夜の魔法〜六角篇。





 大型バスがテニスコートの裏手を通って、正門の方に向かうのが見え、窓に額を貼り付けるようにコートを覗いている見知った顔に、佐伯は一瞬だけ、目を奪われた。
「おい。サエ!ゲーム中にぼーっとすんなよ!」
 黒羽のサーブは佐伯のすぐ脇をかすめて。
「大丈夫なのね?サエ?」
「ごめん。ごめん。今、剣太郎が乗ったバスが、そこ通ったからさ。」
 ああ、と。
 樹や黒羽は、佐伯の視線の先を振り返り、小さく微笑んだ。

 今日は中一は校外学習とやらで、朝から出かけていて。
 部活が終わる時間になって、ようやく帰ってきたらしい。
 もう、空は薄暗く、夕方というよりも夜の気配。
「そろそろ、片づけるか。副部長。」
「そうだね。」
 中一部長が留守の間は、もちろん中三副部長が指揮を執るわけだが。
 誰が仕切っても同じなのが、六角の六角らしいところ。

「ボールの数がおかしいのね。」
「おかしいんだったら、笑わなきゃ。くすくす。」
「そういうおかしいんじゃないのね。亮。それに亮はおかしくなくても、ずっと笑ってるのね。」
「そんなコトないよ。俺、おかしくないときには笑わないよ。くすくす。」
「今、何かおかしいのね?」
「ボールの数がおかしいんだろ?くすくす。」

 コートの片隅でボールを入れたかごを抱え、木更津と樹がおしゃべりをしていたところへ。
「ただいま〜!!」
 一年生部長が駆け込んでくる。
「おかえり。楽しかったのね?」
「うん!楽しかったよ!!」
 鞄を背負い、制服に身を包んだまま、やんちゃな笑顔で葵は袖をまくり上げ。
「まだ片づけないでよ。ボクも打ちたい!」
 コートに飛び込んでいこうとする。
「おかえり、剣太郎。もう夜だし、遅いから、明日にしよう。」
 いつの間に現れたのか、佐伯が口を挟み。
「ん?」
 一瞬、苦い笑みを浮かべ。
「……。」
 樹と木更津が困ったように佐伯を見やる。
「計るよ。樹ちゃん。」
「合点。」
 佐伯の言葉に、樹はそっとその場を離れた。
 そして木更津と佐伯が葵に向き合う。

「やだやだ!ボクも打つ!!夜だって良いもん!!」
「ダメ。」
 薄闇をライトが弱々しく照らし、今にも跳ね回りそうなやんちゃな後輩を、二人がかりで押しとどめる。
「そうだ!そうだ!!夜といえばさ!!」
「うん?」
「夜って魔物だね!!ボク、恋に目覚めちゃったよ!!」
「恋?くすくす。」
「ああ。どうしよう!!さっきからどきどきして……!」
 葵は恋に恋する健全な中学生。無邪気な笑顔で、ぶんぶん鞄を振り回す。
 空気は夜の冷たさをはらんでいるけれども、コートを照らす小さなライトのせいか、辺りは涼しくなる気配もなく。人工的な黄色がかった白に包まれて、葵は辺りを見回した。

「ねぇ、バネさんは?!」
「バネはネットしまいに行ってるけど。」
「ああああ。どうしよう!!バネさんって格好いいよね!!さっきさ、バスの中からバネさんがサーブ打ってるトコ見て、ボク、気付いたんだ!!ボク、バネさんに恋してるって!!」
「……はい?」
「くすくす。」

 今日の恋のお相手は黒羽らしい。
 って。
 黒羽はオトコだろうが。
 お前はオンナノコが好きなんだろうが。
 突っ込みたくなる思いをぐっとこらえ、佐伯は辛うじて笑顔をキープした。

「だって、バネさん見てから、ボク、どきどきが止まらないんだ!それに、なんか頬もほてっちゃって。絶対恋だよ!!どうしよう!!ボク、今まで気付いてなかったけど、運命の人はこんなに近くにいたんだ!!」
「……はいはい。」
「くすくす。」

 って。
 惚れるのと運命は関係ないだろ。
 というかむしろ、バネは、絶対運命の人じゃないだろ。
 突っ込みたい思いもないわけではなかったが、放っておいた方が面白そうだったので、木更津はくすくす笑いながら、葵を見守っていた。

