「英二、何難しい顔しているのさ?」
昼休みの教室で、窓に額を貼り付けて「むー!」と唸る友人に、不二がからかうように笑いかけた。
「いやさ、明後日だろ?大石の誕生日。」
「プレゼント、考えてるの?」
「そう。」
四月。ようやく新しいクラスにも慣れてきたころ。
誰とでも仲良くできるとはいえ、不二にせよ、菊丸にせよ、二年間部活でずっと一緒だった友人がそばにいてくれるのは、なんとも気が休まることで。
気が付けば、何かにつけて「不二と菊丸はいつも一緒だね」なんて、クラスメイトに言われてしまう今日この頃。
部活中では、別にずっと一緒なわけでもないんだけど。
そんなコトを考えつつ、不二は菊丸の横から窓を覗く。校庭には意味もなく全力疾走する制服軍団。あ。桃だ。あいかわらず、楽しそうだなぁ。走ってるだけなのに。
「不二は何かあげる?」
「そうだねぇ。あげるとしたら何が良いかな。」
「それを今悩んでいるんだっての!!」
菊丸が憮然として言い放つ。
陽射しはもうすっかり初夏の色。窓にかかる木々の影は、濃い緑色に輝いて。
「大石が好きなモノって何かなぁ。」
「大石が好きなモノって言ったら、決まってるじゃん!俺だ!俺!」
「じゃ、英二をあげようか?」
「え?!俺をあげちゃうの?!」
真顔でびっくりする菊丸がおかしくて、不二は小さく声を立てて笑った。ってか、英二ってば「モノ」だったの?と突っ込んでも良かったのだが、そのネタは他の日に使おう、と心のネタ帳に書き留めて、不二は小首をかしげる。
「でも、大石は英二よりボクの方が好きかもよ?」
「え?!んなわけないじゃん!!」
「なんでさ?ボクは英二みたいに大石に迷惑かけたりしないし?」
「んなことないってば!!俺と大石はゴールデンペアなんだぞ!」
ムキになる菊丸にくるりと背を向けて、不二は自分の席に戻りつつ。
「ボク、大石と、本の趣味とかあうんだよね。」
菊丸は一瞬、絶句した。インドア系趣味は、不二には敵わない。
だが、絶句したのは一瞬だけで、菊丸も負けなかった。
「だ、だけど!!俺、大石のこと、好きだもん!」
「ボクだって大石のこと、好き。」
「俺なんか、不二の二倍、大石が好きなんだぞ!!」
「じゃあ、ボクは英二の三倍、大石が好き。」
席に座って、にっこりと菊丸を見やる不二と、鼻息荒く不二を見下ろす菊丸。
クラスメイトたちは、何がどうなったら、そんなあほらしいコトで喧嘩になるのか、と、興味津々に遠巻きに眺めていたが。
ってか、二倍とか三倍とか、両方の数値が成り立つためには、二人とも大石好き度が0なんじゃないか、とか。試しに試算した友人がいたとかいないとかなのだが。
菊丸と不二は、しばらく睨み合い。
「ねぇ、英二。そんなら、二人で大石ファンクラブ作ろうか?」
「よっし!作ってやる!!」
よく分からないところで妥協した。
「ファンクラブって言ったら、会員専用バッジだよな!」
「バッジ?」
「うん!大石大好きバッジ!!作ろうぜ!不二!!」
自分の鞄から、空っぽになった菓子箱を取り出して、菊丸はその厚紙を丸く切り抜き、サインペンで大きく「大石大好き!」と書いた。
「で、この裏に安全ピンをセロテープで留めて、大石大好きバッジのできあがり!」
簡単である。
「端っこに会員番号書こうか。」
「じゃ、俺、一番!」
「しょうがないな。ならボクが二番ね。」
二人がわいわいと謎のバッジを作り始めたので、喧嘩なら野次馬しようと思っていたクラスメイトたちは、別の話題へと関心を移して。
色とりどりのサインペンで、二人は大石大好きバッジを量産し始めた。「大石大好き」という約束のフレーズ以外にも、コメント用の余白まで用意して、ファンクラブ会員たちがそれぞれに大石への愛を叫べるようになっている、多機能なバッジである。
すぐに菓子箱の厚紙はなくなったので、教室の隅に落ちていた空のティッシュー箱が次の台紙となり、それからレポート用紙の一番後ろの厚紙が次の台紙となり。
のどかな昼休みに。
三年六組では大量の大石大好きバッジが作られることとなったのであった。
「あれ?何やってるの?」
おっとりとした声に振り向けば、河村が二人の手元を覗き込んでいて。
「うん?大石大好きバッジを作ってんだ。」
「どうしたの?タカさんこそ。」
目をきらきらさせて、手作りバッジを量産している友人達に、河村は優しく微笑みながら。
「昨日、不二からシャーペンの芯一本借りただろ?返してないコト思い出したから。」
そういって、無骨な手にそっとつまんだシャーペンの芯を、不二に手渡した。
「良いのに。シャー芯くらい。タカさんってば、律儀だなぁ。」
少し照れたように、不二は早口に呟いて、自分のシャーペンにその芯を入れて。
「わざわざありがと。」
軽くノックして、異常がないことを確かめながら、礼を言う。
「ありがとは俺の台詞だよ。」
穏やかに言葉を返す河村の目の前に。
「そんな優しいタカさんには!大石大好きバッジをあげよう!」
菊丸が手作りバッジを押しつけた。
「大石の誕生日に、みんなでこれを付けて、大石に感謝を伝えるんだ。」
不二の唐突な説明に、そんなコトとは知らなかった河村だけでなく、同じく知らなかった菊丸もちょっとびっくりしたのだが。
