賭。
「なんだそれは。」
開口一番、知盛は不機嫌に言いはなった。
「何って……山椒魚。」
悪びれる様子すらない将臣に、知盛は眉を寄せる。
「……捨てて来い。」季節は秋。
鎌倉に赴いた将臣が帰ってきたのはついさっきのコトで。
怨霊の鎌倉無差別攻撃を食い止めたコト。
惟盛が封じられたコト。
良い知らせと、あまり良くない知らせの二つを持ち帰った将臣に、平家一門は誰も文句を言わなかった。仕方がない。清盛も将臣を支持していたし、将臣が選んだならそれが最善の策だったのだろうと、誰もが納得していた。将臣に救えぬ惟盛なら、誰にも救えるはずがない。おそらくはその過剰な信頼も、将臣には重荷なのではないかとも思う。だが、それは全て自ら進んで背負った重荷。憐れんでやる必要などありはしない。
清盛の元を辞去する将臣を追うように、知盛はふらりと部屋を訪れた。特に用があったわけでもない。忙しそうならすぐに自室に戻るつもりで、覗いただけだった。
「……?」
そして知盛は見てしまう。
将臣の部屋にのたくたと転がっている奇妙なイキモノを。「捨てて来いってひでぇな。」
言いながら将臣はその奇妙なイキモノを撫でる。
「普通の山椒魚じゃなくて、式神ってヤツなんだと。」
知盛の表情が更に厳しくなる。
「なお悪い。すぐに捨てて来い。さもなきゃ、今、この場で切り刻む。」
つうか、普通もらって帰ってこないだろうが。
他人の式神など……!
将臣は憮然として、刀に手を掛けている知盛を睨み付けた。
「俺に懐いてんだぞ?可哀想だろ!」
可哀想?何がだ?
源氏方の式神など、お前を監視するために付いてきた決まっている。
そう言いかけて知盛は諦めた。
一度、痛い目を見れば良い。
優しい言葉、温かな態度をすぐに信じたがるその甘さを心底悔いれば良い。
山椒魚の姿をした式神は、のたくたと将臣にじゃれついて、その大きな手に身をすり寄せた。
沈黙のまま、どれほど時間が過ぎただろうか。
「惟盛が……消えた。」
唐突に将臣が話題を変える。
「……。」
知盛の沈黙に耐えきれないように、将臣は言葉を続けた。
「俺が……消した。還内府平重盛である俺が。」
そして口を閉ざす。知盛は応えない。ただ黙って部屋の隅に居る。
長い沈黙が二人の間に在った。
静寂の後、将臣はとってつけたように。
「…………寂しくなるな。」
と結んだ。
「……。」
視界の端で山椒魚が転がった。ひゅうっとトンビの声。
俯いて唇を噛んでいた将臣ががばっと顔を上げ。
「と、そんな寂しいときには、この山椒魚だ。」
いきなり意味不明に力強く宣言をぶちかます。
「ほら、撫でてみろ?和むぜ。しかもぴっちぴち。」
「……捨てて来い……!」
問答無用で斬り捨てる知盛を、むっとした表情で将臣は睨みつけ、そして、そのままふぅっと息を吐いた。
「やっぱダメか。」
秋の風がさらさらと御簾を揺らす。
「ごめんな。もう帰って良いぞ。」
山椒魚はゆっくりと将臣を見上げ。
それからすぅっと消えた。「さすがのお前も、あの山椒魚見たらちょっとくらい笑うかと思ったんだけどな〜。」
将臣はぶつぶつ言いながら。
「これでお前が笑ってたら、俺の勝ちだったのによ。」
鎌倉から背負って帰った東国の酒をずいっと知盛の鼻先に突きつけ。
一瞬、虚を突かれたように知盛は将臣の目を覗き込む。
なるほど。そういう賭をした記憶もある。
近いうちに笑わせてやる、とか、そんな他愛もない賭を。
お前、もっと笑った方が良いぜ?そしたら生きてんのも悪くないって思えるだろ。
真顔で俺にそう迫ったあの酔っぱらいは、本気だったわけか。
「おらよ。お前の勝ち。」
酒の上の戯れだろうに、還内府殿も律儀なモノだ。
惟盛を失って寂しいのはお前だろうが。
俺を笑わせる暇があるなら、お前が笑え。
「……勝ち目のない賭をするのがヤツが悪い。」
にぃっと口先だけで小さく笑って。
知盛は受け取った素焼きの瓶から酒を直にあおった。
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