呪。
自室の御簾を開けるとそこは修羅場だった。いや、修羅場になりかけのすんげぇ状態だった。MAJIで修羅場する5秒前って感じだった。
将臣は掲げた御簾をそのまますとんと降ろし、鬼のような形相で待ちかまえていた知盛など見なかったことにして、帝の部屋にでも遊びに行こうと踵を返しかけたが、間髪入れず背後から肩を掴まれて。
「どこへ行く?」
いつも以上の低い声。
「や、ちょっとそこまで。」
きんっ、と嫌な金属音がして、胴に刀が押し当てられる。
「……。」
二人はしばらく沈黙し。
「……分かったっての。とにかくその物騒なモノしまえ。」
軽くホールドアップして、将臣が折れた。素直に刀をさやに納める知盛の気配に、このまま隙を見て全力疾走で逃亡してやろうかとも将臣は考えたが、屋敷の中を抜刀して追いかけてくる知盛は想像しただけでもむちゃくちゃ怖くて、今夜夢にまで見そうだと思ったので、というか、今夜夢に見る以前にそんなコトになったら俺は夜まで生きていねぇだろうなとも思ったので、将臣は素直に知盛の後に従って、とぼとぼと自室に足を踏み入れた。
鎧に刀。
およそ部屋でくつろぐかっこうではないが、知盛はそのままの姿でどっかりと腰を下ろし、将臣にも座るようにとあごで指し示す。
まるで部活の先輩に叱られたときみてぇだな。
将臣はふとそんなことを思う。
知盛は大きな子供だ。哀しくて寂しい、大きな子供。
同じ世界に生まれていたら……お前だってきっと……。
「……。」
黙ったままの知盛。
壇ノ浦の合戦まで、自分の記憶が確かならあと数ヶ月もない。
少しずつ、少しずつ変えてきた歴史。だけど、大きな流れを変えることなどできるのだろうか。
平家を、この大切な人たちを守ることができるのだろうか。
窓の外には青い空。
ああ。良い天気だ。
「有川。」
苛立たしげに知盛が口を開いた。もてあますほどの苛立ちに自分でも困惑しているように、知盛は短く息を吐き言葉を継ぐ。
「帝に……呪詛の言葉を教え込んだのはお前か?」
「呪詛……?」
帝に?俺が?
偽りを言う気などない。だが、帝に呪詛を教えた覚えなどかけらもなくて、将臣は小刻みに瞬きをした。そもそも自分は呪詛などというモノは全く知りもしない。こちらに来るまで、そんな非科学的なモノ、信じてさえもいなかったのだから。
「……偽りを言うな。帝は平家の血を引く高貴な御身とはいえ、まだご幼少であらせられる。源氏方にはまがりなりにも陰陽師がいると聞く。万が一、やんごとなき身に呪詛返しでも……」
「待て。」
頭から将臣を疑ってかかっているらしい知盛の言葉を慌ててさえぎって、将臣は訊ねた。
「帝は俺が教えたと言っているのか?」
「いや……母上が心配して何の呪詛か誰から習ったかとうかがっても、答えては験がないと決してお教え下さらぬという。」
「……。」
将臣は眉を寄せて首をかしげる。
考え込んだ将臣に、知盛は再び黙り込んだ。
生きること全てに嫌気が差しているこの男にとっても、実母と甥っ子への愛着だけは心からの真実であるらしい。だからこそ帝や尼御前に気遣って過剰に苛立ち、そんな自分に困惑するのだ。
「帝は……呪詛だと言ったのか?まじないじゃなくてか?」
ふと数日前のことに思い当たって、ゆっくりと顔を上げる。
正面から視線を受け止め、少し考えてから知盛が低く答えた。
「まじないと言っていらしたな。」
「……なるほどね。じゃ、教えたのは俺だ。」
将臣の言葉に知盛が刀に手を伸ばす。
その手を目で制し、将臣はふぅっと息を吐いた。
「俺は逃げねぇから。刀抜くのは後でも良いだろ。」
窓の外はどこまでも澄み切った青。
ああ。ホント、良い天気だ。
「帝は……まだ子供だろ。このままじゃ壊れちまう。」
知盛は黙ったまま将臣を見据える。
「オトナの都合に振り回されて……周りの連中はだんだん笑わなくなってきて……自分がどうなるか分からなくて不安で。」
部屋の外からは鳥の声さえ聞こえてこない。
「それでも何か……自分にできることがないかって、一生懸命だろ。帝は。……だから、教えた。」
教えたときの帝の表情を思えば、悔いはない。他のヤツには秘密だぞと言ったのは、その方が効きそうな気がしたからで。効くも何も、将臣はまじないなど最初から信じてはいないのだが。そのせいで知盛が苛立つのも、尼御前が心配するのも、当然といえば当然のコト。その辺はやっぱり自分がきちんと説明しなかったのがまずかったんだろうと思う。
ふぅ。
将臣はもう一度息を吐き、深く頭を下げた。
「悪い。」
身じろぎもせず睨み付けてくる知盛に、将臣は穏やかに笑い。
「Supercalifragilisticexpialidocious。」
「……?」
「だからな。Supercalifragilisticexpialidocious。それがまじないの言葉だ。」
「……何のまじないだ。」
警戒を崩さず、知盛が低く問う。
「メアリーポピンズの……や、俺の世界の、なんていうか、有名な映画の……ま、いいや、とにかく俺の知ってる数少ないまじないの言葉なんだけどな。ってか、まじないとか、全然知らねぇんだけど。」
将臣は一度言葉を切って、知盛の顔を覗き込むように、にっと笑い。
「何でも……怒っている人を笑顔にするまじないの言葉なんだと。」
知盛は眉を寄せる。
しばらく不機嫌に唇を噛みしめる。
そして。
ついっと将臣から目をそらした。
「帝はみんなに笑っててほしいんだと。他には何もいらんのだと。」
あぐらを組み直し、膝を支えに頬杖をついて。
「帝、泣かすんじゃねぇぞ。この死にたがり屋が。」
知盛をまっすぐに見つめれば。
「……。」
薄く口を開いたものの、知盛は沈黙したままで。
死に急ぐ知盛と、家族を愛する知盛、どちらも真実であるように。
知盛に生きてほしいと望む将臣と、戦略のために死地に将を送り込む還内府、どちらも真実であって。
だけれども。
歴史が変わることがあるのなら。
「……。」
将臣は窓の向こうの空を見上げた。
ああ。良い天気だ。
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