雨宿り〜六角篇。
「あれ?もうこんな暗いや。」
「じゃあ、オジイ、俺らそろそろ帰るから!」
別に何をしていたわけでもないのだが、日曜日の昼すぎから、オジイの家に集まっていた六角の子供達は、空が薄暗くなってきたのに気付いて、立ち上がった。広げていたトランプやら雑誌やらをいつものように適当に片づけて、勝手に持ち出したコップや皿を洗い、一応布巾で拭いたふりをして食器棚に押し込む。トランプして、雑誌読んで、寝ころんでおしゃべりするだけなら、オジイの家に来なくても良いようなモノだが、気が付くとみな、いつもオジイの家に居る。
「あれ?まだ3時なのね?」
樹がふと時計を振り返り声を上げると。
同時に窓の外から叩きつけるような雨音が急に聞こえてきた。
「夕立。」(かくかく)
オジイが指さす先。
開けっ放しの窓の先は、薄暗く煙っていて。
ざあざあと、せわしない雨の声。
「あああ。これじゃ帰れねぇな。」
「バネ、傘は?」
「あるわけねぇだろ?サエは持ってるのかよ。」
「いや。バネが持ってたら入れてもらおうかと思ったんだけど。」
「……あのな。って、樹ちゃんは??」
「ないのね。俺ら三人が持ってないなら、誰も持ってないのね。まぁ、オジイの家に来るときはみんな、手ぶらだから仕方ないのね。」
窓から身を乗り出して、空を見上げていた葵の背後から、ぬっと天根が腕を伸ばす。
雨の雫を手のひらに受けて。
それをぺろりと舐め。
呆れたように溜息をつきながら。
「雨が甘ぇとか言うなよ。ダビデ。」
ちらりと視線を投げかけつつ、佐伯がはっきりと言い放つ。
がーん。
と、フリーズする天根は放置する方向で。
黒羽はさっきしまったコップをまた取り出して、麦茶を注ぐ。
「オジイ。悪ぃけど、もう少し遊んでくよ。」
「良いよ。止むまで居なさい。」(かくかく)
無言でコップを持って、上目遣いに黒羽を覗き込む天根に。
「頭から、かけてやろうか?」
と毒づきながら、黒羽は麦茶を注いでやり。
「ふぅ。」
台所の床に、壁に寄り掛かるようにして、そのままぺたりと座り込んだ。
「麦茶、冷蔵庫にしまっとけ。ダビデ。」
「うぃ。」
「やっぱちょっと涼しくなるな。夕立があると。」
「うぃ。」
リビングでは樹がさっきまで居た場所にまたあぐらをかいて座り、読みかけだった雑誌を拾い上げてページをめくり始める。
いつの間にか、葵が背後から張り付くようにして。
「読んで!読んで!」
とねだりだした。
「何、甘えてるのね。剣太郎。」
「だって、その雑誌、面白いけど、漢字ばっかりなんだもん。」
苦笑しながら、葵の甘ったれにそれ以上の文句も言わず、読みかけのページを探す樹。
その後ろから葵の短い髪をざらりと逆撫でし。
「夏休み明けの漢字テスト、大丈夫なのか?剣太郎。」
小さく笑い声をかみ殺して、佐伯は樹の隣りに腰を下ろした。
「大丈夫だよ!サエさん!ボク、しこたま勉強した!」
「……しこたま勉強したっていうと、あんまり勉強してないように聞こえるのが不思議なのね……。」
台所で、体育座りを崩したような半端なあぐらの姿勢で座り込んでいる黒羽の正面には。
きっちりと正座して、両手でコップを持ち、しずしずと麦茶を頂く天根。
「……しこたま……。」
唇をコップの縁に宛てたまま、天根が小さく呟いた。
「あん?『しこたま』がどうした?」
「しこたま……しこたま……。」
「あー?」
「『しこたま』って……どうして『しこたま』……?」
「そういえば、変な言葉だな。『しこたま』って。……何なんだろ。」
ごくり、と最後の一口の麦茶を飲み込んで、黒羽は首を傾げる。
台所の壁はもともとひんやりと涼しいのだが、雨のせいか、いつもよりずいぶん冷たく感じた。
「……タマが四個で『しこたま』。……四個もあったらもうたくさん。」
「猫数えるなら、四個じゃねぇだろ!!四匹だろが!!」
こくり、と。
天根が麦茶を飲み。
