後輩自慢〜山吹篇。
それはまだ、四月初めの。
壇太一が山吹中学テニス部に、マネージャーとして入部したばかりのころの物語。
「太一〜!」
「あ、千石先輩。おはようございますです。」
新しい玩具を手に入れた子どものように、妙に幼いマネージャーをかまいまくる三年生が一人。その名は千石清純。一応、山吹中学のエースである。
登校途中で太一を捕獲した千石は、上機嫌で道を行く。
周りの目を気にしないのは太一にしても同様で。
千石に引きずられているのかと思えば、そうでもなく、かまわれて幸せ、というオーラを撒き散らす。
テニス部の奇妙な二人組が、突き抜けるように澄んだ四月の空の下、スキップしながらのどかに通学してゆくさまは、何をおいても奇怪な眺めであった。
桜並木は散り果てて、柔らかな新芽が次々と芽吹いている。
「ねぇねぇ、太一。」
「はいです〜。」
「ニューヨークって知ってる?」
「知ってるです〜。外国です〜。」
「どれくらい遠いか、分かる?」
「ん〜、とっても遠いです〜。」
「じゃあ、お日様とニューヨーク、どっちが遠い?」
まるきり壇太一を馬鹿にしきったような問いであったが。
太一はしばらく首を傾げて考えた上で、答えた。
「ニューヨークに行った人には会ったことあるです。でもお日様に行った人にはあったことないです。だからたぶん、お日様の方が遠い、です。」
ぴたり。
と、千石はスキップの足を止めた。
そして、感激の極み、といった声音で。
「太一、頭良い〜!」
勢いよく、後輩の頭をなで回したのであった。
ところかわって、朝練時刻の校庭で。
太一を連れた千石が、にこにこと上機嫌に室町に近づいてきた。
「ねぇ、室町くん、室町くん。」
「なんすか?」
「太一って頭良いんだよ。」
「はぁ。」
「ね、太一、お日様とニューヨーク、どっちが近い?」
千石の「お気に入りの後輩」を長らくやっていれば、千石の脈絡のない思考や、突拍子のない行動に慣れてくるモノではある。けれど、それには限度というモノがあった。
無表情のままリアクションも取れずに凍り付いた室町に気付かず、太一は自信満々に口を開く。
「ニューヨークに行った人には会ったことあるです。でもお日様に行った人にはあったことないです。だからたぶん、お日様の方が遠い、です。」
四月の風は無常にも穏やかに吹き続けていた。
「ね?室町くん。太一って、ホント、こんな小さいのに頭良いよね!」
「……そうっすね。」
いくら小さくても中学生なのだから、それくらい分かるのは当然だろう。
っていうか、その舌足らずの口調と微妙な思考方法の方が問題ではないのか?
などと、室町は思った。心から思った。
しかし、彼にはそう言うことはできなかった。室町は「千石さん至上主義者」だったからである。
「良かったね!太一。室町くんに褒められちゃったよ。」
「はいです!」
褒めてない、断じて褒めてなんかいない!
室町は思った。魂から思った。
しかし、彼にはやはりそう言うことができなかった。哀しいかな、彼にとっては、こんな人でも「千石さんは絶対的な尊敬の対象」だったのである。
そこへ救いと言うべきか、言わざるべきか。
顧問と部長がなにやら話しながら現れた。
当然、千石の興味の対象はそちらに移る。
「伴爺〜!太一って頭良いんだよ〜。」
エース千石清純、相手が顧問であろうが、堂々とため口である。
「おはよう。千石くん、室町くん、壇くん。」
顧問伴田も、千石がどうあれ、にまにまと自分のペースである。
「ね、ね、伴爺、聞いてよ。太一はね、頭が良いの。」
「おや、そうですか。」
「ね?太一、お日様とニューヨーク、どっちが遠いか、分かる?」
校庭の土は昨日の雨を吸い込んで、しっとりと湿っている。
さきほど答えたばかりの問いなのに、壇太一は、ふと、何か考えるようにしばらく首を傾げた。
そして。
ぱっと目を輝かせて答える。
「違ったです!今、分かったです!お日様の方が近いです!」
唖然としたのは室町だけではなかった。千石も、そして話の流れについていきかねていた南も、はぁ?という顔になる。
しかし太一は確信を持って言い切った。
「だって、ニューヨークは見えないです!でもお日様は見えるです!だからお日様の方が近いに違いないです!」
ぬるい四月の風が吹く。
にまにまと伴田は微笑み。
太一の頭に、ぽん、と手を置いた。
「壇くんの頭はとても柔らかいのですね。」
「すごいじゃん!太一!伴爺にも褒められたじゃん!」
「えへへ、褒められちゃったです。」
嬉しそうに跳ねる太一の横で、千石もなぜか得意満面で跳ね回る。
その姿に。
思わず溜息をついた室町の肩を、軽くぽんぽんと叩いて、南が首を振った。
「敵は天然だ。まともに取り合ったら勝ち目はない。」
天然顧問に天然エース、天然マネージャーまでをも伴って、名門山吹中テニス部を全国大会にまで連れて行かなくてはいけない南部長。
室町はその瞬間ほど、南の背中が大きく見えたことはなかった。
しかし、彼らはいまだ、知らない。
近々、総天然問題児が入部してくる、ということを。
南と室町の苦労は、まだまだ始まったばかりである。
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