「バネさんなんて、ボクよりでかいし、ごついし、オンナノコみたいに柔らかそうじゃないし、可愛くもないし、ときどき意地悪だし、どこが良いのか、良いトコなんて一つも思いつかないよ!!面白い!!なんで惚れちゃったんだろ。分かんないや!!」
 もだもだと身もだえしつつ、葵は募る恋心とは到底思えないような言葉を並べ。
 お前、それ、全然、恋してないだろ、と。
 木更津と佐伯に温かく微笑まれてみたりして。
 そのとき、ぽふっと、大きな手が葵の頭に乗った。
「可愛くなくて悪かったな!」
「バネさん……!」
 背後から現れた黒羽に、葵はがばりと振り返り。
「あのね!ボク、言わなきゃいけないコトがあるんだ!!」
 真顔で、ぐいっと詰め寄った。
「ど、どうしよう!!緊張する!!すごいプレッシャーだ!!」

 木更津と佐伯がモノ言いたげに黒羽に視線を送り。
 黒羽は軽く「分かってる」と頷き返し。

「ボクね!バネさんのコトが!好きなんだ!!!」
 葵の一世一代の告白が、すっかり夜に包まれたテニスコートに響き渡る。
 コートには小さな灯りがぽつんとついているのだけれども、周囲はすっかり夜に閉ざされて。
 しんとした高い空に、葵の声が朗々と駆け抜けて。

「俺も好きだぜ?剣太郎。」
 苦笑しながら黒羽が応えれば。
「ホント?!じゃあ、ボクたち両想いだね!!面白い!!」
 葵は嬉しそうに黒羽に抱き付いた。
「ああ。そうだな。剣太郎。嬉しいぜ。」
 黒羽も葵を抱きしめ返してやる。

 そこへ。
「持ってきたのね。」
 樹がこっそり戻ってきて。
「ごめん。遅くなった。」
「うぃ。」
 首藤と天根も合流し。

「よし。じゃあ、バネ、離すなよ?」
「おう。任せろ。」

 佐伯の合図と同時に。
 みんなで寄ってたかって、葵を押さえつけ。
 樹が持ってきた体温計を、葵の脇の下に押し込んだ。
「わ!何?!何?!なんか、面白い!!」
「じっとしてろ。剣太郎。」
「う、うん。バネさん!愛してるよ!!」
「あー。分かったから。もうちょっと落ち着け。」

 じたばたする葵を何本もの腕が押さえつけ。
 木更津が腕時計から目を上げて、三分経ったコトを告げると。
 樹がそっと体温計を取り出す。

「バネさん。ボク、どきどきして、体中が熱くて、しかもなんかちょっと背中がぞくぞくするんだ……。もう、ボク、病気なのかな!バネさんのコト、好きすぎで、病気になっちゃったのかな!」
「あー。たぶんな。お前、病気だろ。」

 樹が小さくしゅぽっと溜息をつき。
「……38.5℃なのね。」
 佐伯に体温計を手渡して。
「あー。こりゃ、ひどいね。」
 苦笑した佐伯が、葵の頭をぽふぽふと撫でて。

「剣太郎。もう家に帰ろう?」
 優しく声を掛けた。

「やだ!ボク、バネさんとテニスするんだ!」
「テニスは明日な。お前、38.5℃も熱あんだぞ?」
「え?!すごい!!面白い!!高熱テニスだ!!」
「いや、やらなくて良いから。高熱テニス。」

 熱を出すと、なぜかいつも以上にテンションが上がって、おおはしゃぎする葵には、みな、慣れていたし。
 熱を出すと、なぜかいつも恋と勘違いして、辺り構わず告白して歩く葵にも、みな、慣れていたので。

「明日、また遊ぼうな?」
「うん!じゃあ、明日!絶対だよ!!約束だよ!!」

 熱があるとは思えない元気いっぱいの葵の両脇を、黒羽と木更津が固め。
 後ろを天根と首藤が押さえ。
 前を樹と佐伯が歩いて。
 片づけもそこそこに、揃ってコートを後にする。

「みんなで一緒に帰るの、楽しいね!!!」
 ときおり、どこへともなく走り出しそうになる葵を、佐伯が徹底的にマークして。
「剣太郎。俺は抜けないよ。」
「ホントだ!抜けないね!!面白い!!」

 夜の町を、笑いながら歩く。

「バネさん!手、つなご!」
「しょうがねぇな。今日は特別だぞ。」
「剣太郎ってば、小学生みたい。くすくす。」
「そうだね!!登校班みたいだね!!面白い!!」

 街灯のない路を、細い月が照らして。道沿いの灌木をときおり潮風が揺らしてゆく。

 剣太郎の怖いところは。
 熱が出るとテンションが上がるトコじゃなくて。
 熱が下がっても、このテンションが大して下がらないところだ。
 と、首藤はこっそり分析し。

 サエさんのマンマークって。
 試合中にも活躍するけど。
 剣太郎が暴れているときの方が、ホントに役に立ってる気がするなぁ。
 と、天根はこっそり気付いてしまい。

 二人は黙って首を振り、自分の考えを忘れようとしてみた。




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