幸福の若白髪〜六角篇。
佐伯が、レギュラー陣に集合をかけたのは、お昼休みのコトであった。
深刻な表情で、全員の顔を見回して。
「哀しい話があるんだ。」
細かくまばたきを繰り返し、佐伯は低く宣言した。
部室には、葵、天根、木更津、黒羽、首藤と、いつものメンツが揃って居るのだけれども、そんな中、絶対聞こえるはずの鼻息が聞こえない。樹ちゃんがいない。樹ちゃんだけ、いない。
まさか、樹ちゃんが事故にでも遭った?!
ふと木更津が眉を上げて不安げに佐伯に視線を送った。そんなはずはない。さっきまで同じ教室で授業を受けていたんだから。
じゃあ、なんだ?
みなの視線に促され、一度うなだれるように俯いて、それからキッと顔を上げた佐伯は、低い声でこう告げた。
「樹ちゃんに……白髪があったんだ……。」
その言葉は。
一同に多大な衝撃を与えた。
「樹ちゃんに白髪……!!」
「……可哀想……樹ちゃん、苦労してる……。」
「誰だよ!! 誰が樹ちゃんに苦労かけてるんだよ!!」
部室は大騒ぎである。
誰もが深刻な顔で、深刻に悩んだ。
「亮はクラスメイトだから、一番、樹ちゃんに迷惑をかけている可能性が高いんじゃないか?」
「何言ってるんだよ。サエ!それなら、ダブルスパートナーのサエの方が、絶対、迷惑かけてるってば!」
佐伯の指弾に、木更津はいつもの微笑さえ消して、むきになって言い返す。ありえない。自分が樹ちゃんを困らせているなんて……!
木更津の反論を受けて、佐伯は顔色を変えた。
「そんなはずないだろ!!俺と樹ちゃんは阿吽の呼吸で、仲良しダブルスペアなんだからな!!」
確かに佐伯と樹のダブルスが、呼吸も合っていて仲良しペアであることは、六角の全員が認めるところである。それ以上は誰も反論を差し挟まず、佐伯は矛先を天根に向ける。
「じゃあ、ダビデ!」
「うぃ?!」
「お前がくだらないダジャレばっかり言ってるから、樹ちゃんがストレス溜まってたのかもしれないぞ!」
「俺のせい……?!」
きょとんと自分を指さして、心底びっくりしたように天根は問い返す。そんな、自分のダジャレがつまらないなんてコトは……ありえないし……。むしろ、自分は樹ちゃんに安らぎと癒しを与えているんじゃないか……?と、天根は考えたが、もともと舌足らずなイキモノであったので。
「俺……樹ちゃん、好き。」
と、全く関係ないコメントしか言えなくて、少し歯がゆい思いをした。
そこで助け船を出してくれたのは、黒羽で。
「あー。樹ちゃんはよ。ダビデのくだらねぇつまらねぇ最悪のダジャレ、慣れてるから、今更そんなんでストレス溜めたりしねぇんじゃないかな?」
天根は、バネさんが助けてくれて良かったような、よけい傷ついたような複雑な気持ちで、だけど一応「うぃ。」と小さく頷いておいた。
「じゃあ、バネ!お前はどうだ?!」
「俺か?!」
「この前、お前、樹ちゃんの弁当から、卵焼きパクっただろ!」
「先週の話だろ!それ!ってか、樹ちゃんがくれるって言ったんだよ!あれはよ!」
だんだん、話が低次元になってきたなぁ、と首藤は思った。
だが、やはり樹ちゃんが悩んでいるとしたら、その原因を追及し、解明し、解決しなくてはならない。それが六角テニス部の宿命であり、至上命題でもある。
「んなコト、言ったら、サエだって、昨日、樹ちゃんのソーセージ、食ってたじゃねぇか!」
「あれは樹ちゃんがいらないって言ってたから!!」
どんどん、話が低次元になってくるなぁ、と首藤は改めて思った。
まぁ。
樹ちゃんのコトに関しては、みんな、本当に真剣に悩んで居るんだ。たぶん。
だから仕方ない。うん。仕方ない。
「それよか!そこで冷静な顔してる聡!」
「な、なんだよ。バネ!」
「お前、樹ちゃんに後ろめたいコトあんだろ!!」
いきなり話を振られて、首藤は狼狽えた。自分に限って、樹ちゃんを困らせたりしているはずはない。絶対にそんなはずはない。後ろめたいことなんか!
「そうだよな。バネ。聡もアヤシイよな。樹ちゃんの妹狙ってるもんな。」
「な、なんだよ!!それ!!別に狙ってねぇよ!!」
「いや。俺は抜けないよ?聡。お前、樹ちゃんの妹見るときだけ、やけに優しい目してる!」
や。それは、樹ちゃんの妹だからであって。樹ちゃんに似て可愛いなぁって思っているだけで。別に狙ってるとか、だから後ろめたいとか、そんなコトはないわけで。
と、思ったものの、首藤は言い返すのをやめた。言い訳にしか聞こえないだろうし。
それに、もっと大事なコトを思い出したからである。
「剣太郎!」
「な、何?!」
「お前、この前、樹ちゃんとダブルス組んだとき、わざと何ゲームも落として、樹ちゃん困らせてたよな!!」
首藤の指摘に。
一同ははっとして葵に目を向ける。
そうだった!あのときは、明らかに樹ちゃん、困ってたぞ!!
