声。




 たまには平和な一日もある。
 数日後に合戦があると分かっていても、何もするべきことのない一日。
「ふぁ。」
 書物をめくる朔の横で、日だまりの庭を眺めていた望美が大あくびをした。
「そんなに眠いなら、少し眠ればいいのに。」
 朔の笑いを含んだ声。
「昨夜は誰かさんと夜更かしでもしたのかしら?」
 別に後ろめたいことなど何もないけど、朔の言葉に望美は慌てて首を振る。
「そんなことないって!ちゃんと寝てたよ!」
 朔は恋愛の匂いに敏感だ。普段は優しいけども、妙なところで鋭く突っ込んでくる。もちろん、いつだって望美の味方をしてくれるのだけれども。
 京の秋。
 手入れされた庭に、紫の花が咲く。
 ききょう、って言ったっけ?
 もう一度、あくびが出た。
「やっぱちょっと寝る。おやすみ。」
 その場でころりと寝転がると、朔がくすくす笑う。
「冷えるわよ。上掛けくらいかけたら?」
 言いながら、立ち上がる朔。
 お姉さんってのがいたら、こんな感じなのかな、と思う。将臣くんは兄貴っぽいけど、布団かけてくれたりしないし。ってか、かけてくれたら気色悪い。彼、妙に暑がりだから、冷えるとかそういう感覚持ち合わせてなさそう……。でも譲くんは……かけてくれるかも。気が利くし……ああ、そうか……譲くんは……私や将臣くんのお姉さんだったのか……納得……料理も巧いしね……。
「あら。望美ったらもう寝てるの?」
 くすくすと笑う朔の声が遠く聞こえた。
 布団をかけてもらったお礼も言えないまま、望美は真っ直ぐに夢の世界へと転がり込んでいった。

 上掛けの中で望美がもぞもぞと寝返りをうつ。
 よく寝てるわ。ずいぶん疲れていたのね。
 庭に差し込む西日。
 朔はゆっくりと本を閉じた。
 異世界に迷い込んで、毎日戦ってばかり。先の見えないこの時代。もともとここに生まれついた私たちでさえ、生きているだけでへとへとになりそうなのに……迷い込んできたあなたは、もっと疲れているんでしょうね。ごめんね。もっと役に立ってあげられたら……私にもっと力があったら良かったんだけど。
 そのとき、望美が小さく身じろぎをして。
「……ん。」
 声を上げる。
 起きたのかしら?
 だが、望美は起きる様子もない。
「……マジで?……ぶっちゃけありえなくない……?」
 望美の寝言に、朔は小さく微笑む。
 何を言っているのか、さっぱり分からない。たぶん、元いた世界の夢を見ているのだわ。
「あ……ダメ……将臣くん……や……やだ……!」
 登場した名前に少しびっくりして。
 元いた世界の夢ならば、将臣殿が出てくるのも当然かしら?家族みたいな関係だって言っていたもの。
 と思い直す。
「待って……ダメだってば……!」
 それにしても、どんな夢を見ているのかしら……?
 というか、私、ここで望美の寝言聞いていて良いのかしら……?
 意味もなく不安になる朔。だが望美の寝言は続く。
「なんで……なんでそんなことするの……?ひどいよ……!」
 よく分からないけど、将臣殿!望美を泣かすようなマネをしたら許さないんだから!
 とりあえず朔は、望美の応援をすることにした。
 夢の中で何が起こっているか分からないけど、とにかく頑張って!望美!
「あ……やだぁ……少し手加減してよぉ……。」
 よく分からないけど、少しは手加減しなさい!将臣殿!
「そこで昇竜拳って……よけられるわけないじゃん……!」
 しょうりゅうけん?
「次こそ……竜巻旋風脚で……将臣くん、ぶっ倒す……!もう負けないんだから……!」
 ……ぶったおす……?
 そこまで聞いて、朔はようやく夢の内容を理解した。
 ああ。元いた世界では、望美は将臣殿に剣の修行を付けてもらっていたのね。きっと兄妹のように仲むつまじく、互いに研鑽していたのだわ。
 そこでぴたりと望美の寝言が止まった。すやすやと寝息だけが聞こえてくる。
 いつか……本当の平和が来るわ。そうしたら、望美。あなたも剣をとらなくて良い日が来る。きっと。
 元の世界でもここでも戦いばかりかもしれないけど……いつかきっと。ね?あなたならきっとそんな世界を作れるわ。
 朔は望美の肩に上掛けを掛け直すと、部屋に明かりを灯した。










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