美術の授業というのは気楽な時間だが、美術の宿題となれば、話は別で。
面倒だし、時間が掛かるし、なかなかやる気が起きないし、やだなぁと。
誰もが思っていた、そんな夏休み寸前のお昼休みのできごと。
「やってらんねぇよなぁ。」
窓は全開だが、教室は座っているだけで汗が噴き出すような蒸し暑さ。昼休みだというのに、遊ぶ気力もわかないのか、ぐったりと席に突っ伏している桜井に、石田が声を掛ければ。
「暑すぎだよな。絶対。」
ようやく顔を上げた桜井が応え。
「それもそうだけどよ。美術の宿題。学校の友達の肖像画描けってやつ。」
石田は、さっき配られた美術のプリントをはらりと桜井の机に載せる。
「あー。面倒だよな。それ。」
家で画材を取り出して、絵を描くだけでも面倒なのに。
友達の肖像画なんて、面倒なコト限りない。
「お前、誰描くの?」
「……桜井。」
「じゃ、俺、石田描くか。」
どうも石田は、面倒だなんだ言いながら、最初から桜井をパートナー指名するために声を掛けていたらしく、桜井も相手が石田なら気が楽でいいや、と受けて立つコトにした。こいつなら髪型簡単だし。深司の髪型とか、めんどそうだよな。さらさらしてて、すぐ揺れるし。
「やっほー!」
石田と桜井が取り引き成立で握手をしているところへ、杏が現れて。
「石田さんと桜井くん、一緒に描くんだ?」
にっこり笑って、話題に参加する。
両腕に抱えた教科書からして、次は移動教室なのかもしれない。たまたま、廊下から教室を覗いて、二人がいるのに気づき、ちょっと通りすがってみたのだろう。
「宿題、私、どうしようかな〜。お兄ちゃんにしようかな〜。」
教室の扉の向こうを、内村が奇声を上げて走っていくのが見えた。後ろから苦笑した森が追いかけてゆく。
「あれ?でも、ダメじゃないかな?橘さんは先輩だからさ。友達じゃないだろ?」
杏の言葉に、石田が少し困ったように応え。
「あ。そうか。友達ってコトは、中二じゃなきゃダメなのか。お兄ちゃんだったら、家でぐーたらごろごろしているトコを見放題なのにな〜。ちぇ〜。先輩はダメか〜。」
杏はちょっとがっかりしたように眉を寄せたが。
「杏ちゃん!置いてっちゃうよ〜!」
廊下から、誰かが杏を呼ぶ声がして。
「あ!今行く!!じゃあね。石田さん。桜井くん。」
杏は手を振って、ぱたぱたと教室を出て行った。
橘さんは。
先輩だから、友達じゃない、かどうかは別として。
杏ちゃんにとっては、先輩である前に、兄なんじゃないか、とか。
桜井は少しだけ気になったが。
家でぐーたらごろごろしている橘さんの絵とかが、廊下に張り出されるのは、なんだかとっても哀しいできごとな気がしたので。
とりあえず桜井は、哀しいできごとを未然に防いだ石田のコトを、心の中でこっそりひっそり褒めてやろう、と思った。
「どうせやるなら、早めにやっちまおうぜ。」
「そうだな〜。でも全国大会終わったあとの方が良いかもな。」
「それもそうか。」
額から流れ落ちる汗が、ぽたりと机にしたたり落ちるような、そんな蒸し暑さの中。
一陣の疾風が駆け抜けて。
あ。涼しい。
と、石田が錯覚し。
あー。こいつ、こんなに暑い中走るなんて、どっかオカシイんじゃねぇのか?ってか、教室走るなよ。狭いんだから。
と、桜井が心配しているコトを知ってか知らずか。
「美術の宿題の話?」
急ブレーキを掛けて立ち止まった疾風、ではなく、神尾が、にこにこと尋ねた。
「おう。神尾も一緒に描くか?」
気を利かせて、石田が誘ってやったが、神尾は首を振って。
「サンキュ。だけど俺、深司描くコトにしたから、いいや。」
「へぇ?深司描くんだ?なんで?」
さっき、伊武の髪は描きにくそうだと思ったばかりだった桜井は、ちょっと興味を惹かれて尋ねる。なんで、わざわざ深司なんか?