一瞬にして犯人扱いの眼差しが葵に集中し、さしもの葵も冷や汗を慌ててぬぐう。
「あれは……ほら! プレッシャーがあった方がゲーム面白いから!!」
「樹ちゃんはそのプレッシャーが辛かったのかもしれないぞ!」
「そ、そんなコト、ないよ!!」
否定しながらも「剣太郎はホント困った子なのね。」と樹ちゃんが呟いていたことを、ふと思い出す。
普段から先輩を先輩とも思っていない葵だが。
いや、そもそも六角という学校は、先輩だの後輩だの、あんまりうるさく言わない学校なのだが。
それにしたって、樹ちゃんを困らせたのが自分だとしたら、部長の面目が台無しである。
葵は焦った。
「すごいプレッシャーだぞ、面白い!」
焦りすぎてうきうきしてきた。
部室は真夏の鬱陶しい湿気に満ちて、そこに少年達の熱すぎる魂が融合し。
みな、眉を寄せて、額の汗をぬぐう。
そこへ。
「こんなトコで集まってたのね。」
のんびりした声が聞こえて。
部室の扉の陰から樹が姿を見せた。
「樹ちゃん……!」
険悪な雰囲気、深刻な表情。
なんとも六角テニス部に似つかわしくない部室の空気に、樹は首をかしげ。
「どうしたのね?みんな。」
困惑したように尋ねた。
「い、いや。ちょっとあの、いろいろ、あの悩みとか、相談していて。」
しどろもどろに佐伯が答えれば。
「……しゅぽ……。」
樹は、なんだか気合いの抜けた溜息をつき。
「悩み……なのね。」
哀しそうに俯いてしまう。
今度こそ、部室に緊張が走った。
樹ちゃんが哀しそうだ……!!
ってか、樹ちゃんは何か深刻な悩みを抱えているらしい……!!
動揺と不安と天根が部室を駆け抜ける。
「おい!ダビ!意味もなく走るな!」
「……う、うぃ!」
佐伯が恐る恐る、樹の顔を覗き込み。
「樹ちゃん……何か悩んでるの?」
柔らかい声音で問いかければ。
樹は俯いたまま、首を横に振った。
「悩みなんて、ないのね。」
その会話の最中、首藤は樹の額の左側に、一筋の淡く光る白髪があることに気付いて、はっとした。木更津も気付いたのだろう、首藤に軽い目配せをして。
やっぱり樹ちゃん、何か辛いんだ……。
やりきれない思いに襲われる。
「俺たちに言えないような悩みなの?」
ゆっくりと、佐伯が重ねて問う。
すると樹は静かに目を上げて。
「違うのね……。俺は悩みがないのね……。だから俺は、みんなの悩み相談に参加できないのね……。それが俺の悩みなのね……。」
まっすぐな眼差しで、佐伯に、そして部室の仲間達に訴える。
「俺も悩みがほしいのね。そしたら悩み相談の仲間に入れるのね。」
樹が開けたままにしている部室の扉から、生ぬるい夏の風が吹き込んで。
さらさらと、床の砂利をなぞって消えた。
「……樹ちゃん……。」
部員達は言葉も見つからず、樹を見つめていた。
どうしてあげれば良いんだろう。
「樹ちゃん……あのな。悩みがないっていう悩みがあるんだったら、もう悩まなくて良いんじゃねぇかな?」
自分でも釈然としないまま、黒羽が言葉を選びつつ、アドバイスすれば。
「悩まなくて良くなったら、俺、悩みがなくなっちゃうのね……。」
樹も困ったように反論し。
またしても、部室は沈黙に閉ざされる。
そのとき、いつの間にか樹の横に移動していた天根が、そっと手を伸ばし。
「サエさん。樹ちゃんの白髪、どこにいったか知らがい?」
と尋ねて。
背後から。
どげしっ!!
と、激しい蹴りを食らった。
「つまんねぇコト言うんじゃねぇ!!」
しかし、そのとき一同ははっと気付いたのである。
「樹ちゃん、知ってた?ここに白髪あるって。」
「え?どこなのね?サエ。」
佐伯がそっと樹の白髪をつまみあげ、樹の手を取ってそれを確認させると。
指先では色など分かるはずもなく、樹はそれが白髪であるかどうか、分かりかねる様子でしばらく固まっていたが。
「白髪なのね?」
誰に尋ねるともなく、確認した。
そして。
「白髪があるってことは、樹ちゃん、悩みがあるってコトだろ?」
「うん!! 樹ちゃんも立派に悩みがあるよ! 面白い!!」
「くすくす。だからもう悩まなくても良いんだよ。」
黒羽、葵、木更津がたたみかけるように説得して。
樹はようやくふわりと微笑んだ。
「そうなのね?俺も悩みがあるのね?」
そして「六角テニス部主催☆樹ちゃんの悩みを解決する会」は、「祝☆樹ちゃん悩み発見記念パーティ」へと変貌を遂げた。
一同は、今が昼休みであり、自分たちはお腹が減っているのだというコトを思い出して、それぞれに弁当を広げ。
和気藹々と、楽しいランチタイムに突入した。
首藤は。
樹ちゃんにとって、あの白髪はある意味幸福の若白髪だったなぁ、と思いながら。
だけど、あれが悩んでいる証拠じゃなくて、幸福の予兆だとしたら、樹ちゃんの悩みがなくなっちゃって困るなぁと心配し。
なんか、よく分からなくなってきて。
もうどうでもいいや。と思い直した。
一方。
天根は。
樹ちゃんに悩みがあるのが分かったのは良かったけど、その悩みって結局なんだったんだ?
と首をかしげて、しばらく悩んでいたが。
面白いダジャレを閃いたので、そっちの悩みを忘れてしまった。
しかし、そのダジャレも口にする前に結局忘れてしまって。
ま、良いか。と天根は黒羽の弁当箱から、ハムを一切れ勝手に頂戴して、ひっぱたかれた。
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