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 ゴルフ場の跡地を警察が証拠物件として押さえて以降、半年にわたって怪傑D&Bはなりを潜めていた。それでも、葵や佐伯、樹、あるいはミルフィーユの部下たち、事情を知っている者数名が、暇を見ては六角に足を運び、小さな幼木がよく手入れされて元気に育っているのを確認し続けていた。
 あいつらは元気に過ごしている。
 たぶん、自分たちの判断は間違っていなかった。
 直接会って尋ねることはできないまでも、山の木々の様子を聞けば、なんとなく安堵する。黒羽と桔平の二人も、なんとか暇を捻出しては、六角に足を伸ばしていた。

 そして、とある月曜日のこと。
「昨日、行ってきましたよ。六角。」
 にこにこと神尾が報告する。
「家にあって邪魔だったから、チューリップの球根とか埋めて来ちゃいました。」
 そう言って照れくさそうに笑う神尾。
 邪魔だったも何も、神尾は園芸などに興味がある質ではない。あの山に植えるために、わざわざ買って行ったのだろう。
「お前の家の庭じゃないんだからな。」
 その気持ちを嬉しく思いながらも、一応、桔平が軽くたしなめてやれば。
「まぁ、良いんじゃねぇの?この前、サエと樹ちゃんも、うっかり腐葉土買いすぎたとかいって、ゴルフ場にぶちまけてきたらしいし。剣太郎も油かす拾ったけど邪魔だからあそこに捨てるとか言ってたしな。」
 からからと笑いながら、黒羽がフォローする。
 それにはもう桔平も苦笑するしかなく。

「そういえば、俺と内村で、この前、山行ったとき、持って行ったお弁当食べたんですけど、リンゴの種埋めてきちゃったんです。リンゴって生えますかね?」
「生えてくるかもしれないな。」
 そろそろ春も盛りのころだし、確かにあそこでお弁当を広げるのも楽しいかもしれない。桔平はそう考えながらも、森はともかく内村はハイキングでお弁当という展開が微妙に似合わないなと思った。

「ちなみに俺は梅干しの種埋めてきました。」
「梅干しが実ったら、俺にも分けてくれ。」
 森たちの隣りに真顔の内村と黒羽。冗談だろうと思うのだが、執務室の全員、冗談か本気か、怖くて確認できない。

 そのとき、執務室の電話が鳴った。石田が受話器に手を伸ばす。
「橘さん!本庁の手塚さんからお電話です。」
「つないでくれ。」

 黒羽の表情が変わる。本庁の手塚からの電話……。それはたいがい重大事件の捜査指示で。

「分かった。奈良だな。すぐに飛ぶ。」
 桔平の応対の声を聞きながら、黒羽は上着を手に立ち上がった。
 かちゃり、と受話器を置く桔平。一同は桔平に注目して指示を待つ。

「黒羽。あいつらが動いた。」
「あいつらって、D&Bか?!」
「そうだ。犯行予告が届いたらしい。『東大寺にて告白させて頂きます。怪傑D&B』だと。」

 ばさばさと必要最低限のモノだけ鞄に押し込むと、黒羽はあっという間に身支度を調えた。
「奈良か。ちょうど桜の季節だな。」
「……ああ。そうか。」
 桔平も机の上で荷物を造りながら、黒羽の言葉に相槌を打ち、そしてふと顔を上げる。
「……お前、この前さ、六角のゴルフ場んとこ歩きながら『奈良辺りでのんびり桜が見たい』とか言ったよな?橘サン。」
「……言った気がする。」
 二人はしばらく見つめ合い、森が俯いてくすくすと笑い出す。

「……まぁ、あっちはあっちで元気でやってるってコトだろ。」
「あいつらは……!」
 小さく舌打ちする桔平に、黒羽はにやにやと笑い、桜井や神尾に留守中の指示を与えた。


 奈良は桜も六分咲きのころであった。
 京都で新幹線を降りて、ローカル線に乗り換えて。
「吉野の里の桜にはまだ早すぎる、か。」
「そうだな。その代わり東大寺も法隆寺も見頃だろうよ。」
 窓の外には白みがかった桜の木が幾度も過ぎる。
「……仕事さえなければ良い季節の旅行なんだがな。」
「ま、半日くらい花見して帰っても罰は当たらねぇんじゃないか?」
 昼すぎの電車から降り立つと、プラットホームには観光客ばかりで、背広姿の二人は少し浮いて見えた。

 東大寺にはすでに多くの捜査員が待機して、警戒態勢に入っており、観光客も一人ずつ門でボディチェックを受けることになっている。
「変な感じだな。」
「やむを得まい。凶悪犯ならばともかく、相手がD&Bでは、観光客を追い出すわけにはいかないからな。」
 観光客も心なしか少しそわそわして。ただ鹿だけがのどかにとことこと好き放題に歩き回り、観光客にせんべいをねだりまくっていた。

