春。
春の花がようやく木々を彩り始めたころのことだった。
福原の暮らしにも慣れ、平家一門にもやっと落ち着きを取り戻しつつあった。
ふと庭に目をやれば桜の木を見上げる将臣の姿。
真剣にその枝を見つめる様子からは、ただならぬ決意がにじんでいた。
「……知盛。」
振り返りもせず将臣が呼びかける。
足音などたてたつもりもなかったが、この男、なかなか鋭いものだな。
廊下にたたずんで、知盛は黙って言葉の続きを待つ。
「この枝、もらって良いか?」
さほど手入れが行き届いているというほどではないが、悪くない枝振りの桜。まだ三分咲きのその枝に軽く手をかけて、将臣は振り返った。
「還内府殿の所望なら誰に否やがあろう。庭の花くらい好きに手折ればよいものを。」
雅さのかけらもないこの男が、いったい何を思い立ったものやら。
いささか不釣り合いな桜と男の組み合わせに、知盛はふとからかってみたくもなる。
「兄上にも春が来たか。」
「……春?」
きょとんとする将臣。
「どこの姫を口説く気だ?」
「口説くってお前……!違うっての!俺がどこかのお姫様に花なんか贈る柄かよ!」
むきになる将臣にくっとのどの奥で笑う。
本当に雅さのかけらもない無邪気な男だな。こいつは。
「そんなんじゃねぇよ。」
知盛の口調が気に入らないのだろう。将臣はついっと目をそらし、桜に視線を戻した。そしてふと深刻な表情を見せる。
「そんなんじゃねぇ。」
いつだって深刻ぶるような男ではない。だが、その反面、いつだってこの男はまじめすぎるほどまじめに、一門のことを考え抜いている。
そのことは知盛にもよく分かっていた。
「……。」
花を見上げていた将臣が目を伏せる。
「惟盛に、俺、嫌われてるだろ?」
「……。」
あいづちすら打たない知盛を気にする様子もなく、淡々と将臣が言葉を紡ぐ。
「嫌われるのは当然だよな。いきなり父親の名前騙るヤツが出てきて偉そうに仕切り始めたら、俺だってすんげぇ腹立つと思う。」
「……。」
穏やかな陽射しにほころびかけた花。
白い蝶が将臣の髪をかすめて飛ぶ。
「それに俺はあいつと違って、全然風流じゃねぇし。和歌も漢詩も音楽もさっぱりできねぇ。雅だのなんだのも分からねぇ。あいつから見ればとんでもない田舎者だよな。」
「……。」
とつとつと語る将臣に、知盛は黙っている。廊下にひらりと桜の花びらが落ちる。
庭に立つ将臣の髪にも一片の桜。
「でも……もう少し仲良くなれたら良いって思うんだ。だから……。」
ふぅっと息を吐き出す。
「だからな、形から入ってみようと思った。」
「……形?」
「頭んとこ、桜さしてみようと思って。」
「……。」
将臣は当然大まじめである。ゆっくりと見開かれた瞳は決意に満ちている。
「なぁ、ムリだと思うか?」
「ムリだ。」
いろんな意味でムリだ。
だいたい、その髪の長さで花さそうっていうのがまずムリだ。
きちんと髪を結って、しかも冠でまとめなくては花などさせるはずもない。
とかなんとか。
きちんと説明してやる気もしなくて。
というか、そもそも髪に桜さしたところでどうにかなるような問題でもないわけで。
知盛は真顔の将臣を見据え返す。
「……やっぱムリか。」
寂しそうな将臣の声に。
「……春だな。」
花などさす必要もないほどに、この男の頭はいつだって春爛漫だ。
知盛はため息混じりに空を見上げた。
空はどこまでも綺麗に晴れ渡っていた。
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