ここにいるよ〜山吹篇。




 夏は暑いと決まっている。じりじりと照りつける暑さは、確かに嫌だけど、逆に開き直って夏を楽しめるような気もする、と東方は思った。
 しかし。
 梅雨明け前の七月初めのころは、暑いというよりもじめじめとしていてうっとうしい。もしかして、真夏の暑さよりも体力を消耗するのかもしれないな。
 部活明けの部室。あまりの暑さに誰もがぐったりしている。そんな中、梅雨の気配とは無縁の明るい笑顔で、千石が宣言した。

「俺、明日、南より地味になる!」

 制服への着替えもほぼ終了した部員たちは、湿気で奪われた体力を更に奪われたかのように、その場にへたりこみそうになりながら、一応、礼儀正しく、変な物体を見守るような眼差しでエースを振り返ってみる。
 案の定、彼らの偉大なる地味部長は、かなりテンション低い状態で、軽く千石の額をこづいていた。
「なんだよ。それは。」
 部室は汗と湿気で、じっとりとよどんだ空気に満ちている。そこで、この千石の謎宣言である。しおれかけた新渡米の芽が、ゆらゆら揺れた。
 だが、千石は周囲の空気を気にすることなく、満面の笑みで言いつのる。
「だって、明日は南の誕生日じゃん?俺、いつも南の世話になってるから、たまには南の役に立ちたくてさ。」
「……たまにはじゃなくて、いつも心がけろ。俺への感謝を……!」
 本気なのか、冗談なのか、南は真顔で切り返したが、その嫌みをモノともせず、千石は無邪気に続ける。
「南って、地味じゃん?まぁ、南が地味なのは、仕方ないと思うんだ。それが南だからさ。だけど、俺が南より地味になったら、誰も南のこと、地味とか言わないだろ?だから、明日は一日、俺が南より地味になって、南を地味という称号から解放しようと思う。」
 なんだか、筋が通っているのか微妙ですよ、さすがは千石さん、と。
 室町は、軽くサングラスをずりあげながら、考えた。
 そして、一つだけ間違いないことは、部長を地味だ地味だと言いまくっているのは、間違いなく千石さん、あなたです、と頭の中で断定し、一人納得して何度も頷いた。
 そのころ、部室の片隅で、喜多も同じようなことを考えていた。なるほどであります。千石さんが南部長にじゃれついて、地味だ地味だと騒がなければ、確かに南部長は地味という称号から解放されるわけであります、と。

 喜多の頬の渦巻きが、ゆっくりと回り始め、部室にゆっくりと風が吹き抜けて。
「帰るのだ。」
 新渡米が鞄を担ぎ上げると、ほかの部員たちもぞろぞろと帰路につく。
 そして。
「どうよ!南!」
 得意満面嬉しそうに問いかける千石と、彼に見つめられた南と、タイミングを逸して帰り損ねた東方の三人だけが部室に残り。
「どうよって。なぁ?」
 リアクションに窮した南が、困惑したように東方を振り返れば。
「まぁ、良いんじゃないのか?たまには地味な千石もさ。」
 おっとりと東方が応えたので。
「あー。そうだな。ま、良いか。」
「うん!」
 結局、何が良いのだかよく分からないまま、三人も鞄を背負って部室を後にした。夕方の西日が、ようやく一抹の涼しさを運んでくる。


 翌日は朝から小雨が降っていた。おかげで朝練は休み。少し拍子抜けしながら、それでも今更寝直すわけにもいかず、南はぼんやりと教室にいた。せっかくの誕生日なのに、なんだか損した気分だな。昼には止むって、天気予報は言っていたけど、放課後練習はできるかな。
 ふと思い立って、昼休みのミーティングのためのメモを机の上に広げながら、窓にしたたるかすかな雨音に目を上げる。低くたれ込めた雲は、それほど厚くは見えない。今降っているのだって小雨だし、もうすぐ止むっぽいな。曇ったままなのが一番楽でいいな。日が出ると暑いしな。
 もうすぐ朝礼が始まって、それから一時間目で。早弁しといた方がいいかな。どこで早弁しようか、と時間割表に目をやった南は、視界の隅で、ちんと座っている千石に気づく。

「千石、おはよう。」
 なんであいつ、あんなおとなしいんだ?と首をかしげながら、振り返って声を掛ければ。
「お誕生日おめでとう。南くん。」
 押さえめな声で、千石が言う。
「お、おう。ありがと。」
 なんだ?なんだか、変だな。こいつ。
 視界の隅で、良い子に座ってにこにこと南を見つめている千石を、穴が開くほどまじまじと見返した南は、ようやく気づく。
 ……今日は一日、地味にすごすんだっけか。このばか。
「……お前、それ、地味のつもりか?」
 あきれたような声で、問いかける南に、千石は黙ってこくりとうなずいた。しかし、その表情は、「分かってくれた!」という喜びに満ちている。どう見ても、きらきらとした満面の笑みから漂うオーラは地味ではない。
 はぁ。そうかよ。
 小さくため息をつきながら、南はミーティングのためのメモに目を落とした。良いんだけどな。そんな風におとなしくしていてくれたら、楽だしな。


