幸福の若白髪〜氷帝篇。
それはまだ、滝が中二で、日吉が中一だったときのこと。
朝練の終了後、授業のために着替えていた氷帝テニス部の部員達は。
日吉が静かに、きぃぃぃんと滝の側に歩み寄ったコトに気付かなかった。
「滝さん……。」
「んー?」
「白髪です……!」
凛とした演武のポーズで、そのポーズは日吉流古武術では「見いだせし山羊」という構えらしいが、まぁ、それはともかく、日吉は滝の髪を指さしてそう宣言し。
秋の終わりの冷たい空気の中、だるそうに滝は自分の髪に手を伸ばした。
「あー。ホントだねー。」
一筋、まっすぐな白い毛が光って。
指先で摘み上げ、滝は小さく溜息をついた。
「やになっちゃうなー。」
そして、しばらくその髪を見つめ、えいっとばかりに引き抜いた。
「ありがとねー。危ないトコだったー。」
「……危ない?!」
日吉の姿勢が変わる。日吉流古武術における「驚ける蛙」という構えらしいが、まぁ、そんなコトはどうでも良いコトで。
「ほら、俺って氷の妖精さんでしょ〜?」
「……?!」
日吉の姿勢が「仰天せし瓢箪」に変わったが、まぁ、それは別の話として。
部室の喧噪の中、日吉と滝の会話に聞き耳を立てる者もいない。
「冬が近くなると、俺ってどうしても冬毛になっちゃうんだよねー。」
「……冬毛……!!」
「氷の妖精さんって可愛くて珍しいでしょー?だから、悪い人に見つかったら、俺、外国に売り飛ばされて、見せ物にされちゃうんだよー。」
「…………見せ物…………!!」
日吉は一瞬「愕然とせしかまいたち」の姿勢を取り、そのまま二歩後ずさった。
「だから、冬毛は染めるんだけどねー。」
滝は哀しそうに目を伏せ、手のひらで髪をそっと撫でる。
「狼狽えしちりとり」の構えで、日吉はひとしきり言葉に迷い、それからようやく「閃けるひよこ」の構えで声を掛けた。
「坊主にしたらどうでしょう?!」
にっこりと、滝は微笑んで。
「んー?」
と曖昧な返事を返し、首をかしげて日吉を見つめていたが。
「氷の妖精さんにはね、髪はセクシー系っていう掟があるんだよー。」
優しく日吉を教え諭して、髪を掻き上げながら滝はのんびりと部室を後にした。
その日一日、日吉は悩み抜いた。
休み時間も授業中も放課後も、ひたすら「悩めるアライグマ」の構えで悩み抜いた。
敬愛する滝さんが外国の見せ物小屋に売られないようにするために、どうしたらいいのか。
しかし、そのような国際的人身売買組織、いや、妖精さん売買組織を相手に、ただの中学一年生である日吉若が太刀打ちできるはずもなく。
翌日。
思いあまって日吉は相談を持ちかけた。同じように敬愛する先輩である向日と芥川に。
「あー。その話、滝から聞いたんだ?」
こくこくと頷く日吉に、向日と芥川は目を見合わせた。きっと滝に適当なコト、教えられたんだな。こいつ。
「ま、うちは氷帝だからな。氷の妖精さん、結構いるんだぜ?ジローとかかき氷の妖精さんだし、俺だってシャーベットの妖精さんだからな。」
「俺、かき氷、好き〜。」
「……!!」
向日の言葉に日吉は目を見開いて、「おったまげしピーマン」の構えを取る。よくよく日吉流古武術は日常に役に立つ構えを研究し尽くした武術である。
部活開始前、朝の風が穏やかに部室の窓を叩く。
まだ滝は登校していなくて。
「俺らはまだ良いけど、滝は純粋な氷の妖精さんだから、夏弱いんだよな。」
「そうそう〜。滝はすぐ夏ばてするよね〜。」
日吉は思い出していた。夏の練習中、よく滝がふらふらと木陰に座り込んでいたことを。
そして反省した。なんて体力のない人なんだ、と冷たい目で見ていたモノだが、もっと冷たい目で見てやれば良かった……!と。氷の妖精さんだったら、冷たい方が嬉しかったに違いないのに!!
挨拶を交わしながら、一人、また、一人と部室に生徒が姿を見せる。
身支度を調えた向日がうーんと伸びをして。
「あのな。ここだけの話、侑士は冷凍ミカンの外側についてる氷の妖精さんだからね。」
「俺、冷凍ミカン、好き〜。」
日吉は。
なんとなく、確かに忍足さんは冷凍ミカンの外側についてる氷っぽい、と思ったが。
その根拠が自分でもさっぱり分からなかったので。
部室の片隅で眼鏡を拭いている忍足に一瞬目を向けて、そのままそっと目をそらした。
「冷凍ミカン、食うときには、ちょっとだけ侑士のこと思い出してやって?」
「……はい!」
秋の終わり、あるいは冬の初め。
寒いというには温い空気が、そっと耳元をかすめて。
まだ滝は姿を見せず。
「……。」
「滝のコト、気になる?」
「……はい。」
もうすぐ部活開始の時間。
滝は朝に弱いみたいだが、朝練に遅刻することなど、滅多にないのに。
日吉は「苛立てる根粒バクテリア」の構えで、何度も時計を見上げた。
「攫われちゃったかなぁ。滝。」
「今ごろ、もう、船の中かも〜。」
芥川と向日が、にこにことそそのかすものだから。
日吉はすっかり「動揺せし乳酸菌」の構えで、おろおろと身も世もなく狼狽えた。
そのとき。
ばたん!
と扉が開く。
「間に合ったー!!」
叫びながら駆け込んでくる滝。
その姿に、日吉は心からの安堵を見せて、ほっと深く息をつく。
「どうしたのー?日吉?」
慌てて着替えながらも、いつもの穏和な口調で日吉を振り返る滝。
「日吉ってば、滝がなかなか来ないから、攫われちゃったかもって思ってたらしいよ。」
くすくす笑って、向日が密告し。
「んー?」
シャツのボタンを外しつつ、滝は小首をかしげた。
「うふふー。ありがとー。 俺、可愛いから、気を付けるねー。」
窓の外で部活開始の笛の音がする。
芥川と向日が連れ立って「先行くよ〜!」と扉をすり抜けてゆくのを見送りながら。
滝さんは、きっと攫われない。
「安堵せる耳たぶ」の構えで、日吉は根拠もなく確信した。
彼は自分の直感を信じる質であったので。
その確信に満足して、何度か頷くとグラウンドに出て行った。
冬が始まりを告げるころのコトであった。
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