ここにいるよ〜青学篇。





 大石は日誌を書いていた。
 菊丸は日誌を書く大石を眺めていた。
 手塚は大石の書く日誌を眺めていた。
 乾はそんな三人を眺めていた。

 のどかな、部活後の夕刻。

 大石は正直に言えば、人に見つめられるのは苦手だった。見つめられていると思うと、普段だったらできる作業でも、急に手が止まってできなくなる。
 しかし。
 意味もなくつきまとう菊丸と、意味もなく凝視してくる手塚に張り付かれているコトを、いつの間にか全く苦にしなくなっている自分に気付いて、大石は苦笑した。慣れってのは恐ろしいな。もっとも、乾に観察されているのは、なんとなくどきどきするのだが。これだけは慣れない。まぁ、今のところ、乾はペンを持っているだけで、ノートを開いていないし……良いかな。平気かな。
 などという雑念が混じった瞬間。
「大石。」
 唐突に手塚に声を掛けられて。
 目を上げれば、大まじめに手塚が指摘する。
「その字は、書き順が違うだろう。」
「え?あ?そうだったか?」
 そんな和やかな風景を眺めつつ、菊丸は大あくびをし。
 テニス部で部長に書き順指導を受けられるなんて、そうそうないコトだ。
 と。
 乾は、家に帰ったら、このネタを「青学☆素敵ポイントメモ」に書き込む決意を固めたのであった。
 そんなのどかな、部活明けの夕刻。

「あのさ。不二ってば、友達いないのかな。」
 部誌を片づけている大石に、鞄を背負った菊丸が声を掛ける。
「そんなはずはないだろう?」
 穏やかな大石のリアクションに、菊丸は不満げに頬をふくらませ。
「だってさ。不二のやつ、定期入れにサボテンの写真、入れてるんだぜ?普通は彼女とかペットとかアイドルとかの写真入れるだろ?寂しすぎるっての。孤高の天才ってやつなのかな?!」
 それは。
 不二が写真とサボテンが好きで、たまたまサボテンを撮った写真が気に入ったから、定期入れに入れていただけなんじゃないか、と。
 大石は思った。乾も概ね、同じような感想を抱いた。
「ま、不二の趣味だしさ。そういうのもいいんじゃないかな?ところで……」
 にこにこと大石が話題を切り上げたのは、不二に友達がいないはずなどない、と分かり切っていたからで。
 菊丸もあっさりと別の話題に食いついた。菊丸とて、不二に本当に友達がいないなど、思っているわけではない。

 そんなこんなで話題をくるくると回転させながら、菊丸と大石が部室を後にする。
「お先。」
「お疲れ〜!」
 数学の証明問題がどうとかこうとかで、まだ部室に残るという乾と手塚に、大石は尊敬の視線を向け、菊丸は宇宙人でも見るかのような眼差しを送りつつ、扉を閉めて。
 部室には乾と手塚が残された。
 窓から忍び込む夕風がかさりと小さな音を立てた。

 そして、乾が問題集を開き。
「さて、やるか。」
 と、声を掛けたとき、手塚がまっすぐに乾を見つめ、口を開く。

「不二は孤高の天才なのか?」
 いや、孤高も何も、おまえは不二の友達じゃないのか?
 と、ツッコミかけて、乾はすんでのところで思いとどまった。手塚の真意はどこにある?眼鏡を逆光に光らせて、小さく応じる。
「ふむ。菊丸はそう言っていたな。」

 手塚はためらうように黙り込んで、視線をずらさぬまま、しばらくじっとしていたが。
「俺は……青学テニス部の部長で、青学の生徒会長で、青学の柱だ。」
 ゆっくりと呟いた。
「……ふむ。」
 思考をトレースしそこねて、しばし乾は戸惑ったものの。
 なんとなく、その言わんとすることを理解したように思って。

「とすれば、俺は青学のデータマンだ。しかも、青学の逆光眼鏡であり、青学の汁職人でもある。」
 と応じる。
 不二が「孤高の天才」であるように、俺達には俺達のアイデンティティがある。そういうわけだな?

 手塚は、「汁職人なのはあんまり感心しないなぁ」と内心ちょっとだけ思ったが、乾のアイデンティティを脅かすのはよろしくない、と考え、それを口にするのは自重した。
 そして、小さく頷く。
 確かに乾はそうだ。そういう男だ。
 ゆっくりと、手塚は目を上げ、部員達の名を想起した。
「菊丸はどうだ?」
「菊丸か。あいつはアクロバティックプレイヤーで、ゴールデンペアの片割れで、歯磨き大好きっ子だ。」
「そうか。」

「ならば、乾。大石は?」
「大石は副部長だし、世話係だし、ゴールデンペアの片割れだろう。」
「そうだな。」

「では、河村は?」
「タカさんは寿司屋の息子で、バーニングで、青学の良心だ。」
「うむ。」

「不二も孤高の天才なだけではあるまい。」
「そうだな。開眼魔王であり、味覚音痴でもある。」
「そうだったな。」

 乾と手塚はしばらく声もなく見つめ合った。
 みんな忙しいんだなあ。結構。

 そして、ふぅっと手塚が溜息をつき。
 果たして手塚が何を考えていたのか、いまいちよく分からないにしても、とにかく「孤高の天才」という響きに張り合ってみたかったんだろうと、勝手に判断していた乾は、手塚が溜息をついたのに少し驚いた。
「どうした?」
 部室に夕方特有のやけにひんやりとした風が入り込む。

「……いや。」
 手塚が言葉に迷う。そして、先を促すような乾の視線に、ためらいつつ再び口を開いた。
「俺は……秋になったら、何でもない男になるんだと思ってな。」
 何でもない男……?
 乾ははたと気付く。青学部長も生徒会長も、この夏で任期が切れる。青学の柱は越前に受け継がれることだろう。だとしたら。だとしたら、秋以降の手塚のアイデンティティは……?!

 しかし、手塚は動じた様子もなく、しばらくゆっくりと瞬きを繰り返してから。
「仕方がない。」
 穏やかに言った。

「秋になったら、俺は『みんなの友達』になろう。」

 乾は想像した。
 月刊プロテニスかどこかに掲載された記事の中に。

 みんなの友達・手塚国光くん(14歳)

 などと紹介されている写真入りの無表情な手塚の姿を。
 きっとその隣には、「味覚音痴・不二周助くん(14歳)」やら「歯磨き大好きっ子・菊丸英二くん(14歳)」やらの写真が並ぶのだ。
 そして、なんとなく、それはそれで面白い展開だ、と納得し。
 「部長」が「みんなの友達」にジョブチェンジするテニス部なんて、他にないぞ!と心密かにときめきながら、乾は、家に帰ったら、このネタを「青学☆素敵ポイントメモ」に書き込もうと、心に決めたのであった。





ブラウザの戻るでお戻り下さい。