 そのまま。
 千石は、おとなしく、本人の自己申告に依れば「地味」に午前中を過ごして。

「南、おめでとう。」
「サンキュー、東方。」
 東方が、地味なチェックのハンカチをプレゼントにくれたときも。

「誕生日、おめでとうなのだ。南。」
「ああ。ありがとう。新渡米。」
 新渡米が、「台所で育てよう!カイワレ栽培セット」をプレゼントにくれたときも。

「おい。」
「あれ?亜久津?なんだ?これ?」
 通りすがりの嫌がらせのように、亜久津が栗の甘露煮を押しつけにきたときも。

 千石はこっそりひっそり、南の視界の隅にいた。
 そのたびに、千石がどう突撃してくるかを想定して、南はずっと身構えて待っていたのだが。
「何だよ。地味なハンカチ!ってか、ハンカチをプレゼントする中学生ってどうだよ!」
 とか。
「カイワレって、俺、辛いから食えない……!」
 とか。
「これ、手作りだよね!亜久津くん、すごい!!ってか、南くん、愛されてるじゃん!!手作り和菓子だよ!!」
 とか。
 突撃してくるものだと身構えていたのだが。
 千石は、視界の隅で、ただ黙ってにこにこと座っているだけで。

 なんか……拍子抜けすんな。ホント。

 だんだん、南は何かが物足りない気がしてきて。
 そんな自分に腹を立てながら、昼休みを迎える。


 昼休みは部室で後輩たちを集めてのミーティングだった。
 後輩たちは、千石からさんざん、南の誕生日を聞かされていたので。
「南部長、おめでとうございます。」
 と、言おうと思って部室に入ってくるのだが。

「……千石さん。」
 部室の隅にちんと座っている千石に、まず目がいってしまい。
 ああ。そうか、今日は千石さんは地味なふりをしているんだっけ?地味なふりしているせいでいつも以上に目立つ千石さんって、どうなんだろう?
 と、しばらく遠い目をして考えて。
 じゃなくて!部長にお誕生日のお祝いを言わなきゃ!
 あわてて南を探す羽目に陥った。
 そして、室町は気づく。
 千石さんが地味なふりをしているのが、変に目につくおかげで、南部長がいつも以上に目立たなくなっているじゃないっすかね?
 そして彼は、横で新渡米が喜多にささやいているのを耳にする。
「今日は千石がおかしくて困るのだ。」
「困るでありますか?」
「普段は千石の居場所を探せば、南が見つかるのだ。でも、今日は千石と一緒にいないから、南がなかなか見つからないのだ。」

 ……なるほど。
 室町は全てを悟ったような気がした。
 千石さんが南部長を地味だ地味だとつきまとうせいで、南部長は少しだけ目立っていたのか。少なくとも、完璧に埋没せずにすんでいたのは、千石さんが地味だ地味だと騒ぐせいだったのか。

 東方の指示を受けて、壇が部室の戸を閉めに立つ。蒸し暑い部屋だが、廊下のドアを開けっ放しでは、ざわざわしてしまってやっていられない。だらだらやるより、さっさと終えてしまおう。そんな南らの意図を感じてか、部員たちがざっと黙る。
「さて。」
 穏やかな南の声が響く。
「ミーティングを始めるが、その前に。」
 一瞬、手元に目を落とした南は、きっと目を上げて、千石を見据え。

「千石。」
 声を掛ける。
「はい?」
 小さい声で控えめに応じる千石に、南は一瞬ためらったが。

「お前、地味禁止。お前に地味は百年早い。修行して出直せ。」
 少し早口に、無愛想にそれだけ言い放つと、また視線を手元のメモに落とした。 

 その言葉に。
 千石は、ちょっとしょんぼりした顔で、南を見返して。
 それから、にた〜っと笑い。
「は〜い!」
 とても元気よく、良い子のお返事をした。

 室町は思った。
 千石さんがつきまとわないと、ますます目立たない南部長の地味さは、半端じゃなくすごい。さすがは南部長だ。
 そんな南部長がどこにいようとも、しっかり見つけ出して、地味だ地味だとつきまとうんだから、千石さんの動体視力もすごい。さすがは千石さんだ。
 と。
 室町が心密かに、部長と副部長への尊敬の念を新たにしたことは、南にも千石にも秘密である。
 そして、新渡米だけは、その事実を葉っぱパワーで悟っていたということは。
 伴爺さえ知らない特別の秘密なのであった。





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