カツカツと力強い足音がして、勢いよく扉が開く。
「遅くなったな。」
彼の訪れを待ちかまえていた捜査員たちは、一斉に頭を下げた。
「ご苦労様です!橘さん!」
「ああ。お前達もご苦労さん。」
ぎしっと、安っぽい椅子を引きながら、腰を下ろす間さえ惜しむように、橘さんは机上の資料をめくり始め、乾いた紙の音が、そう広くはない会議室に響く。
「で、桜井。昨日から進展は?」
「特にありません。」
「……そうか。」
もうすぐ正午になる、というころ。
いつもの事件で招集をかけられた面々は、会議室でのいつもの会議を繰り広げることとなる。
橘さんの隣には深司、その隣には石田、俺。逆側には森と内村。
みんな、資料には目を通しているし、今までの事件に付き合っている以上、今更資料を確認するまでもないくらい、事件の状況は理解している。
それは橘さんだって同じことで。
「要するにいつも通りか。」
「はい。」
一通り、流し読みすると、そのまま資料をぱたりと閉じて。
腕を組んで、全員を見回す。
いつも通りの完全犯罪。
犯人は、決してシッポをつかませない。
その逃げ足の速さは半端でなく、どんな警備会社も、どんな防犯装置も全く役には立ちはしない。
常に同じ店で同じモノを狙い、同じ手口で犯行に及ぶにも関わらず。
決して決して。
彼はそのシッポをつかませないのである。
「参っちゃうよなー。だいたい、なんで同じ手口で同じ店狙ってるのに、ばかみたいに毎回毎回盗まれるんだよ。その店のやつもあほだよな。ってか、信じられないよな。何回目だよって感じだよな。」
「……82回目。」
「……真面目に答える森もむかつくんだよ。そんな下らないコト、数えるくらいなら、対策考えろよな。俺はともかく、橘さんをこんな下らない事件に巻き込むなんて、飛んでもないコトだよな。事件自体は仕方ないけどさ。橘さんは忙しいんだし。やになっちゃうよな。」
「深司。ぼやくな。」
「……はい。」
資料を小さく折り畳みながら、ぶつぶつとぼやいていた深司を制して、橘さんは内村と石田の顔を交互に見た。
「現場見ても、手口は同じ、だったんだな。」
「はい。」
「間違い有りません。」
二人の言葉に、橘さんは、ふぅっと溜息をつく。
「仕方ないな。それじゃ。」
そして紡がれる、事件を迷宮入りにするための魔法の言葉。
「この事件も。あれだな。」
「はい。」
みんな、肩の力を抜いて、小さく笑う。
結局、今回も迷宮入り。
これで捜査も終わり。
「しかし。内村の爺ちゃんも、毎回毎回、よく被害届出すよな。」
「……だって孫が警察勤めてるのに、泥棒を見逃したらまずいって言うんだぜ。爺ちゃんだって、好きで被害届出してるわけじゃない。だいたい、爺ちゃん、ホントは全っ然、気にしてないしな。」
「そっか。」
「被害届が出たら、調査しないわけには行くまい。森も文句を言うな。」
「はい。すみません。橘さん。」
そう。
いつも被害者は内村の爺さん。
そして、もう一人の被害者は。
「石田の爺さんは一度も被害届出さないな。」
「……被害だって思ってないからな。あの人は。」
橘さんが声を殺して笑っている。
「だって必ずキッペイさんに供えてあるんだろ?盗品。」
「ああ。必ずキッペイさんに供えてあるんだ。」
キッペイさんというのは。
石田の寺のご本尊で。
あんまりにも神々しいので、俺たちは畏敬の念を込めて、その仏像をキッペイさんとお呼びしている。
橘さんは。
「俺が仏像みたいだと言われるならともかく、仏像が俺に似てるっていうのは、なんか申し訳ない気がするぞ……。」
と、いつも複雑な顔をするんだが。
誰が呼び始めたか、知らないけれど、ご本尊は通称キッペイさん。
みんな、よくお参りに行く。
「内村の爺ちゃんの饅頭屋で、饅頭盗んで、キッペイさんにお供えするやつなんてな。」
「飛んでもない泥棒だぜ。」
頬杖を突いて、俺たちの会話を聞いている橘さんは。
相変わらずにこにこしていて、神々しい。
「ま、犯人は、どうあがいても分からないんだからな。この事件は迷宮入りだ。良いな?」
笑いをかみ殺したような声で、橘さんは宣言する。
会議室の時計はちょうど、11時59分。
俺たちに異存のあろうはずがない。
腹の虫も、会議の終了を待ち望んでいる。
「さて、じゃあ、桜井。書類、頼んだぞ。怪盗リズムにHigh☆事件は今回も証拠不十分で、捜査続行不可能だ。」
「……はい。」
俺は。
いつも思うんだが。
こんなにも一生懸命、犯人が誰なのか分からない、と言い張っておきながら。
この事件の通称を。
「怪盗リズムにHigh☆事件」
と呼ぶのはどうだろう……??
「ちわ〜っす!カツ丼、お届けに上がりました!!」
「おう。神尾。今日もリズムに乗ってるな。」
「はい!橘さん!今日もリズムにHigh!です!!」
橘さんは硬派なので。
捜査中の昼飯は、必ずカツ丼だ。
橘さんの机には。
「リズム食堂:カツ丼750円:電話×××−××××」
とだけ書いたメモが貼られていて、初めからカツ丼以外のモノを頼む気がない漢らしい潔さが滲み出ている。
ついでに言うと、橘さんに尋問されると、たいがいの体育会系は泣きながら自白する。
橘さんは硬派な漢だ。
リズム食堂の神尾が、いつものように捜査員達にカツ丼を届けて。
「何?また、例の事件?」
俺たちの手元を覗き込む。
「ははは。また、迷宮入りさ。」
苦笑しながら、資料を爪先で弾く石田の背後から。
神尾の後頭部を狙って内村が紙くずを投げつける。
「いてっ!!何すんだよ!!内村!!!」
「うっせぇ!!お前のせいで、いろいろ面倒なんだよっ!!」
「俺のせいって何がだよっ!!」
「……何でもねぇよっ!!!」
そう。
この事件は迷宮入り。
犯人は、永遠に分からない。
橘さんはにこにこしながら、俺たちを見守っている。
俺は上に出す書類を作るために、手元のノートパソコンを、静かに開いた。
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