特殊捜査班D&B!
特殊捜査班D&Bといえば、知る人ぞ知る警察庁の秘密兵器である。
彼らの持つ特殊な能力は、凶悪犯を追いつめる秘密兵器として期待されている。
と同時に。
彼らはあんまりにも特殊すぎるので、警察庁のお偉方は、本当のところ、最後の最後まで彼らを隠しておきたいと思っている。
できることなら隅っこにしまっておきたい。
警察内部の永遠の秘密にしておきたい。
そういう意味でも彼らは秘密兵器である。「……?」
コードネーム“D”こと天根がいつも通りのんびりと出勤すると。
「……遅い。」
いらいらした様子で伊武が待ち受けていた。この伊武こそがコードネーム“B”。
彼ら二人が特殊捜査班D&Bの正体である。
「ごめん。」
「ごめんですめば警察いらないだろ。お前、自分の仕事を否定する気か?あほか?もう少しモノを考えろ。」
八つ当たりにも似た調子でぼやく伊武。天根は全く気にする様子もなく、首をかしげた。
「仕事?」
「そう。また出た。」
舌打ちしながら、伊武は紙切れの入った小さなクリアケースを天根の机に載せる。
「……また。」D&Bは秘密兵器である。
警察庁が心の底からこっそり秘密にしておきたい秘密兵器である。
だからこそ。
彼らが担当する仕事は、のきなみ、どうでも良い事件ばかりである。クリアケースの中には、骨太の文字で犯行声明が書かれていた。
「来た。見た。盗んだ。ミルフィーユ」
それだけのフレーズ。
いつでも同じフレーズ。
これが、今、彼らの担当している犯罪者「ミルフィーユ」の唯一無二の手がかりであった。「今度はどこ?」
「××美術館の特設展示会場。」
「盗品は?」
「なし。」
「そう。」
天根は深く頷いて。
「現場検証、行く?」
一応、相方にお伺いを立ててみる。
「仕方ないだろ。仕事なんだから。」
ぶつぶつ言いながらも、伊武は身支度を始めた。警察内部で「怪盗☆ミルフィーユ」と呼ばれている、その犯行声明の主は、人数も正体も目的も分かっていないばかりか、犯行内容も分かっていない。ただ小さな犯行声明の紙きれがあるばかりであって。
「来た。見た。盗んだ。」
と書き残しているからには何かを盗んでいるのだろうと思われるのだが、いまだかつて、盗品が判明したコトはない。
何を「盗んだ」のかが分からないのである。
ただ、窃盗が成立していなくとも、「ミルフィーユ」は犯罪者には違いなかった。その犯行声明は、必ず立ち入り禁止の場所で見つかるのであるから。不法侵入の罪だけは間違いない。だが、今の段階で罪に問えるとしたらそれだけであった。
夜の美術館や庭園に忍び込んでは、「来た。見た。盗んだ。」とだけ書き残して去ってゆく「ミルフィーユ」。
犯罪者というよりは、風流な変わり者といった印象が強い。
警察としては、放置こそできなかったが、血眼になって追うほどの凶悪犯でもない。
そこで。
警察庁の秘密兵器が、こっそりと投入されていたのである。「性懲りもなく証拠なし……ぷっ。」
「……それ、どういう意味だよ。ダジャレのつもり?ダジャレに失礼だと思わないわけ?ダジャレってのも下らないけど、お前のそれはもうダジャレにさえ失礼な下らなさだね。ダジャレに謝れよ。だいたいさぁ。お前って……」
現場検証の名の下に、××美術館を訪れた天根と伊武は、美術展が予定通りに開催され、事件が起こった気配さえ感じさせないコトに安堵と脱力を感じていた。
だが。
まぁ、無事だったらそれでいいや。
二人は諦めも早かったので、あっさり諦めて、ぐるりと展示を眺めた後、さっさと警察庁に戻っていった。
「ミルフィーユ」関係の事件と言えば、いつだってそんな事件ばかりである。時は十一月。
まだ都内は紅葉には早い。
北関東の山々から紅葉の便りが届き始めるころであって。「芸術の秋……か。」
伊武が呟く。
昼休みの時間帯であるが、他の刑事たちは各々の仕事に出払っており、彼らのデスクの辺りは閑散としていた。
「うぃ?」
隣でキャスター椅子に座って、意味もなくぐるぐる回っていた天根は、ぴたりと止まって、伊武のパソコンを覗き込む。
「美術館特集……?」
「……見りゃ分かるだろ。」
「うぃ。……次にミルフィーユが行くとこ、探してるの?」
伊武は黙って頷いた。
そうか。現場検証では証拠が見つからないなら、先回りして捕まえればいいのか。
表示されていたのは、関東近郊の美術展のスケジュール一覧である。「あいつらはたいがい新月の夜に動く。」
「うぃ。今月だったら……13日?」
指折り数える天根。
そのころやっている美術展のうち、「ミルフィーユ」の好きそうなもの。
そこにあらかじめ張り込んでいれば。
もしかしたら。
「お前、選べ。」
伊武の言葉にびっくりしたように天根は顔を上げた。
「……俺?」
俺が「ミルフィーユ」の来そうな美術展を選ぶの?
