暑かった。
しかも、やたらと走らされた。
そんな部活明けの、夕刻のこと。
「うぃっと。」
上機嫌で長いラケットを振り回し、自己流の整理体操を始めた天根は、予想外に自分がくたびれていることに気付いた。足が重い。腕も。
周りを見回せば、他の部員達も、一様にどこか気怠く見えて。
やっぱり今日の部活、結構、大変だったんだな。
ウェアは汗を吸って、変な触り心地になっている。
頑張った。俺。
天根は自分を褒めてやるコトにした。
「夏だけに……俺、お疲れサマー……!」
なんだか、使い古されたネタな気もしたが。
ちょっとだけ、疲れが取れたような気分になって。
来るべき黒羽の突っ込みに身構えたとき。
「……くくっ!」
少し離れたところから、変な間合いで笑い声が聞こえてきた。
「サエさん……?」
びっくりして振り向けば、薄闇のグラウンドで、樹の肩に後ろから額を押し当てるようにして、笑いを堪えている佐伯の姿があり。
「サエ?」
「ごめん。樹ちゃん……!やばいよ。俺……。ダビデのギャグがツボに来ちゃった……!」
「疲れてるのね。」
「そうかも……。笑いのツボがすげぇ浅いっぽい。」
困ったように佐伯と天根を交互に見交わす樹。
天根は、しばらく呆然と佐伯の姿を見守ったが。
「う、受けた……!」
信じられない事実に衝撃を受けていた。
「天根ってば、ギャグが受けたことにびっくりしてるよ!面白い!」
「そりゃ、びっくりもするよ。ダビデのギャグだしね。くすくす。」
葵と木更津が言いたい放題を言っている間。
天根は、きらきらと目を輝かせて、しばらく佐伯を見つめていた。
そして。
「サエさん……お疲れサマー!」
同じギャグをもう一度、佐伯のために繰り返す。
いつもなら、佐伯は冷たい目で天根を見やるだけで、きっとそんなネタ、スルーしてしまう。しかし、今日は本当に笑いのツボが浅かったらしく。
「……や、やめろよ。ダビ!あはは!」
本格的に、笑いが止まらなくなってしまった。
「サエ、笑いすぎなのね。」
寄りかかられている樹にも、だんだん笑いが感染してしまい。
「なんか……俺まで可笑しくなってきたのね!」
ついにはくつくつと笑い始める。
「あはは!面白い!!笑ってる!!」
「くすくす。ホント、サエも樹ちゃんも、笑いすぎだよ」
そう言いながらも、いつの間にか、葵と木更津にも笑いは広がって。
天根を取り巻く面々は、みな、息苦しくなるほどに笑い続けた。
「樹ちゃんも、亮さんも、剣太郎も!……お疲れサマー!!」
いい加減、受けなくなっても良さそうなものだが。
雰囲気というのは恐ろしい。
一度、ツボに入ってしまうと、その雰囲気に飲まれて、ますます笑いが止まらなくなる。
「やめろっての!ダビデ!」
苦しげに笑い続ける佐伯に、天根は嬉しそうに目を輝かす。
「ギャグは面白くないのに、こんなに笑えるなんて面白い!」
辛辣な葵の言葉さえ、今日はほとんど気にならない。
夕暮れのグランドは、次第に真昼の熱を失って、夜へとその姿を変えようとしていた。
「……あれ……?」
そのとき。
ふと、天根は気付く。
やっぱり。
何かが足りない。
みんなが笑ってくれたとしても、何かがおかしい。
「あ。……バネさんは……?」
きょろきょろと辺りを見回せば、笑い崩れているみんなのすぐ後ろで、苦笑しながら壁により掛かっている黒羽の姿。
腕を組んだまま、静かに彼らを眺めていて。
「……。」
黒羽は、天根のギャグが受けているときには、突っ込まない。
そんなことは滅多にないのだが。天根の記憶の限り、たぶん、それはこの13年間でたった7回しかないのだが。
でも。今日は受けた。だから、今日はバネさんは突っ込まないんだ。
……良かった。
……突っ込まれなくって。
そう思いながら。
やっぱり、何かが足りなくて。
「バネさん?」
はっきりと名を呼べば、黒羽は軽く眉を上げる。
「……あー?」
何が言いたかったわけでもなく。
もちろん、「突っ込んでくれ」なんて頼みたかったわけでもなく。
むしろ、いつでも過激な突っ込みを入れるバネさんには、痛い目ばかり見せられている気がするし。
俺のギャグは面白いんだから、「つまんねぇコト言うな!」とか言わないで欲しいし。
……だから。
突っ込まれなくても良いんだ。俺。
「なんでも……ない。」
「あー。」
笑い疲れた佐伯が、ゆっくりと顔を上げる。
樹も口元を押さえたまま、黒羽に視線を投げかけて。
首をかしげながら、木更津が口を開く。
「バネには言わなくて良いの?ダビデ。」
カラスが二羽、三羽と、鳴き交わしながら空を行く。
「良いっての。そんなに何度も言わなくても。」
黒羽が笑う。だけどその声は苦笑にすぎなくて。
そんなの、違う。
俺が聞きたい笑い声は、そういうんじゃない。
天根はキッと目を上げる。
「……バネさん……お疲れサマー……!」
一瞬、時間が止まったかのような静寂が世界に満ちて。
黒羽がゆっくりと寄りかかっていた壁から身を起こす。
頬を軽く掻いてから。
「……何度も下らねぇこと言ってるんじゃねぇ!!!」
天根の額目がけて、勢いよく足を振り下ろした。
そして。
黒羽は小さく声を立てて笑い。
「天根クンも、お疲れサマー。」
と、天根の髪をくしゃりと撫でた。
「やっぱり突っ込みが入った方が面白い!!」
「ダビのギャグはつまらない方がらしくて良いよ。くすくす。」
葵と木更津の容赦ない声を聴きながら。
黒羽の足跡のついた額を押さえながら。
天根は思った。
俺、ホントにお疲れサマー……と。
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