夜の魔法〜氷帝篇。




 夕食を終えて、向日が自室に戻ると、無造作に充電器に突っ込んでおいた携帯が、モノ言いたげにちかちかと光っているのに気付く。
「お?」
 意味もなく長いメールアドレスに設定しているから、滅多に迷惑メールなど届かない。それ自体はありがたいことだけれども、やっぱりメール着信ありという表示は、とてもうきうきするものだから、ホントは迷惑メールが来やすいメアドにしておけば良かったかなぁ、なんて思わなくもない。
 とはいえ。
 やっぱり、一番嬉しいのは、友達からのメールで。
「ジロからじゃん!」
 ベッドに寝転がりながら、さっそく開いてみる。
 芥川からのメールは、いつも通り、必要以上にテンションが高くて。

向日、元気?!オレ、ちょー元気!あのね、さっき、すげー手紙、来た!不幸の手紙かと思ったんだけど、よく見たら「棒の手紙」だった!!ちょーすげー!!その手紙、5人の人に出さないと、棒になるんだって!!マジかっこE!オレ、ちょーわくわくしてる!!絶対、だれにも手紙出さないもんね!!で、オレ、棒になる!!向日、うらやまC?!
PS!
兄ちゃんが言ってた!PSって、プレステなんだって!!じゃね!

 元気って、お前、ついさっきまで一緒に部活やってただろ!
 と、心の中でお約束のツッコミを入れながら、向日は、芥川の意味の分からないメールを三度読み直して。
 やっぱり意味が分からなかったので。
「……俺が頭悪いのかな……。」
 ちょっとだけ不安になりながら。
「侑士に解読してもらおう。」
 ベッドにうつぶせに寝ころんで、ぽちぽちと携帯メールを打った。
 窓の外には、カラスの声が遠く聞こえる。


 何かが振動する音がして、忍足は宿題から顔を上げる。今度はどんな愉快な迷惑メールだ?と期待しながら、鞄の中に入れっぱなしだった携帯を取り出してみれば、ディスプレイには向日の名。
 別に向日からのメールが珍しいわけではないが、さっきまで一緒にいたのだし、と予想できない用件に、タイトルを見れば。
 ジロが棒らしい!
 とのことで。
「なんや?」
 開いた辞書の間にシャーペンを挟み込み、ぱたりと閉じて。机に肘をつき、頬杖状態でメールを読んでみれば。

やっほー!ゆーし!ジロんとこに、「棒の手紙」ってのが来たんだって。オレ、知らないんだけど、「棒の手紙」って何だ?!ジロのやつ、棒になるつもりらしいんだけど、棒って、オレもなれる?!教えて!ゆーし先生!
それからさ、PSがプレステなのは知ってるけど、PSも棒なの?

 軽く頬杖からずり落ちつつも、忍足はにこにこと微笑み。
「岳人は相変わらず、素直な良い子やなぁ。」
 と、呟いて。
 ノートに小さく「不幸」と書き。
 その横に「木奉」と書き。
「噂には聞いていたけど、ほんまにあるんやな。棒の手紙……。」
 ちょっと興味深そうに目を細めた。
 そして。
 せっかくやし、オカルト好きの滝に教えてやろ、と、向日への返信の前に、滝へとメールを打ち始めた。


 薄いカーテンを風が揺らす。そろそろ窓を閉めようかな、と立ち上がった滝の耳に、おどろおどろしい着信音が届いた。
「んー?」
 部活の仲間からのメール専用のその音は、滝の心を弾ませるのに十分な、恐ろしげな響きで。
「誰かなー?」
 額を流れる前髪を軽く掻き上げながら、滝はそっと携帯を取り上げ、忍足の名を確認し、からからと窓を閉めながら、片手でメールを受信した。
 タイトルは「不幸」。なんともぞくぞくするタイトルである。

不幸の手紙のニセモノ、棒の手紙がジロんとこに届いたらしい。ジロのやつ、棒になる気満々みたいやで。俺も一度、その手紙見てみたかったから、見せてもらお思うてる。楽しみや。岳人が何や混乱して困ってるのも楽しい。しかし、何考えてんのかいな。その「棒の手紙」をジロに送ったやつ。
PSって追伸の意味やけど、あれって何の略?プレイステーションってのはなしやで?

