幸福の若白髪〜山吹篇。
「うわ。南ってば苦労人!」
背後でやかましい声がした。
俺が苦労人なのかどうかは分からないが、もし苦労人なのだとしたら、間違いなく千石清純氏本人のせいだと断言できる。そんな俺の確信を知ってか知らずか。脳天気な声を上げる千石に俺はしぶしぶ振り返った。
「うわあっ!動いちゃダメだってば!」
呼びかけておいて、振り向くなとはまた無茶な要求だな。お前。
少し不機嫌になりながら、俺は目を上げた。
時は二時間目と三時間目の間の休み。教室は賑やかで。千石さえ来なければ、俺はきっと幸せな休み時間を満喫しているはずだった。や、別にこいつが来たところで、かまいはしないんだけども。
千石は俺の頭のてっぺんをまじまじと眺めて。
「うーん。南。お前、白髪あるよ?」
「はぁ。」
真顔で哀しげな声を上げると思ったら、そんなコトか。
「苦労してるんだね。」
「誰かさんのせいでな。」
「ホントだよな!!亜久津は南に謝るべきだよ!!」
「……そうだな……まぁ、亜久津もな。」
こいつは絶対苦労してない。少なくとも気苦労という言葉とは無縁のイキモノだ。
俺は溜息をつく。
「ダメダメ。南、溜息なんかついたら、ラッキーが逃げちゃうよ!!ただでさえ幸薄い苦労人なのに!」
千石の質が悪いトコは、悪気がないというトコだ。これで悪意があるのなら、俺にだっていくらか対処のしようがあるのだが。千石は純粋に俺のためを思って、忠告してくれている。
まぁ。
だからこそ腹が立つコトもあるわけだが。
「あのな!なんだよ、その幸薄い苦労人ってのは!!苦労人なのはともかく幸薄いってのは聞き捨てならねぇぞ!」
「えー、南は絶対幸薄いって。」
そんな真顔で失礼なコトを言うな!そりゃ、千石ほどラッキーじゃないかもしれないけどな。俺は。
というか、名乗っているわりには、千石はあんまりラッキーじゃないし。良いんだけどな。ラッキーなんかじゃなくてもな。
とにかく!
俺は幸薄くなんかないぞ!!
ゆっくりと俺は立ち上がる。別に千石につかみかかりたいわけじゃない。ただ次は移動教室だったからな。そんな俺の背後で千石はびっくりしたような声を上げる。
「あああ。南、動いちゃダメ!お前、でかいんだから、白髪、見失う!!」
「良いだろうが。白髪くらい見失っても!」
「折角抜いてあげようと思ったのに。」
「抜かなくて良い。若白髪ってのは幸福の兆しだって言うしな。」
俺の言葉に、千石はぱっと目を輝かせた。
「ホント?!」
「迷信だけど。」
嬉しそうだな。こいつ、幸福とか幸運とかその手の迷信、好きだからな。
机の揺れる音、鞄を開ける音。クラスメイトたちが三々五々教室移動を始める。
必要なのは教科書と、それから。
机の中を覗くように、すっと身をかがめた俺の頭を。
正確には、頭のてっぺんの髪一本を。
千石がきゅっと掴んだので。
「おい!何すんだ!」
身動きが取れないまま、俺は怒って声を荒げた。
「いやん。南くん、怒らないで!」
怒らないでと言われようがなんといわれようが! 俺には間違いなく文句を言う正当な権利があると思う。何が哀しくて、いきなり髪を一本だけ掴まれなきゃいけないんだ。
「何って、ラッキーのお裾分け〜。」
ムリに視線を千石に向ければ、にたにたと幸せそうな笑みを浮かべる男が一人。
何だよ。そのラッキーのお裾分けってのは。
教室は次第に人影がまばらになってきて。
早いトコ、移動しないと、教室のカギ当番に悪いからな。
俺はムリヤリ千石の手を払って、荷物をまとめた。
「お前はラッキー千石なんだから、今更、幸薄い俺のラッキーまで欲しがらなくても良いだろうが。」
目も上げずに嫌味の一つも言ってやれば。
「違うってば。俺のラッキーはこういう日々の努力で成り立っているの!!健気に毎日ラッキーのために努力しているわけよ。」
「努力ね……。」
人の白髪をつまむのが努力ですかね。千石さん。そんなんでラッキーになれるものですかね。
「ほら、前、なんかの授業で習っただろ?ラッキーは1%の才能と99%の努力からなるって。」
「格言を勝手に変えるな。」
「あれ?違ったっけ?」
「全然違う。」
「あ、分かった!ラッキーの半分は優しさでできています、だ!」
それは間違っている以前に、ラッキーのために努力するという話にも関係なくなってるぞ。
と、突っ込んでやる気も失せて。
俺は無言で千石の額をぴしっと手のひらで叩いてから。
さっさと教室を出た。後ろから慌てたように千石も付いてくる。
チャイムまで、あと1分半。ちょっと急がねぇとな。
次の休み時間は平和だった。
しかし、昼休みになると、東方と一緒に弁当を食っていた俺を、背後から千石が襲い。
「あー。白髪、どこか行っちゃった!!」
がしがしと無遠慮に人様の髪を弄くり回す。そして。
「あった!あった!もう、どこ行っちゃったかと思ったよ!」
大仕事でも成し遂げたような満足感さえ漂わせて、千石はふぅっと息をつき。
