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バババババババッ!
夜の闇を超えて、激しい音が26階の窓ガラスを震わせる。
「来たか!橘!」
予想通りというべきか。
爆音を立てて、ヘリコプターがビルに近づいてくる。屋上と地上、隣接するビルとに待機させていた部下たちの手によって、次々と強烈な照明の光が投げかけられ、ヘリの姿が夜の闇に白々と浮かび上がった。乗員はおそらく二人。彼らに間違いないだろう。
ヘリの高度は、およそ26階の窓に等しく、そのままビルに激突したら、夜とはいえ、人のまだ残るオフィスビル街にヘリコプターが墜落する大惨事になる。とにかく、ヘリから建物に人が乗り移れる程に近づくコトは、ほぼ不可能。では、もしかして、あのヘリは陽動で、実働部隊は別にいるのか?
橘は視線を廻らせる。他からの侵入の可能性は……。
そして。
「おい!黒羽!」
ヘリコプターに向かって、26階の窓を全開にし、身を乗り出す相方の姿を目撃する。
「ちょっと待て!!ヘリに乗り移る気か!!」
ヘリからビルに飛び移るのだって危険すぎるくらいなのに、逆をやろうとしているのか。この馬鹿は。
襟首を掴まえて窓から引きずり戻してやろうかとさえ考えた橘に。
「さすがにそこまではしねぇよ。」
苦笑しながら黒羽は振り返り。
「元気そうじゃねぇか。伊武も……ダビデも。」
ヘリコプターはゆっくりとビルに近づいてくる。
操縦桿を握るシルエットは、天根のもの。そして、ヘリの扉が開け放され、伊武が26階の窓を睨み付けるように、姿を見せた。
「確かに……元気そうだな。」
十年近い月日が過ぎているはずなのに、なんだかあの晩が昨日のことのように思い出されて。
「さぁ。どうする?」
ヘリの強風に煽られ、黒羽の背広の裾がばさりとはためく。まくり上げた袖。二つも外されたYシャツのボタン。いつでも走り出せそうな目で、黒羽はヘリを見上げる。
そのとき、伊武が指先で天根に合図をした。黒ずくめの衣裳に、黒のサングラス。風対策だろうか、黒髪は後ろで無造作にまとめてある。そんな夜の闇に紛れそうな伊武の手に、天根が何かを渡す。
銀色に鋭く光るその何かが。
伊武の手を離れ。
ひゅん!
という音とともに矢のように飛ぶ。
黒羽に向かって。
「黒羽!」
間一髪でそれを避けた黒羽は、強風に目を細めつつヘリを振り返る。ヘリまでの距離は、ほんのわずか。お互いに手を伸ばせば届くのではないか、と錯覚しそうになるほどの距離で。
黒羽がヘリを監視しているコトを確認し、橘は伊武の投げた銀色に目を向けた。幸い、黒羽に当たらずに、執務室の床に鈍い音を立てて落下したそれ。
ナイフか……さもなければ。
「これは……!」
ゆらり、と、ヘリが接近を止める。
「……秋刀魚?!」
「秋刀魚だぁ?!」
橘の叫びに、黒羽が思わず振り返る。伊武が勢いよく投げ込んだモノ。それは、見事なまでに太った秋刀魚で。
びったんびったんと、執務室の床で跳ねている。
橘が秋刀魚を拾い上げたのを見届けて。
一瞬、伊武が軽く会釈をしたように見えた。
「秋刀魚だけに、お疲れさんまです。お二人に免じて、今日のところはこの辺で。これで獲物を見逃したのはお互い様になりました。次からは遠慮はなしです。 PS 初物の秋刀魚です。新鮮です。塩焼きにして食べてください……だと。」
「……おい……!」
ヘリコプターの激しい風を超えて、確実に犯行声明を投げ込むためには、何か重量のあるモノにくくりつける必要がある。それは理解できる。しかし、だからと言って、秋刀魚のシッポに結びつける必要があったのだろうか。
橘の錯綜した思考の中に、ふと、伊武の声が蘇る。
「橘さん、魚好きなんですか?」
バババババババッ!
遠のいていくヘリコプターの轟音。
そして。
彼らを乗せた機体は、夜の闇に溶けて消えた。
秋刀魚を掴んで立ちつくす橘。ヘリの消えた闇を凝視したまま動けない黒羽。時が止まったような静寂が執務室を支配する。
何のためにやつらは犯行予告までして。何のために特殊捜査班をおびき寄せて。こんな特別配備まで敷かせて。しかも、この犯行声明。まるで最初から何も盗らないで帰るつもりだったかのような……。
何が狙いだったんだ。何が……。
一分くらい、経ったころだろうか。
「……黒羽……。」
呆然と、橘が口を開く。
「……もしかして……俺達は……。」
「あー?」
橘を振り返る黒羽。闇を見据えていた目には、執務室の蛍光灯が眩しい。
「もしかして俺達は……やつらにまんまと1本盗られた、のか?」
「……!!」
黒羽は、闇に消えたヘリコプターに目をやり。
そして、もう一度、橘に目を向けて。
ゆっくりと思い出す。犯行予告の文句を。
「今夜、26階で頂戴します。とりあえず1本だけでいいや。怪傑D&B」
それから。
黒羽は、再度、窓の向こうを振り返り。
「被害届書けねぇもん、盗ってくんじゃねぇ!!!」
黒羽のツッコミにも似た叫びが、ヘリの消えた闇の奥に響き渡ったのであった。
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