 ああ。
 と、滝は頷いて、一度噂になっていた「棒の手紙」に思いを馳せた。「不幸の手紙」が大量生産されていた中で、字の汚い誰かと、意味を考えず再生産した誰かのコラボレーションの結果発生し、なんだか大量に出回ったという「棒の手紙」。現物を見たことのなかった滝は、自分も芥川に見せてもらおうと決意した。
 そして。
 このうきうきする思いを誰かに伝えたくて。
 滝は、ふと、無愛想な後輩の横顔を思い出す。そうだ、日吉に教えてあげよー。
 携帯やらメールやらという文明の利器を頑なに受け入れない可愛い後輩のため、滝は手紙を書いて。
 ベランダに住む鳩にその手紙を託した。
 滝から日吉への連絡手段は、いつだって鳩である。


 日が落ちてから、急に気温が下がった。夜の稽古の後、唐突に襲う夜気に体が追いつかなくて、足早に家に戻り玄関を開こうとした日吉の肩に。
「くるっぽ?」
 ふわりと暖かいモノが停まる。
「……滝さんからの連絡か?」
「くるっぽ?」
 小首をかしげ、愛くるしい目で日吉を見つめる鳩に、うっかりときめきを禁じ得ないまま、日吉はその足に結ばれた薄紙の便箋を受け取る。
 そして、台所で米を数粒失敬すると、大人しく肩に停まっている鳩に、お駄賃として与え、自分の部屋の窓枠に休ませて。
 きぃぃぃんと、姿勢正しく便箋を開けば。

日吉若さま。
 前略。夜のしじまが押し寄せます。いかがお過ごしでしょうか。
 さて、お手紙を差し上げたのは、他でもありません。世の中には、二種類の人生があります。そのことについて、お話ししたかったからです。「不幸」、そして「木奉」。日吉さまはどちらをお好みでしょうか。私は今、「木奉」に夢中です。
 日吉さまにも、夢中になれるような素敵な出会いがありますように。
敬具。
滝萩之介。
 追伸。日吉さまは、Panda SpecialとPink Secret、どちらにときめきますか。

 滝からの手紙が横書きだったのは初めてだったので、日吉は少しどきどきしながら、何度も読み返した。そして、滝さんの言うことは相変わらず詩的で、穏やかで、礼儀正しくて、温かくて、しかもさっぱり意味が分からないと思った。
「くるっぽ?」
 そんなことを考えながら、しばらく鳩と見つめ合っていたが、日吉は唐突に立ち上がると、鋭い口笛を窓の外に放つ。
 数秒後、ばさりという力強い羽音と共に、鷹が現れて。窓辺に伸びる庭木の枝に停まった。鳩は恐れる様子もなく、鷹を振り返り、小首をかしげて見せた。
 その姿を確認すると、日吉は床に正座して、一筆手紙をしたため、鷹の足にくくりつけ。

「長太郎の家に行け。」

 言葉と共に、空に放たれた鷹は、まっすぐにどこかに向かって飛んでいく。
 その背中が見えなくなるまで見送って、日吉は満足げに何度か頷き、再び床に正座して、滝への返信を書き始めた。


 机に向かって、今日の日記を書いていた鳳は、窓の外でばさりばさりと大きな音がするので、びっくりして立ち上がった。きっちりと閉ざしたカーテンを開けば、案の定、そこには見慣れた鷹が旋回していて。
「う、うわあ。」
 おっかなびっくり、手紙を受け取ると、鷹は慣れたモノで、そのまま日吉の家の方角へと、まっすぐに帰ってゆく。
「……用があるなら電話してくれないかな……。」
 呟いても意味がないと分かっていても、ついつい、一人呟いてしまいながら、鳳は鷹から受け取った手紙を丁寧に伸ばして、机に広げた。

