友。
弓の手入れをしている間が一番落ち着く。
そんなコトを言ったら、きっと先輩は笑うだろうけど。
弓弦をそっと撫でて譲は小さく息を吐く。
昼間は緊張感から解放されることはなく、寝れば寝たで見るのは悪夢ばかり。心が落ち着く暇などなくて。
「まだ起きているのか?」
戸をからりと開き、九郎が顔を出す。
鎌倉の夜とは全く違う漆黒の闇が九郎の背後に広がっている。
庭からは虫の声。
「弓の手入れか。感心だな。」
九郎は笑顔で部屋に入り込み、譲に向き合うように座った。
「毎晩やっているのか?」
「はい。」
「それは……ずいぶんと……『はっする』してるな。」
「……はい?」
真顔で弓を取り落とす譲に、九郎は少し動揺し。
「違ったか?」
慌てて懐から小さく折りたたんだ紙を取り出す。
「えっと……『はっする』は切磋琢磨し自ら努めること、だよな?」
一生懸命紙を覗き込んで首をひねる九郎。譲はだいたいの事情を理解して、助け船を出すコトにした。
「一応……意味も使い方も合っていますけども。」
「なんだ!そうか!」
はちきれんばかりの笑顔で九郎は顔を上げる。
「先輩ですね?そんな言葉を教えたのは。」
「ああ!望美に教えてもらったんだ!」
教えるのは良いけども、何かもっと良い言葉はなかったんだろうか。
譲の心には切ない疑問が渦巻いた。
だが、九郎は気にする様子もなく。
「そうだ!将臣には『はっする』の振り付けも教わったぞ!えっと、どうだったか……?」
「やらなくて良いです!!」
譲は大あわてで、今にも「ハッスル!ハッスル!」と叫び出しそうな九郎を止めた。相手は天下の源義経である。日本史上最も有名な悲劇の貴公子である。いくらここが異世界らしいとはいえ、やらせて良いコトと悪いコトがあるんじゃないか。
まぁ、兄さんの場合、天然だし、この人が義経だと知らないはずだからな。そんなコト思いもしないで、普通に教えていたんだろうな……。ってか二人でそんなあほなコトやってたトコに出くわさなくて、本当に良かったよ。何せ、金属性は木属性に特効だからね……。
内心げっそりしながら、譲は九郎に向き直る。
「勉強熱心ですね。九郎さんは。」
「面白いからな!他にもいろいろ教わったんだ。」
九郎は素直に褒め言葉を受け取って、譲に骨太の文字が並ぶ紙を示す。一、兄上を慕ふ者の事 ふらこん
一、強き男の事 まつちよ
一、望美の如き女子の事 せくしひ たひなまひと
一、先生の如き人の事 てひちやあ「俺は『ぶらこん』で、兄上は『まっちょ』で、望美は『せくしーだいなまいと』で、リズヴァーン先生は『てぃーちゃー』ということだな。」
自信満々に言い切る九郎。
譲はどうリアクションして良いのか分かりかねて、とりあえず同意しておくことにした。
「そ、そうですね。」
春日先輩、絶対確信犯だ……!
絶対分かってて、変な言葉教えてる……!
ってか、確かに先輩はセクシーダイナマイトですけど、や、俺から見ればむしろラブリーフェアリーですけど、先生がティーチャーって、それ、まんま英訳しただけじゃないですか!
とはいえ惚れた弱みと言うべきか。譲には九郎の知識を修正することができなかった。たとえ、相手が悲劇の貴公子であっても、修正することはできなかった。
「あ、そうだ。将臣にもこの前新しい言葉を教わったんだった。」
「はぁ。」
「将臣に、俺たちのような仲間のことを、お前たちの世界で何と呼ぶのか聞いたんだ。それで……何と言ったか。」
メモしていなかったらしく、九郎は腕を組んで天井を見上げ、しばらく考えていたが。
「そうだ!『まぶだち』だ!『まぶだち』!」
嬉しそうに頷いた。
ま、まぁ、それならぎりぎり許容範囲内か。
譲はちょっとだけ安心して、さっき取り落としたままの弓をそっと拾い上げる。
「で、『まぶだち』がさらに親しくなると『ほも』!そうだな?譲。」
「……はい?」
折角拾い上げ手にした弓を、譲はあっという間に再び取り落とす。
ちょっと待て!
ちょっと待て愚兄!
「将臣が言ってたぞ?『まぶだち』より親しいのは『ほも』だと。」
兄さんの場合、春日先輩とは違って、絶対天然だ。自分がオカシイこと言ってる自覚がない。絶対そうだ。
だけど、それにしたって……!
譲の煩悶を知ってか知らずか、しばらくの沈黙の後、九郎は大まじめに座り直した。
「俺は思うんだ。」
虫の声がふとやむ。
「はい。」
真剣な九郎の目に、譲も慌てて姿勢を正す。
やはりどんなに変な言葉を教わったとしても、彼は天下の源義経。それくらいでどうにかなるような人じゃない。兄さんなんかとは、俺の愚兄なんかとはそもそも器が違うんだ。
目の前にいるのが源義経であることを思うと、今更ながら緊張してしまって、急に手のひらに汗がにじむのを感じる。ぐっとその手を握りしめ、譲は深く息を吸った。
譲の真っ直ぐな視線を九郎は正面から受け止め口を開く。
「俺は思う。……俺たち八葉は……望美のために。」
「はい。」
「全員『ほも』になるべきだ、と。」
一斉に虫が鳴きだした。
おりしも京の町は秋真っ盛りであった。
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