伊武は問いかけに応えない。だが、否定もしない。
「うー。」
正直に言えば、展覧会のタイトルなど、天根にはどれも同じに見えるのだが、選べと言われたからには選ばないわけにはいかず。
しばらく呻いてから、天根は一つの展示を指で指し示した。
「これ。」
黙ってその展示の情報を書き留める伊武。
違っていたらどうしよう?とは天根は思わなかった。
伊武は頭が良い。伊武が俺に選べというのだったら、きっと俺が選ぶのが正しい。だって伊武は頭が良いんだから。
天根はそんなよく分からない理屈で納得し、何度も頷いた。そして。
13日の夜が来る。展示会場の物陰に張り込んだ伊武と天根は、息を殺して待った。
「ミルフィーユ」の正体が分からないということは、どこに内通者がいるか分からないコトを意味する。だから、今回の捜査については、彼らの直接の上司の他には、美術館の責任者しか知らない。美術館の警備員にすら知らせていない。
タイル張りの床。天窓から夜気が入り込む。
「寒い。」
伊武が小さく舌打ちする。
「……おしくらまんじゅうしようか?」
一生懸命考えたらしい天根が提案するが。
「……。」
あっさりと無視されて。
十一月ともなれば夜は冷える。
江戸時代の文人画を集めた展覧会の会場。警備員にも秘密の張り込みなのだから、巡回するわけにもいかない。
伊武はここでも天根に「どの絵だ?」と、「ミルフィーユ」の狙いそうな絵を選ばせた。
天根が選んだのは大きな掛け軸。
山村ののどかな風景を描いた水墨画だ。
なぜ選んだかは天根にもよく分からなかった。ただそれが綺麗だったから。他に理由はない。
展示室は比較的狭かった。それでも十メートル四方はあるだろう。開けられる窓はない。天窓と、壁の高い位置にある大きめの窓が二枚。侵入するとすれば、ルートは展示会場の順路通り二カ所だろうと思われた。
今回も伊武は天根の選択に疑問を挟まず、その絵のそばに潜むことを決めた。そして、世界は十二時を迎える。
誰もいないはずの空間から。
「……これか?」
低い声がする。
「ああ。」
応じるのも低い声。
びくりっと肩を震わせる天根を軽く制し、伊武は闇に目をこらした。人影は二つ。体格は良いけども……しょせんD&Bの敵ではない。
D&Bが特殊捜査班と呼ばれるゆえん。
それは、その恐ろしいまでの戦闘能力にあった。
男二人くらい、何ら問題はない。
伊武は頷いて天根に合図を送る。かちりっ!
展示室の隅に設置した照明が突如一枚の絵を照らし出す。
そしてもちろん、その絵の前に立つ二人の男をも。
「……!」
「ちっ。」
二人はまぶしさに目を細めながら、慌てる様子は見せずに周囲を見回した。
黒ずくめではあるが、ラフなかっこうの二人組。
年の頃は自分たちと大差ない。
ゆっくりと歩み寄る天根。
その背後から伊武。「ついにご対面、か。」
背の高い方の男が笑った。
「なんだ。張り込みは二人だけか。」
額にほくろのある男が少し驚いたように呟く。「ミルフィーユ!」
とりあえず名前を呼んでみた天根。
「……ケーキの名前なんか名乗るから、どんな女の子が出てくるのかと思ったら……男かよ。」
伊武はなんだか不満そうである。
天根はびっくりして伊武を振り返った。「男で悪かったな。お巡りさん。」
背の高い方が愉快そうに笑う。
「名乗っておこうか。俺が黒羽。こいつが橘。あんたたちには散々世話になっている。」
名前を名乗るとはな。
伊武は相手のあまりに不敵な態度に面食らっていた。
本名かどうかは分からない。だが、名乗らなくていい場面で、わざわざ名乗るのだから……それは余裕の表れなのか、あるいは。
天根がかちゃりと照明を弱めた。あんまり強すぎる光は良くない。絵を傷める。それに警備員さんに見つかってしまう。
薄闇が展示室を冒す。
さっき顔は確認した。暗くてもシルエットははっきり見えるから、問題ない。
あとは伊武を信じて……あいつらを確保するだけ!
