怪盗ミルフィーユ!



<1>

 D&Bから提出された報告書に目を通しながら、南はコーヒーカップに口を付ける。深夜に張り込み捜査、翌朝には報告書。秘密兵器と呼ばれ続け、永遠に秘密にしておきたいとさえ思われているD&Bだが、実は結構な働き者である。ただ働き方が微妙なだけなのだ。南はふぁとあくびをかみ殺し、報告書のページをめくってゆく。
 ……ふぅん。ミルフィーユに会ったのか。あいつらもなかなかやるじゃないか。
 報告書の文字列を目で追いながら、コーヒーカップへと伸ばした手がふと止まる。
 ……!?
 がたりと椅子を蹴るように立ち上がると、南は部下たちの席に目をやった。
「伊武!天根!ちょっと来い!」
 びっくりしたように南に目を向ける天根と、黙って立ち上がる伊武。それを確認して、南は誰もいない会議室へと歩き出す。

 会議室の扉をきっちりと閉め振り返ると、事情が飲み込めていないらしい二人の部下が、いぶかしげに南を見つめていた。
 ばさり、と机に読みかけの報告書を広げ、南はもう一度その文面に視線を走らせて。それからゆっくりと顔を上げて尋ねる。
「その二人組は……確かに黒羽と橘と名乗ったんだな?」
 深く頷く伊武と天根。
「二人ともかなりの長身で、橘の額にはほくろがある。違うか?」
 天根が猛烈な勢いで瞬きをした。
「うぃ。なんでそれを……?」
 小さくため息をついて、天根の問いかけに答えず、南は報告書を一束にまとめ直す。
「……やっぱり。」
 呟きながら頭をかき、そして。
「こんなトコまで呼び出して悪かったな。戻って良いぞ。」
 南の言葉にD&Bの二人は困惑したように視線を見交わした。

 二人が再び会議室に呼び出されたのは、その日の夕方のことであった。
「何度も悪いな。」
 南に視線で適当に座るようにと促され、パイプ椅子を引っ張り出して、二人は少し浅めに腰を下ろす。広い会議室の片隅に寄り集まっての密談に、座り心地が悪いのか、天根はもぞもぞと身じろぎをして、伊武に睨まれた。
「ミルフィーユの件だが……。」
 だいぶ迷った末にようやく口を開いた南であったが、またそこで言葉を切り、しばらく思案して。
「……悪いが、捜査は打ち切りだ。お前らには、明日から他の事件に回ってもらう。」
 そう告げた。
「……なぜです?」
 普段から能面のように無表情な伊武が、いっそう無表情になる。
「相手が悪すぎる。」
 視線を外したまま南が答えた。
 十一月。広い窓には夕焼けの色。
「なぜ?」
 たたみかけるように問うたのは天根で。
「……これ以上深入りするなというコトだ。」
 南の口からは答えになっていない答えがこぼれる。
「命令ですか?」
「そう考えてもらってかまわない。」
 数秒の沈黙。そして。
「……納得できません。」
 毅然とした伊武の声に天根も頷いて。
「もう一度だけで良い……やらせてください。」
 まっすぐに南の目を見据えた。
 険しい表情で二人の顔を交互に見やった南は、ふぅっと深いため息をついて。
「……俺は警告したからな。どうなっても知らねぇぞ。」
 諦めたように目を伏せた。

 会議室を出ても、南は自分の部署には戻らなかった。普段人気のないフロアの給湯室にそっと足を踏み入れる。
「どうだった?」
 南を給湯室で待ち受けていたのは大石。
「どうもこうも。」
 苦笑する南に、熱い煎茶を勧めながら。
「なるようにしかならないからね。」
 自分の湯飲みを手の中で回す。
 給湯室の壁はやけに白い。
「もしも橘たちがあいつらを狙っているのなら……あいつらには……荷が重すぎる。」
「そうかな。」
「良いよな。大石は楽観的で。」
「南が過保護すぎるんだと思うよ?あいつらだってそんな身の程知らずじゃない。やるというなら信頼してやって良いんじゃないか?それでも何かあったら俺たちがバックアップする。それで良いだろう?」
 煎茶に揺れる茶柱を静かに眺めていた南は、リラックスするように息を吐き。
「信頼はしてるんだ。あいつらは律儀すぎるくらいきちんと仕事をこなす。だからこそ……秘密兵器のままにしておいてやりたいんだよ。」
 呟くような南の声に大石は答えず、ただ小さく笑う。
 ことり、と湯飲みを流しのシンクに置いて、南は大石を振り返った。
「ところで……あの二人、なんでミルフィーユなんて名乗ってるんだろうな?」





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