遠くで目覚まし時計の音が聞こえて。
ああ。起きなきゃ。
と浮上する意識の向こうで、誰かがアラームを切る。
そっか。今は合宿中だったっけ。
まだ昨日の疲れが残る重たい体をむりに目覚めさせて、ベッドにあぐらをかいて座る。
なんとも合宿地らしい狭い八人部屋は、朝から蒸し暑い。
適当にひかれたカーテンの隙間からは、今日もひどく照りそうな日差しが差し込んでいた。朝に強いはずの若が、生あくびをしつつ微妙に寝癖の付いた髪のまま、一気に窓を開ける。
うわぁ。すごい日差しだ。テニスは良いけど、暑いのはしんどい。せめて曇りだったら良かったのになぁ、などと。考えても仕方がないようなことを働かない頭で考えながら、髪を掻き上げた。
俺は、奥の左側のベッドの下の段。隣のベッドでは樺地が同じように、あぐらをかいていて。
「おはよ、樺地。」
「おはよう。鳳。」
その瞬間、俺の溶けかけていた脳みそは、驚異的な勢いで覚醒した。
樺地の膝の上には抱きかかえられるようにして、水色のパジャマを着た跡部さんが寄りかかっていたのだ。
正確には、寝ている跡部さんを、樺地が起こそうとして、抱え上げたところだったらしい。
……そうだった。
俺は、都合良く記憶の海から消し去っていた昨夜のできごとを、思い出してしまった。
就寝時間の五分ぐらい前だっただろうか。雑用なんかでハードだった一年の時の合宿に比べ、テニスの練習で消耗し尽くす今年の合宿は、もうハードなどというレベルではなかった。せっかく仲がいい連中が同室なんだから、夜遅くまでおしゃべりとかしなきゃ損だ、などと思ったまでは良かったのだが。
疲労が何もかもを凌駕していた。パジャマに着替えてそれぞれ自分のベッドの端に腰を下ろしたまま、誰もがぐったりと黙り込む。特に、朝型の若など、いつもの凛とした姿もどこへやら、寝間着代わりの短パンとTシャツで、今にも落ちそうな瞼と戦っていた。
もう寝るか。
そう、誰かが口を開くまでの我慢比べみたいな状況の最中。
バタンッ!!
と、部屋の扉が乱暴に開かれた。
そこには水色のパジャマを着た跡部さんが仁王立ちに立っていて。
「おい。中二一班、まだ寝ていないのか?」
不機嫌そうに言う。
夜の見回り、にしてはちょっと早い。間違いなく消灯前だった。
跡部さんのパジャマは、どうも少し大きいらしく、ズボンの丈はくるぶしの下まであったし、袖は指先まで覆ってしまっていて。しかも右手はオフホワイトのバスタオルを抱えている。
その姿は、眼光鋭い威厳に満ちた跡部さんに、妙に不釣り合いで愛らしかった。
って。
そんなことは良い。とにかく怒られる前に謝らなくては。
そう思った俺たちは、大慌てで動き出した。目覚まし、枕、明日着るモノ……バタバタと寝る支度を始める。
「すみません!もう寝ます。」
「そうか。なら良い。明日も早いからな。」
あっさりと引き下がった跡部さんは、部屋から出てゆくのかと思いきや、後ろ手に扉を閉めると、そのまま樺地のベッドに直進し。
誰一人、言葉を発するコトができずにフリーズして成り行きを見守る中、跡部さんはさも当然のように、樺地のベッドに入り込み。
こてっ。
と、寝てしまった。
「三年生共は、遅くまで騒いでいて寝付けない。」
などとぶつぶつ言いながら。
跡部さんに振り回されるのに慣れている樺地さえも、さすがに一瞬、事態を把握できなくなったらしく、呆然と同室の連中の顔を順繰りに見回した。だが、誰も助けてやることなどできない。
っていうか、まぁ、跡部さんに対応できるのは、二年生のうちでは樺地くらいしかいないから。
俺たちは、もう、何も見なかったことにして、灯りを消し、自分のベッドに戻ってむりやりにでも寝付こうとした。実際、これだけ疲れ切っていれば、目を閉じただけで眠りが意識を泥のように絡め取ってくれたのだった。
そして。
目が覚めれば。
樺地の膝の上に跡部さん……。
「跡部さん、起きてください。」
「んー。」
「朝です。」
「う〜〜ん。」
樺地に手櫛で優しく髪を梳かれながら、目をこすっている跡部さん……。
あれは絶対、寝ぼけている……。
見ちゃいけない、と、なけなしの理性が俺を止めたけれども、どういうわけだか目をそらすことができず、そのすごい絵に目は釘付けになっていた。
「部長が寝坊しちゃ、まずいっすよ。」
「む〜。何時〜?」
「六時過ぎっす。」
「う〜〜。」
そのとき。
コンコンッ!!
と、硬質なノックの音が響き。
「二年一班、起きてるか〜?」
忍足さんのはんなりした声。三年生が朝の見回りを始めたらしい。
「おはようございますっ!」
声はばらけてはいたけれど、一応、元気に挨拶を返す健気な二年一班。
「あ、樺地の部屋、ここじゃん。」
忍足さんはそのまま次の部屋の見回りに行くのかと思ったのだが、なにやら向日さんの声もして。唐突に扉が開く。
扉の向こうには、Tシャツにジーンズとすでに身支度を整えた二人の姿。部屋を覗き込んで。
「跡部、起きてる〜?」
「馬鹿か。起きているに決まっているだろう。」
水色のパジャマを着た跡部さんは、しっかり仁王立ちで、髪をくしゃっと掻き上げながらはっきりとおっしゃいました。
「二年一班、とっとと身支度を終えたら、一年生の朝食配膳の監督に行け。ぐずぐずするな、飯は6時半にきっちり喰い始めるからな。」
「さすが部長。朝から気合い入ってはるわ。」
忍足さん。部長の気合いは、今、入ったとこっす。
「一度くらい、跡部の寝ぼけたトコ、見てみたいんだけどな〜。」
向日さん。俺、俺、見ちゃったんですけど。
「馬鹿言ってないで、お前ら、他の二年の部屋、見て回れ。」
跡部部長は眼光鋭くそう言い残し、颯爽と去って行かれました。
拝啓。宍戸さん、お元気ですか。
カーテンを開くと、夏の日差しはすでに強く、今日もハードな一日になりそうな予感です。
なんてことを、遠い目をしてしみじみ思う、鳳長太郎中学二年生。
朝から激しい嵐に襲われて、呆然と座り込む俺たちを後目に、樺地は一人、淡々と身支度を整えていました。
やつは絶対、大物になりますね。宍戸さん。
樺跡祭りさまへの奉納品でした。
おまけSS「夜の嵐。」
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