天根は真っ直ぐに顔を上げ、ミルフィーユに狙いを定めた。
「覚悟しろ。ミルフィーユ!」
天根の声に、薄闇の向こう、橘が小さく笑った。
「覚悟などとうにできている。」
その言葉を聞いて、伊武が小さく舌打ちする。「さて。橘サン。こっそり盗むのがムリなら……奪うしかないわけだが。」
相変わらず楽しそうな黒羽の声。
「良いだろう。望むところだ。」
橘も全く動揺する様子もない。薄闇の中で二人の影が身構えるのが分かった。
「天根!」
伊武の合図と同時に天根が動く。
「……江戸時代の絵はええど?……ぷっ!」その瞬間。
信じられないコトが起こった。
天根のダジャレに、黒羽が跳び蹴りツッコミをかましたのである。
「つまらねぇんだよ!!」
「わっ!」
額にツッコミを喰らってバランスを崩す天根。
素早く立ち位置を変えながら、伊武は軽く眉を上げる。D&Bが警察庁の秘密兵器と呼ばれるのは。
その恐ろしいまでの戦闘能力にある。
それは。
天根のダジャレで、相手の集中力を削ぎ。
その隙を衝いて、伊武がスポットという体術で相手の身体的動きを封ずるという、無敵のフォーメーションゆえであった。
本庁の真田や赤澤ら、肉弾戦もモノともしない猛者たちでさえ、D&Bの連携プレイの前には膝を屈している。
恐ろしくも恥ずかしいD&Bの戦略。最後の最後まで秘密兵器にしておきたい、と警察庁の上層部が心から望んでいるのは、ゆえなきことでもない。それなのに。
黒羽は天根にツッコミをかました。
天根は驚いた様子で黒羽の蹴りを受け、一瞬はバランスを崩したものの、それでもD&Bの名に恥じぬ動きで軽やかに体勢を立て直す。
あのダジャレを聞いて脱力しないとは……なんていう精神力!
そんな精神力を持った者には今まで会ったことはなかった。……自分以外には。
だから自分は天根と組まされたのだ。
自分のスポットは、身構えられては効力も半減するが、集中力を切らせた相手にならほぼ100%の確率で効く。その自信があった。
天根が相手の精神力を奪い、自分は相手の肉体の自由を奪う。
それがD&B。なのに……天根の一撃が効いてないとは。
伊武は足音も立てずに移動しながら、天根らの攻防から視線を外せずにいる。
「全く!くだらねぇっての!!」
みごとな着地を決めて、黒羽はにっと余裕の笑みを見せた。
あのダジャレに脱力せず、あまつさえツッコミを入れるなんて……ただものじゃない。
橘の背後に回り込みながら、伊武は低く唸る。
橘には天根のダジャレ攻撃が効いているらしい。苦笑しながら立つその背中は隙だらけで。
そう来なくっちゃね。
二人同時にしとめるのが無理でも、一人しとめれば、後は一対二。断然こちらが有利になる。
スポット、決めさせてもらうよ。これであなたは小一時間動けなくなる。まずは一人目確保、と。
低く身構えた伊武は、狙いすまして橘の背を突いた。と。
その瞬間。「……?!」
触れるはずの指先に橘の背の感触はなく。
「悪いな。」
目の前にいたはずの巨漢は、いつの間にか左から伊武の腕をつかんで。
まずいっ!
