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 十二月の美術館は寒い。昼間は暖房も付いているが、夜の張り込みに暖房を付けてもらうわけにもいかない。だから当然寒い。
「……平気?」
 アメリカの現代芸術なんか正直に言ってよく分からない。だが、変なレイアウトの美術館の中には、死角となる空間がたくさんあって、張り込みにはもってこいであった。 
 奇妙な彫刻の後ろに隠れて、早30分。天根は冷えた指先にふぅっと息を吹きかける。その隣で伊武は全く身動きをしない。
 寒くないのかな?
 「平気?」ともう一度尋ねかけたとき、やっと低い声で返事があった。
「……慣れている。」
「……そう?」
「お前のダジャレの寒さに比べたら、これくらい何でもない。」
「……そう?」
 伊武としては嫌みのつもりだったに違いない。だが、天根は嬉しそうにぱちぱちと瞬きをした。
「あのね……焼き芋、あるよ?」
 ごそごそと懐を探る天根。
「……焼き芋?」
 信じられないと言った表情の伊武に、天根は嬉々として説明する。
「うぃ。赤澤さんが……寒い日の張り込みには焼き芋が良いって。持ってるだけで温かいし、おいしいし。」
「……。」
「だって、焼きもろこしとか焼きウニだとすぐ冷めちゃうし。」
「……。」
「漬け物とかスーパーデラックスイチゴパフェは温かくないし。」
「……。」
「あ、あのね?」
「……もう良い。」
 そう言いながら、手を出す伊武に。
「うぃ!」
 天根はそそくさと古新聞に包まれた焼き芋を差し出した。
 夜の美術館は深々と冷えてゆく。

 日付が変わるころ。
 闇に目が慣れてきた二人は、ふと人の気配を感じて。
「……!」
 天根の視線に伊武は小さく頷く。 
「おっと。D&Bのお二人さん。一ヶ月ぶりだな。」
 薄闇の中、ミルフィーユはD&Bに気づいても隠れる様子もなく。
「出て来いよ。」
 不敵に挑発する。
「……。」
 伊武が黙って立ち上がる。天根も伊武をかばうように斜め前に立つ。
「お前たちは俺たちには敵わない。この前、思い知ったはずだが?」
 からかうような桔平の声に、伊武はぐっと言葉を失う。
 確かにそうだ。肉弾戦では敵わない。彼らの侵入先を予見しただけでは意味がない。
 だが……。
「今日は盗ませない。奪わせない。」
 天根がはっきりと言い切って。
「ミルフィーユ……あなたたちはこの前『何を探しているのかを探している』と言った。」
 伊武の視線に、黙って桔平が続きを促す。
「あなたたちの本当の目的はたぶん……美術館への侵入ルートとターゲットの確認。美術品狙いの窃盗団と渡り合うために……。そいつらが使いそうな侵入ルートを調べている。そいつらのターゲットとルートをあなたたちが調べていることが明らかなら……窃盗団だってそう易々とは動けない。……違いますか?」
 伊武が淡々と言葉を紡ぐ。
 桔平がちらりと黒羽に目をやって。
 にぃっと笑う黒羽。
「じゃあ、俺たちは正義の味方ってコトになるのか?」
 正義の味方、とまでは言えないかもしれない。だが……。
 何と答えるべきか。
 戸惑う伊武に、黒羽は下手なウィンクを送って寄越し。
「ま。いいさ。ゆっくり考えな。」
 そう言うやいなや、ミルフィーユは身を翻して走り出す。
「逃げるのか!」
 黒ずくめの二人の巨漢が軽やかに駆けてゆくその後ろ姿を、伊武たちは反射的に追い始める。理由は分からない。だが、話の途中で逃げられてはたまらない。
 今回が最後のチャンス。そう。本当に最後のチャンスなんだから。

 三つほど展示室を駆け抜けると、突き当たりの非常口が開いていた。警報は鳴りださない。警報システムをどこかで遮断しているのかもしれない。だが、警報システムは後回しで良い。とにかく今は追いついて、そして……。
 非常口を出ると、美術館の裏手に出た。そこは付属施設である回遊式の和風庭園で、片隅にこぎれいな茶室が建っている。
 一瞬、茶室に灯りがともり、二人の人影が障子に映り、ぱっと消えて。
「……これは罠だわな?」
「……こんなときにまでダジャレ言っているのは本当にお前の神経を疑うね。だいたい、なんでそんな意味のないコト聞くんだ。普通に考えれば罠だということくらい幼稚園児でも分かるだろう?」
「うぃ。でも……。」
「ああ。でも追うしかない。」
 罠でもかまわない。とにかくここで見失って終わるのは嫌だ。
 二人は茶室に向かって駆け出した。





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