書いてあった。それを信じるのなら、この階で何かを盗んでいくつもりなのだろう。しかも、1本だけ。
「盗まれて困るモノならいっぱいありますけど。盗みたくなるモノって、あるかなぁ。」
 言いながら、森はパソコン関連の配線を引っ張った。いつの間にかごちゃごちゃと絡まっているそれに、橘は少し眉を寄せる。
「これとか、1本でも盗まれちゃったら、どうしようもなく困りますけどね。盗んだ側からしたら、こんなの、ただの電気コードですからね。」
 彼らの侵入ルートは限られている。しかし狙いが分からない。
「ま、何を盗むつもりかなんて、関係ねぇよ。来たトコを捕まえるだけだ。」
 大きな事務用テーブルにどっかと腰を下ろして、黒羽はにっと笑う。
「それ以外に手はないな。今は侵入の対策を講じるのが先決だろう。」
 橘も同意する。そして、今度時間ができたら、パソコンの配線の整理をしてやろう、と心に誓った。絶対、あれはもう少し何とかできるはずだ。絶対。


『こちら、石田。ビル1階の配備完了です。正面玄関、通用門、全て封鎖しました。どうぞ。』
 無線を通じて、石田の声が届いた。特有のがさがさとした響きを超えて、緊張感が伝わってくる。
『こちら、橘。了解した。どうぞ。』
 それに応える橘の声。雑音が混ざって聞き取りにくくはなっているが、やはり橘の声には間違いなく。
『こちら、神尾。北西のビル、玄関及び25階から上の階、配備オッケイです。どうぞ。』
『神尾。そちらから26階の窓は見えるか?どうぞ。』 
『西側と北側の窓がほぼ全面、見えます。どうぞ。』
 各方面から次々と連絡が入る。おそらくは部下を総動員して、怪傑D&Bの襲撃に備えているのだろう。

「……ついに動いたな。ミルフィーユ。」
 低く呟いたのは、伊武。
「うぃ。やっとあの日の借りを返せる。」
 もぞもぞと髪を結い上げながら、天根が応じた。それに微かに頷いて、小さな机に置いた無線機を、黒い手袋の手のひらでそっと撫で、伊武は立ち上がる。

「もう行くの?」
「まだ早い。日が沈んでから動けば十分だ。」
 時計の針はまだ5時過ぎを指している。まだ早い。早すぎる。
 家財道具などほとんどない、殺風景な部屋の中。
「十分もあれば十分だ……ぷぷ!」
「……寒い。」
「寒いときには、ストップ・ザ・ストーブ!ぷぷぷ。」
「お前。ダジャレとして意味分からない上に、寒いときにストーブ消したら、ますます寒くなるだろ。もう少し頭使えよ。少しくらい、脳みそ入ってるんだろ?お前の頭だって。」
「うぃ。たぶん。」
 生活感の感じられない無機質な空間で、二人は、まるきり場にそぐわない会話を続けていた。それが彼らの日常であるかのように。

「だいたい、なんで犯行声明に、毎回、あんな下らないコトを書かせるわけ?いちいち書く俺の身にもなってみろよ。今回の犯行声明だって、なんだ。これは。」
「……だって。D&Bが俺達だってコト、バネさんたちに気付いてもらわなきゃ……。」
「……それはそうだけど、下らないにも程があるだろ。だいたい、いつだってお前はそうなんだよ。普段はしゃべらないくせに、しょうもないコトだけはいくらでも思いついて……。」

 ほとんど陽の光の入らないビルの一室。天根がダジャレを言っては、伊武が延々とぼやく。そんな低いぼそぼそという声しか聞こえない部屋に。
 無機質な音が、かさり、かさりと無線機からこぼれ落ちる。
 警察の連絡用無線周波数を割り出して傍受するくらい、朝飯前。配備を事前に掴んでしまえば、潜入するのに、何の障碍にもなりはしない。
 残念だったな。ミルフィーユ。こっそりやっているつもりの仕込みは、全部お見通しだよ。どんなに準備したところでムダ。あの日、見逃したことを後悔させてやる。そして。

 伊武は、薄汚れたカーテンの隙間から、空を見た。
 そのとき。

 がさ、とひときわ大きな音がして。
 二人は同時に音のする方を振り返る。
 ……なんだ。無線機の雑音か。

『こちら、黒羽。』
 先ほどまで、無線対応していたのはもっぱら橘だった。黒羽の声に、天根がぴくりと反応する。
『あー。こちら、黒羽。聞こえてんのかな。』
 誰に呼びかけているのか。黒羽は少し間をおいて。
 それから。

『お前らが来るのを待っている。聞いてんだろ?配備は、今話していた通りだ。26階には俺ら二人しかいない。』
 黒羽の声に。
『繰り返す。お前らが来るのを待っている。約束通り、後悔させてみろ?』
 天根が目を見開いた。そして伊武を見る。伊武は大きく息を吐き。

「そんなにせかさなくても、分かってますよ。黒羽さん。」
 呟きながら、胸ポケットからサングラスを取り出した。
「行くぞ。天根。」
「うぃ!」

 そっちがその気なら。
 もちろん、その方がやりがいがある。
 夜の訪れまで、あと少し。




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