手塚さんの秘密。
「千石先輩、知りませんか?目を離すと、すぐどこかに行っちゃうです。」
「千石さん?知らないけど、またどこか行っちゃったの?」
小さいのとサングラスがなにやらごちゃごちゃ言いながら、歩いてゆく。
「た〜ちばなさん♪たっちばなさんっ♪」
「……勝手に橘さんのテーマソングを作るな、歌うな……。」
リズミカルなのとぼやきっぽいのが好き勝手言いながら、通り過ぎてゆく。
「赤澤さん。木更津さんのはちまきってどうしてあんなに長いんですか?」
「ああ?柳沢の前髪に対抗してるんだろ。」
角刈りなのと日焼けしたのがしょうもない話をしながら、行きすぎる。
都大会の会場で。
雑音の渦にさらされているうちに、越前リョーマは気付いてしまった。
なんで、うちの学校は、みんな「先輩」呼びなんだろ。
他の学校だと「さん」付けが多いのに。
どうでもいいことであっても、気になってしまうと気になるのである。
とりあえず、こういう話でもまともに聞いてくれそうな副部長を捜す旅に出た越前リョーマは、邪魔な菊丸英二という生き物がもれなく付いてきたものの、すぐに優しい副部長を発見したのだった。
木陰で三年生たちがそれぞれに座ってくつろいでいる。
ゴールデンコンビから少し離れた場所では、手塚を囲んで、不二と乾と河村がなにやら話をしていた。
「あの。大石先輩。なんで青学は『先輩』?」
「ん?」
越前リョーマの日本語は、ときとして極めて不親切である。
さすがにこれでは意味が通じない、と思った彼は、言葉を追加した。
「『さん』付けで呼ばないで、『先輩』付けて呼ぶのはなぜ?」
「……ああ、そのことか。」
ようやく事態を飲み込んだ大石は、にっこり微笑んで。
「それはね、越前。『さん』付けで呼ぶと、大変なことが起こるからだよ。」
菊丸も横から口を挟む。
「そっか、おちびは知らないんだね〜。一度、呼んでごらんよ。」
「え?でも、大変なコトって。」
「今なら大丈夫だから、ちょっと呼んでごらん。ここにいる三年生を順番に。」
菊丸に言われただけなら辞退したかもしれないが、大石にまで促されてしまっては、好奇心旺盛な越前リョーマ、呼んでみないわけにはいかない。おそるおそる、呼んでみる。
「えっと、大石さん。」
「うん。」
「菊丸、さん。」
「ほ〜い。」
「それから河村さん、乾さん、手塚さん、」
「うんうん。(ゴールデンはもり。)」
「不二さん。」
シャキーンっ!!
「え?今、何か変な音が、」
……カシャ。
にっこりと微笑む大石副部長。
「もう一度、不二を呼んでごらん。」
「え、はい。えっと。……不二さん。」
シャキーンっ!!
「やっぱり何か音が!!」
……カシャ。
にやにや笑いながら菊丸が言う。
「手塚の顔を見ながら、不二を呼んでみ〜。」
「手塚部長の顔?……えっと。不二さん。」
シャキーンっ!!
その瞬間。越前リョーマは見てしまった。
手塚の目の色が変わるのを。そしてこめかみから勢いよく蒸気が上がるのを。
しかし。
数秒待たずに、何事もなかったかのように、手塚はいつもの姿に戻った。
そのときの音が、「カシャ。」であった。
「やだな〜、手塚。僕の名前に反応するなんてさ。」
「別にお前の名前に反応しているわけではない。」
不二に応対している手塚は、どうみてもいつもの部長で。
越前リョーマは首を傾げる。
その姿を見た大石副部長は、いたずらのタネでもばらすような楽しげな口調で告げた。
「手塚はね、山の名前を聞くと、山モードに入っちゃうんだよ。」
「はぁ?」
「手塚は山マニアだからね。」
「……はぁ???」
「不二さんだけじゃない。阿蘇さんとか御岳さんとかでも反応するんだ。」
「はぁっ???」
越前リョーマの調子外れな声に「シャキーンっ!!」という音が重なって。
……カシャ。
「まぁ、最近はこれでもましになったんだよ。越前。二秒フラットでデフォルトに戻るように設定し直したからね。」
乾が言う。それに応えて河村もおっとりと笑った。
「そうだよね。初期設定だったころは、半径五百メートル以内だったら、必ず反応していたからね。これでもだいぶ、感度を下げたんだよ。」
「うん。中一のときの設定は参ったよね。ボクの名前、呼び捨てでも反応するんだもん。」
「そうそう、誰も不二のこと呼べなくてさ。しかも山モード入っちゃうと、二時間はギアが入りっぱなしだったもんね〜!」
にわかに思い出話に花が咲く。
手塚部長が二歳年上だなんて、信じられなかった。
しかし、まぁ、人間だろう、とは思っていた。
だが。
それさえも怪しいかも知れない、いや、もう手塚部長を人間だなんて思ってやるものか。初期設定とかデフォルトとかって!何だよ。それは!
ついでに言うと、こんな謎な物体を部長に据える青学テニス部なんて信じない!信じてなんかやらない!!
「オトナなんて嫌いだ〜〜!」
とりあえずこのやり場のない思いをぶちまけたくて、夕陽に向かって叫んでおいた越前リョーマ、十二歳の初夏であった。
こうやって、オトナへの階段を一歩一歩踏みしめながら。
越前リョーマの都大会はまだ続くのである。
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