「そうか。それは良いね。いつも大石にはお世話になっているし。」
河村が納得したように、おっとりと頷いたので。
「そうそう!!そんなわけで、タカさんよろしく!」
菊丸も調子よく、笑った。
そして。
大石の誕生日の朝練のできごと。
「おはようっす!大石先輩!お誕生日おめでとうございます!」
元気いっぱい、部室に飛び込んできた桃城の制服の胸元には、どどんと「大石先輩大好きっすよ!むしろ愛してるっす!」と桃城の筆跡で書かれたバッジ。
横で照れたように俯いている越前の帽子のど真ん中にも、「大石先輩好き好き☆MAGIで恋する五秒前!」と、やはり桃城の手で書かれたらしいバッジ。
大石は、そのバッジが何であるかを問うよりも先に。
「MAGIじゃないぞ。桃。綴りがおかしいよ。それを書くなら、MAJIだろ?」
と爽やかに間違いを指摘してしまって、自分で微妙に凹んだりしたのだが。
四月も末の柔らかな朝の陽射しを、窓越しに浴びながら。
「っていうか、それ、何なんだ?」
「大石先輩への感謝と愛をアピールする好き好きバッジっす!」
分かったような分からないような、桃城の単純説明に。
「たぶん、誕生日のための企画なんだろうなぁ」
と、大石は少しだけ理解しつつ、ちょっと目眩を感じたりした。
そんな中、朝練が始まる時刻が来て。
テニスコートでは、部員達が好き勝手にうろうろしながら、部長の開始の合図を待っている。
「大石!お誕生日、おめでとう!」
「ああ。ありがとう。って、英二、そのバッジは。」
飛びついてくる菊丸の胸元に、見覚えのあるバッジを発見し、大石が恐る恐る尋ねれば。
「大石ファンクラブの会員限定バッジだよん!」
堂々と胸を張る菊丸に、言い返す言葉も見あたらず。
しかし、なんとなく。その「誕生日を祝いたい」という仲間達の気持ちが嬉しかったりもして。
大石は苦笑しながら、菊丸の頭にぽんと手を置いた。
「ありがとう。だけど、手塚に見つかる前に、外してくれよ。俺が恥ずかしい。」
「なんでさ。」
軽く会釈をしながら行きすぎてゆく海堂のジャージの裾には、遠慮がちに「大石先輩いつもありがとうございます」と書かれたバッジが見え。
きらり煌めく逆光の光源のあたりには「俺が大石を好きである確率100%」というバッジを、袖口に下げた乾の姿があり。
「あ。お誕生日おめでとう。」
「15歳だね。大石。」
不二と河村も、しっかり「大石大好き!頼りにしてるよ。」「これからもよろしくね。」というバッジを付けている。
みんなの気持ちは嬉しいけど。
脱力した笑みを浮かべ、だけれども心の中は本当に温かくなりながら。
大石は辺りを見回して。
穏やかな晩春の風の中。
いつも通り、毅然として立つ部長の姿を目にする。
「大石。誕生日だそうだな。」
凛と言い放つその姿は、間違いなく青学の柱。
俺たちをずっと支えてくれた人。そして俺が支えたいと心から願った人。
いつでも、彼の姿を目にすれば、大石はどこかで安心する自分を知っている。
しかし。
今日だけは何かが違った。そして、その「何か」に大石はすぐに気付いてしまった。
そう。手塚の胸元には。
「LOVE大石! 大石FOREVER!」
と。
菊丸の文字で書かれた、大きめのバッジがきらり。
ちなみに、ファンクラブの会員ナンバーはなく、「☆特別会員☆」となっている。
「手塚……それは一体……。」
「大石の誕生日を祝うために菊丸が用意してくれたものだ。」
「……英二……。」
大石が脱力しているからか、あるいはようやくそのバッジの内容に気付いたのか。
手塚は自らバッジを外し、しばらくそれを眺めて。
何かを考えている様子であったが。
「大石。俺はいつもお前に感謝している。」
唐突に手塚が低く呟いた。そして、苦しげに言葉を続ける。
「しかし。俺はお前にその恩を返せていない。」
目を見開く大石。
「そ、そんなコトはないよ。手塚!」
そんなコトはない。そんなハズはない。手塚がくれたモノがどれだけ大きかったか。その恩を返せていないのは、むしろ自分の方で。
手塚に反論しようとして、大石はふと口をつぐむ。
大石の視線の先で。
手塚の手が、そっと大石のジャージに伸びていたから。
「せめて……この俺の気持ちを受け取ってほしい。これが俺の本音だ。」
いつもの固い表情のまま、手塚は大石のジャージに「LOVE大石! 大石FOREVER!」と書かれたバッジを、不器用に留め。
「さぁ。油断せずに行こう。」
満足げに、深く頷くと。
爽やかに晴れ渡る四月の空の下、朝練の開始を宣言した。
その後。
手塚の告白に心打たれたファンクラブ会員全員が。
「愛」の結晶であるバッジを、次々に、大石に差し出したコトは言うまでもなく。
お昼休み。
そして、放課後。
手作りの厚紙バッジの山を眺めながら。
一枚、一枚、丹念に手に取りながら。
ついつい、一人にこにこしてしまう大石の姿があったことは。
みな、本当はよく知っているのだけれども。
大石秀一郎、十五歳の秘密なのである。
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