 一足早く現場入りしたらしき大石と南が陣頭指揮を執っているのが目に入る。大規模な捜査になるため、本庁から手塚が応援に送り込んでくれる話になっていた。手塚の腹心である視野の広い大石と、厳重な警備体制を敷かせたら日本で十番目くらいと呼び声の高い南。二人が東大寺の警備に加わってくれれば、鬼に金棒である。

「お。来たか。」
「久し振りだな。異常はないか?」
「今のところは何もないよ。」
 再会の握手を交わす間を惜しんで、ミルフィーユは二人から現状の報告を受けた。
「なるほど、人の出入りはぬかりなく押さえているわけだな。」
「そういう地味な仕事は任せろ。」
 桔平の問いに南が胸を張る。大石のズボンのポケットに鹿が鼻先を突っ込もうとして、大石を慌てさせた。

 そのとき。
「おいっ!!橘!!!」
 黒羽が通りすがりの鹿をがしっと捕まえて。
「見ろ!」
「どうした?」
 黒羽の声に振り返り、鹿に目をやる桔平。
 そして、驚愕に目を見開く。

 鹿の額には。

 WE LOVE SPRING WIND! WE LOVE DAIBUTSU! BY D&B

 という謎のフレーズが書き込まれたはちまきが結ばれ。
 周囲を見回せば、周り中の鹿が同じはちまきを巻いていて。

「何これ!かわいい!」
 観光客がそれに気付いてきゃいきゃいはしゃぎ出す。鹿は全く気にする様子もなく、そのままのたくたと観光客に突撃してゆく。

 鹿からはちまきを外した桔平が、苦笑を浮かべながら黒羽にそれを手渡した。
「手作りはちまきに、手書き文字だ。こんなもん、いくつ用意したんだ。あいつらは。」
 受け取った黒羽はしばらく声もなくそのはちまきを見つめ、そして思いっきり脱力して笑い出す。
「これって刑事事件として成立するのか?」
「まぁ、一応、脅迫罪は成立するんじゃないのか?」

 見る鹿、見る鹿、全てが「LOVE」を告白している。
 春風が好き。
 大仏が好き。
 それは一見、春爛漫の東大寺の観光キャンペーンのように見えたかもしれないが。

「あいつら、どうやって寺中の鹿にはちまき巻いたんだ?」
 はちまきを握りしめて、真顔で黒羽が問いかける。
「知るか。……とにかく、今はやつらを探すしかない。まだ境内にいるはずだ。」
「おう!」
 桔平はもう一匹、通りすがりの鹿を捕まえて、はちまきをほどき、そっとポケットに収めた。自分が大仏だというのは僭越な気がするが。まぁそれもレトリックのうち。仕方ない。
 D&Bに襲われ、ムリヤリはちまきを巻かれたらしき鹿たちは、それでものほほんと捜査員の合間を縫ってうろうろしている。
 さぁ、告白は受けて立った。今度はこっちがその気持ちに応える番だ。
 お前達が逃げ出すのが先か、こちらが尻尾を掴むのが先か?!
 はちまきを巻いた鹿はどれも同じ方向からやってきていた。
 二人は同時にそちらに向かって走り出す。

 だが、百メートルも行かないうちに。
「おい!橘!黒羽!こんなのがいたぞ!!」
 飛びきり大きな鹿を引っ張ってきた南に呼び止められる。
「ん?」
 そちらに駆け寄れば、その額にあてられたはちまきには。

「鹿だけに、しかと告白させていただきました。ありがとう。怪傑D&B」

 大きな文字が躍っていて。
「ありがとうって……なんだよ。」
 黒羽が小さく呟いて、ふぅっと息をつく。
 Dだけ筆跡が違うのは、たぶん、Dの方が自分の名前のところだけ書いたということだろう。
 たぶん、へたくそな字のDが天根。Bが伊武。
 全く。何がありがとう、だ。

「南、すまないがそれを証拠として押さえておいてくれ。」
「よし、分かった!って、鹿ごと確保か?!」
「いや……はちまきだけで良い。」

 桔平が南と話をしているうちに、黒羽はもう桜咲く東大寺の境内を走り出していた。
 あいつは本当に楽しそうに走るもんだな。
 訳もなく溢れる笑いを堪えながら、桔平もその背を追って走り出す。
 彼らの肩に、はらはらと奈良の桜が舞い落ちた。

 結局。
 D&Bがはちまきだけを残して、雲を霞と消えていたのは言うまでもない。

「せっかく来たんだし、一泊して夜桜見物と行こうぜ?」
 追い駆けっこのおかげで、すっかり暗くなった奈良の空を見上げながら、黒羽が笑えば。
 時計に目を落として。
「そうだな。」
 桔平も小さく笑って頷いた。
 空には低い上弦の月。





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