「ん?あの髪型がさ。」
そう言って、神尾は小さくにやりと笑い。
「おっと。これ以上は秘密だぜ。」
と。
意味ありげな表情で、低く言った。
「秘密って何だよ。」
好奇心に負けた石田が尋ねれば。
「マネすんなよ?」
釘を刺す神尾。
石田はごくりと唾を飲み込み、大きく頷いた。
「お前、闇夜の黒牛って話知ってるか?」
「闇夜の……黒牛?」
石田は困惑したようにオウム返しに問い返したが、桜井はそのフレーズを知っていて、記憶の糸をたどりながら言葉を選んだ。
「それって、紙を真っ黒に塗りつぶすってやつ?んで、闇夜の黒牛を描きましたって言う話だっけ?」
なんだか、昔話だかとんち話だかで読んだ気がする。
牛の絵が上手いと自称する主人公に、じゃあ描いてみろと誰かが言って。
主人公が描いたのが「闇夜の黒牛」。
この黒牛は完璧だ、どこかオカシイとこがあるか、と胸を張る主人公に誰も言い返せなかった、とかなんとか。
そんな話じゃなかったっけ。
「それそれ!そんで、俺は今回の宿題を闇夜の伊武深司大作戦と名付けた!」
「……あー、だいたい先が読めたぜ。」
石田はまだきょとんとしているが、桜井は机の上にぱたりと突っ伏して。目だけ上げて、神尾の話を促す。
「深司がさ、夜にジャージ着てる後ろ姿を描こうと思うわけよ。」
そのために、首筋まで髪がかかる深司に白羽の矢が立ったというコトか。
なるほどねー。
桜井は、マネしたいとは思わなかったが、神尾にしちゃ、結構考えたんじゃないのか?案外、良い考えなんじゃねぇ?と思った。
そして、そんなモノ、提出したら怒られるだろ、と冷静に思い直し。
俺、暑さで脳みそ茹だってるのかも、と少しげんなりした。
そこへ、釈然としない表情の石田が口を開く。
「でもさ。ジャージ、全部が真っ黒じゃないだろ?線とか入ってるし。」
はっとする神尾。
そして、少し首をひねり。
「じゃあ、線とかだけ入れる。そんなら、良いだろ?」
良いだろも何も、それは肖像画じゃねぇよ。
と、桜井は思ったが、神尾が一生懸命、ない頭を絞って考えているのにほだされて、うっかりツッコミ損ねてしまった。
で、なんで俺、ほだされてんだよ、暑さで脳みそが沸いているのかよ、と改めてげんなりした。
そんなこんなで。
夏休みが終わって、美術の宿題が回収され。
クラスで数人ずつ、選ばれた絵が体育館横の廊下に張り出された。
そんな中に、神尾の描いた伊武像が張り出されているのを見た桜井は、軽い目眩を覚えたが。
風の噂に拠れば。
真っ黒な画面。
(いわゆる闇夜の伊武深司である。)
鋭く走る白や淡色の直線。
(ユニフォームのラインのつもりだな。あれは。と桜井が推測する線である。)
そして、中央で絡み合う白い細い曲線。
(たぶん、あれは「不動峰FUDOMINE」って書きたかったんだろうな。と桜井が好意的に解釈する線である。)
伊武の肖像画として提出されたその「絵」を、美術教師は感激して眺め。
「友人の秘められた内面をここまで鋭く描き出した神尾は、もしかすると抽象画の才能があるのかも知れない……!」
と、迷わずA++という最高評価を与えたのだという。
あくまでも、噂ではあるが。
内申点が上がったんなら、ま、良いんじゃねぇ?
と思って。
桜井は、その絵を見上げつつ、優しく溜息をついた。
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