 鳳長太郎に告ぐ。
 木奉と書いて、希望と読む。その心は、桃色パンダ。
 日吉若。

 鳳はとりあえず涙ぐんで、今日の日記に「日吉からの手紙は、今日も意味が分からなかった。」と書き、記念に本文を書き写してから、もしかしたら部活関係の大事な連絡だったのかもしれない、と思い当たり、ちょっと慌てた。
 今までも、日吉からの手紙が、大事な連絡だったこともあって。たとえば。
 明日の朝、部室で跡部部長と握手。
 という謎の手紙が、明日は朝練があるよ!という意味だったり。
 眠れ。
 という謎の手紙が、明日は朝練が休みになったよ!という意味だったりしたわけで。
 もしかしたら、今日の手紙も意味があるのかもしれない。
 どきどきしながら、鳳は、携帯を取り出し、何度も文面を書き直しながら、宍戸へのメールをしたためた。


「あー?」
 ポケットの中で、何かが震えだし、宍戸はふと寝入っていた自分に気付いた。付けっぱなしのテレビ。ソファに深く寄りかかったまま、いつのまにかうたた寝していたらしい。寝るつもりじゃなかったんだけどな、と、目をこすりつつ、気怠く携帯を掴み。
「長太郎か。」
 ぼんやりと、液晶に目をやって、ふぅっと溜息をつき、身を起こした。
 タイトルは「こんばんは」と、極めて普通ながら、急ぎの用でもなければ、鳳が宍戸の携帯にメールを入れるなど、滅多にないわけで。

 宍戸さん、こんばんは。夜遅くすみません。
 さっき、日吉から手紙(いつもの鷹のやつです)が来たんですが、やっぱり意味が分かりませんでした。テニス部の連絡網とか、回っているんでしょうか?回っていたら、どんな連絡か、教えて下さい。ちなみに、日吉からの手紙は「木奉と書いて、希望と読む。その心は、桃色パンダ。」です。
 よろしくお願いします。鳳長太郎。

 電話連絡網で、日吉の前が滝なのは適任だと思うんだが、日吉の後が鳳なのは何とも可哀想だ、と、常々宍戸は考えている。しかし、冷静に考えれば、鳳以外では、ますます上手くいかないだろうコトは想像も付く。そんなわけで、心の中で鳳に詫びながら、宍戸は何度もメールを読み返し。
 連絡網なんて回ってないよなぁ。
 と首をかしげながらも、一応、跡部に確認するコトにした。もしかしたら中二にだけ何か回しているのかもしれないし、自分のトコにまだ回ってきていないだけで、連絡網自体は動いているのかもしれないし。

 短い髪を掻き上げつつ立ち上がった宍戸は、サイドテーブルに置きっぱなしで温くなってしまった麦茶を飲み干し、台所の冷蔵庫から冷えたピッチャーを取り出した。そして、片手で麦茶をカップに注ぎながら、片手で跡部に送るメールを打ち始めた。


 跡部が携帯の着信に気付いたのは、風呂から上がってからだった。髪をぬぐいながら、無造作に携帯を取り上げ、メールってどうやって読むんだ?と、樺地に電話を掛けそうになって思いとどまり、三分ほど試行錯誤を繰り返した末、何とかメールを開くことに成功した。
「宍戸か。」
 携帯にメールを寄越すなら、急ぎの用なのだろう。しかし、電話を掛けてこない辺り、そうひどく急ぎでもないのだろう。跡部はゆったりと椅子に腰を下ろすと、冷たい光を放つ液晶に目を落とした。

おい。今日、連絡網回ってんのか?中二。
それから、希望の桃色パンダってのは何だ?

 しばらくの間、跡部は天井を仰いで、何かを考えていたが。
 今度は、俯いて、また何かを考えていたが。
 軽く頭を振って、何か邪念を振り払うと、跡部は通話ボタンを押して。

「樺地。」
 後輩を呼び出した。
「俺だ。今日、中二は連絡網が回ってるのか?」
 電話の向こうで、樺地が短く否定したのだろう。自分の知らないところで、連絡網が動いているわけではないようだ。跡部は安堵したように小さく息を吐き、尋ねた。
「なら良い。ところで、希望色の桃パンダってのは何だ?」


 夜が更けてゆく。
 穏やかな夜の風が、氷帝の良い子達の夢の中に、そっと希望色の桃パンダを届けてくれる。
 そんな優しい夜の魔法と共に。
 静かに、静かに、夜が更けてゆく。




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