手を叩こう〜青学篇。



 お昼休み。
 いつものように、手塚の机を囲んで、弁当を食べ、ゆっくりと食後の緑茶をすすっていると、静かに流れる時間が体に染み渡る。
「ふぅ。」
 溜息ではなく、だが、肩の力を抜くように息を吐けば。
「幸せそうだな。」
 心なしか笑うような手塚の声。

「幸せっていうか……そうだな。幸せだな。」
 緑茶が美味しくて幸せだとか、お腹いっぱいで幸せだとか、そんな小さなコトの積み重ねと、ただそこに居るという心地よさと。
 そんな、彼らと一緒に過ごす空気に、名前を付けるとすれば、確かに「幸せ」としか呼びようがないのかもしれない。
 大石は、小さく頷いて、同席する乾と手塚を順に見比べた。

「ふむ。幸せといえばだな。」
 湯飲みを机に置いて、乾が口を開く。
 いつも通りの淡々とした口調で、幸せを語られると、なんだか奇妙である。

「幸せなら手を叩こう、と言うだろう?」
「ああ。そういう歌があったな。」
 乾らしからぬ柔らかい話題に、大石は少し驚いて。
「うむ。小さいころ、歌った。」
 手塚まで相槌を打つので、つい大石は笑ってしまう。
「そうか。手塚も歌ったのか。」

 乾は自らの大きな手のひらを見て、しばらく考え。
「ずっと気になっていたのだが。」
「うん?」
「幸せと、手を叩くことの間には、どのような因果関係があるんだ?」

 乾は、当然、知的好奇心に突き動かされて聞いているのである。
 決して、冗談を言っているわけではない。
 長い付き合いから、大石はその事実をよくよく心得ていたし、手塚に到ってはそれが冗談などとは思いもよらなかっただろう。

「いや。幸せなら手を叩くが、不幸せなら手を叩いてはならないとは言っていない。叩くことは必ずしも幸せと繋がってくるわけではないだろう。」
「しかし手塚。幸せなら態度で示そうと言うだろう?手を叩くのは、幸せを示す態度だということだ。」
「うむ。なるほど。そうか。」
「ふむ。」

 そんなどうでもいいことを熱心に論じて、何になるんだろうか、と。
 疑問を抱えつつ、大石は椅子の背にもたれて、ゆっくりと息をつく。
 嫌なわけではない。むしろ、こういうムダなコトを真面目に悩める彼らの独特な雰囲気が好きで。
 居心地が良い、と言えば、居心地が良いのだ。不思議なコトに。

「では、手を叩けば幸せである、ということか。」
「そうなるな。」
「うむ。では、試してみるか。」

 そう呟いて、手塚が両手をぽんっと打ち合わせる。

「どうだ?手塚。幸せか?」
「うむ……幸せなような気もするな。」
「……そうか。」

 両手を合わせたまま、手塚は小さく首をかしげ。
 乾も倣って、手を打ち合わせる。
 ぽん。

「……幸せとはこういうことか。」
「うむ。」

 手塚と乾が並んで、手を打っている場面は、なんとも可笑しくて。しかしそれゆえに、和んでしまうような不思議な雰囲気で。
 見ている大石は、やっぱり手を叩けば幸せなのかもしれない、と納得しかけてしまう。
 ぽん。
 ぽん。

「……幸せとは……不思議なものだな。」
「全くな。」


 そこへ。
「何?何?三人で、何やってるの〜?」
 菊丸の声が響く。
 振り返れば、不二と河村も教室に姿を見せていた。
 そりゃ、友達が唐突に合掌していたら、気にもなるだろう。
 菊丸たちを迎えながらも、そのまま真顔で手を合わせている手塚と乾に。
 首をかしげながら、マネをして手を合わせた不二が尋ねた。
「ナマステ?」
「ナマステ!」
 同じように両手を合わせて、元気よく菊丸が応える。
「なんだ?それは。」
「乾、知らないの?インドのご挨拶だよ!」

 別に何の用があるわけでもないのだろうが、気が付くと部のメンバーで一緒にいることが多い。そんなテニス部の中三を、竜崎はよく、仲が良すぎだよ、お前達は、と呆れたように笑うのだが。
 その声は呆れているようで、しかし、どこか自慢げに聞こえる。

 背中に張り付く菊丸に苦笑しながら、状況を説明しようと、大石は自分も手を打ってみせた。
「ほら。幸せなら手を叩こう♪って歌、あるだろう?その話をしていたんだ。」
「知ってる!知ってる!ほらみんなで手を叩こう♪ぽん!ぽん!ってやつでしょ!」

 歌いながら、菊丸はぽんぽん!と手を打つ。
 不二も河村も、それに合わせて軽く手を打った。
 そこへ。
 手塚は真顔で、単刀直入に切り込んでゆく。

「菊丸。幸せと手を叩くことは、関係があると思うか?」
「ん?!」

 いや。英二にそれを聞くのはどうだろう?
 少し焦りながら、大石は菊丸を振りかえったが。
 目を見開いて、菊丸はきょとんとした。

「手塚、何言ってるの?」
 だが、その口調は、手塚の奇妙な疑問に驚いていたのではなく、そんなことも知らないのか、と驚いた様子で。
 菊丸は自らの両方の手のひらをきゅっと重ねる。
「知らないの?おててのしわとしわを合わせて、幸せ〜!ってやつ!」
「しわとしわを合わせて……幸せ?」
「そう!」
「……なるほど。」
 手塚は自分の手のひらを見つめ、そして再び重ね合わせて。
「……幸せ、か。」
 しみじみと呟いた。

「そうか。だから幸せなら手を叩くんだな。」
 乾も納得したように何度も頷いて、ノートを開こうとする。
 いや、そんなコトまでメモしなくていいだろう?
 と、思いながらも、大石はなんとなく止めることもできず、黙って見守っていた。

「じゃあさ、乾、もう一つ教えてあげるよ。」
「何だ?不二。」
「グー、出して?」
「グー?」
 不二に促されて、乾は拳を握る。
 その拳に、不二が自らの拳の関節部分をぶつけ。

「おてての節と節を合わせて、ふしあわせ〜。」
 と、微笑んだ。
 ぐっと言葉に詰まる乾。たぶん、不二に良いようにからかわれているからだろう。憮然とした表情で、拳から不二へと視線を上げる。
「どう?ちょっと不幸せな気分になった?」
「ふむ……。確かに、少し不幸せだな。」

「そんなときは、手を叩くんだってば!乾!そしたら幸せになるよ!」
 そう言って笑う菊丸に、不二は頷いた。
「ほら、みんなで手を叩こう♪」
 ぽん!ぽん!

 いつもの大騒ぎをにこにこと見守っていた河村が、いつの間にか大石の背後に立っていて。
 そっと呟く。
「試合中のハイタッチも幸せだからかな?」
 大石は河村を振り返って、一瞬、言葉を失ったが。
「そうだな。」
 河村の優しい目に、静かに微笑みで応えた。

 そして。
「そんなわけで、お手を拝借! いよ〜!ぽん!」
 菊丸の音頭に合わせ、男子テニス部員はいきなり一本締めをぶちかまし。
 中三1組の生徒達を心底びっくりさせたのであった。






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