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ラストチャンスだということはよく分かっていた。
本来なら、南に逆らって捜査を続けるコトなんて許されない。
だが、捜査を続けると言い張った二人に、南はそれ以上何も言わなかった。
あの南が唐突に捜査の打ち切りを指示してきたのだから、理由がないはずがない。それでも継続捜査を見逃してくれているのは、彼一流の温情に違いなかった。
本来なら許されない捜査。
これがラストチャンス。
分かっているからこそ、伊武も天根も慎重になる。
「伊武くん、今日も捜査ですか?そうさ!……ぷぷっ!」
「……何一人会話してるわけ?お前、頭大丈夫か?だいたい、俺たちの仕事は何だ?事件の捜査以外に何をやるってるんだ。全くお前のおめでたすぎる頭にはほとほと呆れるね。」
二人は慎重に真剣に、過去の事件を洗い直し、次の事件に備えた。
そう。
次の新月の夜がラストチャンス。
「黒羽さん、また会おうって言ってた。」
「……。」
彼らの机のある部屋のカレンダーには、天根の字でしっかりと月齢が書き込まれていて。月齢0の日には、大きな赤い○が付いている。
「……おい。」
カレンダーの前に座って何かを真剣に考えていた天根に、伊武が声を掛ける。その声を聞くやいなや。
しゃー!!
軽やかな音とともにキャスター椅子ごと、天根が飛んできた。
「何?」
伊武は黙ってパソコンのモニター画面を指さす。
「今月の……美術展。」
「どこに張り込む?」
いつだって伊武は天根に判断させる。天根の判断は、常に直観的であったが、伊武はいつも根拠も問わずにそれを信じた。
「深司はいつでも俺を信じてくれる……。」
「……?」
「今の、ダジャレね。」
「……ばかじゃないの?お前。少しくらいまともなコト言えないわけ?だいたい、人の名前をダジャレに使おうっていうのが許せないね。その魂胆が腐っている。普通に考えて失礼だろう?」
「うぃ。ごめんなさい。」
伊武の厳しい視線にもめげず、モニターに目をやった天根は、上から下まで見回してからゆっくりと指を伸ばす。
「……これ、かな?」
「○○美術館……か。」
いつも通り、伊武は疑う様子もなくそのままメモを取る。
「うぃ。ミルフィーユは同じトコには行かない。今月はこの美術館以外、初めてのトコ、ない。」
「……。」
伊武は少し驚いたように天根を見た。
「……お前、少しは脳みそあったんだな。」
小さくつぶやく伊武に、天根は褒められたのが嬉しくて仕方がないように笑った。
もっとも、ミルフィーユが同じところに行かないかどうか、などということは、何十件もあるわけでない事例から判断できるコトでもない。そう判断したのはやはり天根の直観である。そしてやはり伊武は天根の直観を信じた。
新月の晩まで、あと三日。
「ご機嫌だな。橘サン。杏からメールが来てたのか?」
アパートの一室。ノートパソコンに向き合っていた桔平に、風呂上がりの黒羽が声を掛ける。
「いや……大石からだ。」
「大石、ね。」
洗ったばかりの髪をがしがしと拭きながら、黒羽はテレビを付けた。
5分枠のニュース番組。真剣にニュースを読み上げるアナウンサーの声。
「何て書いてあるんだ?」
「……D&Bは○○美術館で張り込みをする予定、お手柔らかに頼む、だそうだ。」
短期貸しのワンルーム同然の小さなアパートであっても、半年以上住んでいれば自分の家のような気がしてくる。髪を拭いたバスタオルをそのままベッドに投げ込む。
「ビンゴ、ってトコかな。」
黒羽の言葉に桔平はぱたりとノートパソコンを閉じた。
「そうだな。お手並み拝見といくか。」
「おう。お互いに最後のチャンスだ。」
テーブルの上にはフランス行きの航空券が2枚。
桔平は立ち上がり、備え付けの冷蔵庫から缶ビールを2本取り出した。
「おい。千葉県民。つまみはピーナッツでいいか?」
「千葉をなめんなよ?豚骨で煮込むぞ?てめぇ。」
からから笑いながら、黒羽はがさりとピーナッツの袋を開ける。
テレビからはいつの間にか美術番組が流れ始めていた。
軽く乾杯のまねごとなどをして。
黒羽が半分も飲まないうちに、空き缶を残し桔平は歯を磨きに立つ。
「悪いが先に休ませてもらうぞ。」
「子守歌でも歌ってやろうか?」
ブラウン管に映る天使の絵画を横目に、にっと笑う黒羽。
「……俺を寝かせないつもりか。」
ベッドの横に置いてあった美術雑誌をパラパラとめくりながら、桔平があくびをする。
新月の晩まで、あと一日。