不満げに目を上げる。
「じゃあ……『しこたま』って……なんなの?」
「知るかよ。」
寄りかかっている壁は、すぐに自分の体温で温まってしまう。
台所のサイドテーブルに置いてあるうちわに手を伸ばし、黒羽は、ばさばさと自分の顔をあおぐ。
「暑ぃ。」
「……しこたま暑い……。」
「おう。しこたま暑ぃな。」
天根をばたばたとあおいでやりながら。
黒羽は空いた手で自分の額の汗を拭った。
「……幸せ……涼しい……。」
「こんなんで幸せとは安上がりなやつ。」
天を仰いで、黒羽はTシャツの襟元にばさばさと風を送る。
「『しこたま』の『し』は……きっと……『しあわせ』の『し』。」
「あー?」
「だって……『しこたま』はなんだか『たくさん』よりちょっとだけ嬉しい感じがする。」
「そういや、そうかな。ちょっと幸せな感じがするな。」
天根の手元のコップから、ぽたりと滴が落ちる。コップの汗なのか、天根の汗なのか。
台所の床に小さく水たまりを作って。
「あー。こぼすなよ。お前。」
壁際に放りっぱなしになっている雑巾を、伸ばした足に引っかけて、黒羽が適当に床を拭く。
「『しこたま』の『こ』は……きっと……『こんなに』の『こ』。」
「あのな。なんだよ。それは。」
「だって……『しこたま』はなんだか『たくさん』よりちょっとだけ『こんなに?!』ってびっくりしてる感じがする。」
「……ああ。なんかちょっと多すぎな感じがするな。」
まっすぐにあぐらを組み直して、黒羽は膝に頬杖を突く。
最後まで天根の戯言に付き合ってやるつもりらしい。
「じゃあ、『た』と『ま』はなんだよ。」
「『た』はね……きっと……『たくさん』の『た』。」
「まんまだな。」
「うぃ。」
「じゃあ、『ま』は?」
「『ま』はね……。」
別に初めから何かを考えていたわけではないのだろう。勢いでそこまで会話を繋いでいた天根は、ネタが尽きたらしく、視線を彷徨わせる。
「『ま』は、『全くアリエナイ嘘もいい加減にしろ』の『ま』だろ?」
リビングから声がして。
「そりゃ良いや。サエ。もっと言ってやれ。」
黒羽が笑いを堪えながら、顔を上げてリビングに言葉を返す。
憮然とした表情で、天根はコップに口を付け。
むぅっとむくれたまま、一口、麦茶を飲む。
もう麦茶はすっかり温くなっている。
すっと立ち上がった黒羽は、また冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出した。
自分のコップに注ぎ、ほとんど空になっていた天根のコップにも注ぎ。
「『しこたま』の『ま』は。」
まだむくれている天根の頭をぽん、と撫でて。
「『まだまだ先輩には全然敵いません』の『ま』だな。」
「……うー。」
黒羽はにやりと笑い。
「しこたま練習しろよ?ダビデ?夏休み明けには俺らがD1取るからな。」
「……うぃ!」
麦茶の入った瓶を冷蔵庫に押し込み、ばたり、と扉を閉めた。
リビングから、樹と佐伯の笑い声が聞こえる。
「笑うな!お前ら!首洗って待ってろ!」
「あはは。楽しみに待ってるよ。バネ。」
「お手並み拝見なのね。」
ことり、と床にコップを置いて、天根が目を上げる。
「バネさん。……『しこたま』の『ま』は。」
「あん?」
「……首洗って『待ってろ!』の『ま』!」
「おう!」
「しこたま強くなろうね。バネさん。」
しあわせ。
こんなに。
たくさん。
まだまだ先輩には全然敵いません。
だけど。
しあわせ。
こんなに。
たくさん。
まってろよ!
すぐに、追いついてやる。
「雨、止んでる。」(かくかく)
オジイの声に、子供達は一斉に窓の外を見た。
外は3時半という時計の針に相応しく、明るい光に溢れていた。
うわ。なんかむちゃくちゃ恥ずかしい話だわ……。
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