後輩自慢〜氷帝編。

 ときにはレギュラー同士の試合形式の練習、なんてこともあって。
 当然、コートに入っていない連中は、その練習を観戦することになる。

「やっぱ、侑士、すごいよ。」
 身を乗り出して眺めていた向日さんが叫ぶ。
 忍足さんとジローさんの試合は、目を離す暇がないような熱戦で、向日さんでなくても身を乗り出さずにはいられない。まして忍足さんのコトとなれば、向日さんが落ち着いていられるはずもなく。

「あんなの、侑士じゃなきゃ、返せないよな。」

 心から唸っている。
 向日さんの思考回路は、後輩の俺が言うのもなんだけども、極めて単純で。敵か味方かの二つしかない。味方だと認めてもらえたら、とことんまで大事にしてもらえるかわり、敵だと思われたら、徹底的に目の敵にされる。しかも敵・味方は相対的で。向日さんにとっての究極の仲間は、当然ダブルスパートナーの忍足さんだから、この場合、いかにジローさんと向日さんが仲が良くても、向日さんの応援する相手は忍足さんしかいない。

「なぁ、跡部。すごいよな。侑士って。」

 本当に無邪気な人だから。
 そんな激しい気性さえ、嫌われることはなくて。
 もちろん、跡部さんは俺なんかより、向日さんの性格をよく呑みこんでいる。こういうときは適当に相槌をうっておけばいいんだ。
 けど。

「ふん。あんな球なら、樺地でも打ち返せる。なぁ、樺地?」

 跡部さんは言い返す。
 相槌を求められて、樺地がその大きな体を縮こませ、跡部さんの顔色を伺った。
 けれど、跡部さんはいつもの通り、跡部さんで。
 樺地が俺に逆らうはずなんかない、というか、樺地は当然、あれくらいの球、打ち返せて当然だ、なにしろ、俺の樺地なんだからな、という信じ切った目をした跡部さんを前に、樺地が「できません」なんて言えるはずもなく。

「……ウス。」

 消え入りそうな声で、返事をした。
 ここで、「俺でも打ち返せるぞ。」と言わずに、「樺地でも。」と言うあたりが、跡部さんの不思議なところ。そこには「樺地が打ち返せる位なんだから、格上の俺が打ち返せないはずないだろ。」というニュアンスが含まれているのだけれど、それ以上に、なんていうか、「俺の樺地はすごいんだぞ。」って自慢しているように聞こえる。
 確かに樺地って、自分から進んで人の輪に入ったり、率先してグループを作ったりするタイプじゃなくて、むしろみんなに好かれてるけどなぜか教室の隅で一人でいることが多いようなやつだったから。樺地のそういうトコ、心配して、跡部さんが何かにつけて声を掛けていたのは知っているし。樺地、人が良いから、跡部さんはすごい可愛がっている。それも分かる。
 なんだかんだ言って。
 樺地だって、そうやって面倒をみてくれる跡部さんのこと、慕ってるしな。
 厳しい人だけど。
 ちょっとわがままだけど。

「そんなわけないだろ。樺地じゃ無理だって!」

 軽く、跡部さんの樺地自慢を聞き流せば良いところなのにな。
 悪気はないんだけど、向日さんは正直すぎて、そのへんの機微とか駆け引きとか、できない人だから。
 狼狽えるのはもちろん、樺地一人。
 跡部さんは腕組みをして、鼻で笑うのだ。

「ふん。できるさ。樺地はなんだってできる。」
「じゃあ、ムーンサルトはできるのかよ。」
「ああ、できるさ。やってみればな。」
「んなわけ、ないだろ!」
「いや、できる。」

 跡部さんと向日さんの論争の横で、樺地が顔色を失っている。
 ……そりゃ、そうだろうなぁ……。
 できないって。ムーンサルトなんて。

「絶対できないねっ!」
「できる。なぁ、樺地。」

 優しい笑顔を浮かべて跡部さんが樺地を振り返る。
 その信じ切った表情、その温かい微笑みの前では、樺地のあらゆる思考回路は崩壊するらしく。

「…………」

 どうしたって「できない。」とは言えない。
 目を泳がせることさえできない。

「な?できるだろ、それくらい。」
「…………ウス。」

 畳みかけられれば、うなずいてしまう、哀しい性。
 でも、今日はタイミングが良かった。
 樺地の返事と同時に、練習試合が終了して、向日さんと樺地が呼ばれる。向日さんはいらいらしながら、樺地はおろおろしながら、コートに向かった。
 二人が声の届かない距離まで離れてから、今までずっと沈黙を守っていた宍戸さんが口を開く。

「なぁ、樺地で遊ぶの、いい加減にやめてやれよ。」

 跡部さんは口元に笑みをはいて、しかし断言した。

「俺が俺のモノで遊んで何が悪い?」

 その言葉に、とりあえず、宍戸さんはフリーズした。
 そりゃ、そうだ。こう返されちゃったら、これ以上、言葉なんかあるモノか。
 っていうか、跡部さん、樺地ができないって知っていて、ああいうコト言ってたのか。
 わざわざ樺地、困らせて。
 意地悪だっていうより、なんていうか、跡部さん、どうしてそうなのかな。
 薄々、そうじゃないかとは思っていたけど。
 この人の「お気に入り」をやっているのは、大変だ。
 可愛がられるのは大変だ。

 汗を拭きながら、ジローさんと忍足さんがこっちに戻ってきて。
 俺は一刻も早く話題が変わって、この場の空気が和むことを心から祈った。そうじゃなきゃ、俺の胃に穴があく。宍戸さんだって、跡部さんたちほどタフじゃないし。
 俺の祈りが届いたのか。忍足さんが口を開いた。

「なんや、岳人のやつ。すごい集中力やな。」

 コートの向日さんを見て、びっくりしたように言う。
 確かにあの気分屋の向日さんが、練習試合とは思えないほどに集中していた。

「ちょっと挑発してやったからな。」

 さも可笑しそうに笑う跡部さんに、宍戸さんは遠い目をしたが、忍足さんはおだやかに微笑んだ。

「なるほど、さすがは部長。練習で岳人をあれだけ集中させるとはな。大したもんや。」

 ある意味、跡部さんは本当に優秀な部長なんだろう、とは思う。
 だけれども。
 正直に言って。
 跡部さんに気に入られたのが俺じゃなくて樺地だったことに、これほど感謝した日はない。俺のダブルスのパートナーが宍戸さんで、跡部さんじゃなかったことが、ここまで嬉しかったこともないだろう。

 あの日以来。
 樺地はいつも、食い入るように向日さんのムーンサルトを観察している。
 その樺地の姿を眺める跡部さんは、本当に幸せそうで。
 俺にはもう、何が何だか分からない。




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