「またなくなっちゃうと大変だから、何とかしないとね!」
一人で何度も頷いて、俺の背後から姿を消した。
「……今、あいつ、何やってたんだ?」
嵐のように現れ、そして去っていった千石を、東方は黙って箸をくわえたまま、眺めていたのだが。
ようやく我に返ったかのように事情を尋ねて来て。
俺は仕方なく、さっきのできごとを説明する。幸福の兆しなんて言わなきゃ良かったんだよな、と今更ながら後悔しながら。
そして。
東方に「まぁ、そんなコトもあるよ。」と全く役に立たない慰めの言葉をもらい。
そうだな、そんなコトもあるよな、と自らを慰めていた俺は。
実際、幸せだったのかもしれない。
その二分後に。
満面の笑みを浮かべた千石が戻ってきたのに気付くまでは。
「南!これでもう素敵な白髪を見失うコト、ないよ!」
難しいミッションをクリアしたかのように誇らしげに、千石が俺に見せたのは。
紅の細いリボンで。
「……一応、聞くけど、これは何のつもりだ?千石。」
握りしめたリボンをそっと握り直して、千石が応じる。
「クラスの女子に借りた!紅くて可愛いっしょ!!」
「可愛いかどうかを聞いてるんじゃねぇ!何に使うつもりだ?!」
「決まってんじゃん!このリボンで南の大事な白髪を守るんだよ!他の髪と混ざらないようにしなきゃいけないしね!!」
一本だけの髪をリボンでしばったら、それは髪が抜けるんじゃないだろうか。
ってか、いくら細いリボンでも、一本の髪をしばるコトなんかできないんじゃないだろうか。
東方は、箸で煮豆をつまんだまま、見事に凝固している。大きい図体して、ホント器用なやつだな。こいつ。
ああ。
クラスのざわめきが急に遠く聞こえるのは。
なんか、きっと。
気のせいじゃない。
「南、似合うよ!!」
ふと我に返れば、いつの間にか、千石が俺の正面に立っていて。
「似合う?!」
頭上の違和感。
あああああ。こいつ、マジで髪をリボンでくくりやがった……!!
ほどこうと伸ばした手を、千石に掴まれて。
「折角頑張ったんだから、ほどかないでよ、南。」
真顔で哀願される。いや、お前が頑張ったかどうかはこの際、全く関係なくてだな。
そう思ったものの。
東方がぱくりと煮豆を口に入れて。
「……。」
無言で俺の頭上を眺めてから、もうそのまま無言になってしまったものだから。
俺もなんとなく言葉が出なくなって。
あああ。もう勝手にしやがれ。
全部、どうでも良くなってしまった。いいや。リボン巻いたまま、昼休みくらい過ごしてやる!
千石は上機嫌で俺の背後をうろうろしている。
「新渡米!見て!見て!」
しかも、周りのヤツを呼び止めるし。やめろ。そういうコトは。頼むから、お前一人で味わうだけにしといてくれ!
俺は箸で摘み上げたポテトフライを、そのまま弁当箱に戻して、千石に抗議しようとし。
振り返り様に、新渡米と目が合う。
「……。」
新渡米はじっと俺の頭上のリボンに目をやり。
「……。」
なぜか俺はじっと新渡米の頭上の芽を見やり。
その瞬間、間違いなく俺たちの間には分かち合うべき温かい何かが生じていた。だが。新渡米は切なそうに目を伏せて。
「……千石。リボンは紺か黒と校則で決まっているのだ。」
それだけ小さく呟いて、そのままどこかへ行ってしまった。
俺にじゃなくて、千石に突っ込んでくれてありがとう。新渡米。
いつの間にか芽生えた温かい思いを胸に、俺は新渡米の芽を見送ったが、千石はひどくご不満の様子で。
「紅いから良いんじゃんね。新渡米、全然、分かってない!」
と憤慨した。
「地味な幸薄い南くんをラッキーで派手な南くんにしようと思ったのに!紅白でおめでたくしたのに!!紺のリボンじゃ地味なままじゃないか!黒いリボンで白髪を結ったら、白黒で縁起悪いじゃないか!!」
なんていうか。
悪気がないにしたって、腹が立つコトはあるわけで。
俺はまた溜息をつく。
そして。
頭上に手を伸ばし。
ぶち。
千石がリボンをかけてくれたおかげで、見なくてもどれだかはっきり分かるようになった白髪を引っこ抜くと。
「ほれ。幸せのお裾分け。」
リボンごと千石にくれてやった。これでもう、リボンを巻かれる心配はないわけで。しかも紅いリボンは校則違反だったわけだしな。
千石はしばらく目をぱちくりさせていたが。
唐突にあわあわと狼狽えて、両手で俺の白髪を受け取った。なんだかな。こいつはな。
「ありがとう!南!これ、俺の宝物にするよ!!これがあったら、全国大会ではもう負けない気がする!」
俺の白髪一本で。
お前がそんだけ気合い入るなら、まぁ、こいつが幸福の兆しってのもまんざら嘘じゃないのかもしれない、なんて思いながら。俺は安上がりな千石の喜びようを眺めた。
翌日、伴田先生からお勧めの白髪染めを紹介してもらったのは。
また別のお話。
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