そう思った瞬間には。
「おらぁ!」
伊武の体は宙を舞っていた。「ちっ。」
何とか受け身を取って間髪入れず立ち上がれば、天根が黒羽のかかと落としを食らってよろめいているところで。
「天根っ!」
黒羽の動きは本気の攻撃には見えなかった。それに……天根も避けられたものを敢えて食らったように見えた。
どういうコトだ?「さて、と。あんまり長居もできねぇな。」
「ああ。」
愉快そうに笑う黒羽。
その隣には橘。
彼らはいつの間にか展示室の窓の下にいた。
開けることができないはずの大窓は、見事に全開で。「行くか。」
「おぅ。」
橘が窓枠にひらりと飛び移ると。
黒羽は下手なウィンクを寄こして、その後を追う。
窓の外は漆黒の闇。
「……待てよ。」
「あー?」
伊武の声に振り返る二人。
天根がいつでも飛び出せるように身構えたのを視界の隅に捉えながら。「ミルフィーユ……。狙いは……何なんだ。」
口をついて出た言葉は、純粋な疑問で。
彼らをここで捕らえるための計算は、すでに頭にはなかった。ムリだ。捕らえられない。格が違う。警察官として鍛え上げた感覚がそう告げていた。
だがそれでも純粋に知りたかった。
「何を狙って……こんな犯行を繰り返す?」
黒羽が橘に目をやる。そして。
「……探しているんだ。」
穏やかに笑う黒羽。それは薄闇の中でも分かるほどに穏やかな笑みで。
「何を?」
天根が低く問う。
「……何を探しているのかを……探しているんだ。」
ゆっくりと告げる黒羽。
困惑した様子で天根がちらりと伊武を見る。「今日は盗み損ねたからな。奪うコトにする。悪く思うなよ。」
軽くのどの奥で笑いながら、橘が懐から淡く光る何かを取り出した。「また会おうぜ?D&Bのお二人さん!」
かちっという音。
橘の手元にはライター。何かに火を付けている。
「うらぁ!」
勢いよく、銀色に光る何かが伊武目がけて飛ぶ。
飛びすさる伊武。
だんっ!!
伊武がさっきまで立っていた場所に落ちた「それ」。
鼻をつく煙。
これは……火薬のにおい?
ぱちぱちと音を立てて青白い火花が飛ぶ。
爆発物か……!
素早く天根が懐中電灯でそれを照らし出す。すると。そこには。
口に花火を差し込まれたサンマが転がっていて。「サンマ……?!」
はっとして天窓に視線を戻すと、もうそこには人影はなく。
「逃げられた……!!」
舌打ちする伊武。
「花火付きのサンマなんかに……目を奪われているうちに!」
その言葉に天根はびっくりしたように伊武を見て。「もう一度……言って?」
小首をかしげる。
「……サンマに目を奪われているうちに、と言ったんだ。」
いらだたしげに繰り返す伊武。
天根は口をぱくぱくさせて何か考えていたが、小さく頷いて言った。
「ミルフィーユ、いつもは……俺たちの目を盗んでた。今日は……俺たちの目を奪った。」
そう言ってからもう一度、自分でも納得いかないといった様子で首をかしげた。
「そういうこと?」サンマには「来た。見た。奪った。ミルフィーユ」と書かれた犯行声明が刺さっている。
「目を盗んだり、目を奪ったり、盗難届書けないもんばっかり、盗難するのは、とうなんだろう?……ぷぷっ!」
「……それ、ダジャレのつもり?笑えないどころの騒ぎじゃないよな。だいたい、お前はもう少し苦労するべきなんだよ。俺はこんなに苦労しているってのに……。」
伊武はぼやきながら、天根はぼやかれながら。
サンマごと犯行声明をビニール袋に入れて。
警備員らに事情を説明し、D&Bの二人は美術館を後にした。
時は深夜二時前。
冷たい空気に包まれて、街灯が寒々しい。
「さっき……なんで、避けられる攻撃を避けなかった?」
目を合わせないまま、伊武がぼやく。だが、天根ははっきりと自分の正当性を主張した。
「だって、あの人、俺のダジャレに突っ込んでくれたんだもん。」
「……。」
それから、天根は真っ直ぐに伊武を見据えて言い返す。
「それに……伊武だって一度スポットを避けられてからは、確保、諦めてた。」
「……あの人は俺に捕まるような人じゃない。」
伊武はそれだけ答えて、黙った。
何か言いたそうに天根は瞬きを繰り返したが、結局、天根も黙った。
彼らが悪人ではないコトくらい、見れば分かる。
だが……それでも彼らは犯罪者であって。
自分たちは、警察庁の秘密兵器、特殊捜査班D&Bの名に賭けて、彼らを逮捕しなくてはならない。少なくとも、他の連中には譲れない。たとえ……永遠の秘密と呼ばれちゃってる秘密兵器であっても。「あの人たち……俺たちがD&Bだと知ってたな。」
ふと思い出したように確認する伊武。
「……うぃ。また会おうって言ってた……!」
小さく呟いて、天根は空を見上げた。月のない夜。
漆黒の空が、静かに彼らの頭上に在った。
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