世の中には。
見てはならないものがある。
パンドラの箱〜山吹篇。
「ねぇ、ねぇ!南!!聞いてよ!ひどいんだよ!!」
十分休みの人混みをかきわけるように。
わざわざ、千石は俺の席まで愚痴を言いに来る。
「なんだよ。今日は。」
「うん、聞いてよ!室町くんがひどいの!」
俺がいちいち取り合ってやるからいけないんだ、と東方は言うのだが。
そう言った後で、あいつは必ず。
ま、俺はそんな面倒見がいいお前が好きだよ、と変なフォローを入れるので。
ついつい、俺は千石の面倒をみてやってしまう。
新渡米に言わせれば、「東方に良いように言いくるめられて千石の世話を押しつけられているのである」らしいのだが、まぁ、それはそれ。
「室町くんがね!言うんだよ!!伴爺が俺を呼んでるって!」
「はぁ。それはただ、室町は伝言をしてくれただけだろう?」
「でもさ!絶対、伴爺、怒ってるんだ!説教されるんだよ!俺!ひどいよね!」
「はぁ?何か思い当たる節でもあるのか?」
「うん。さっき数えたら、思い当たる節、9個もあった。どれのこと怒ってるんだろう……?」
「……9個も怒られそうなことしでかしたのか?お前は。っていうか、どう考えても室町は悪くないだろう?それ。」
「……む。」
自称クールでクレバーな千石清純くんは。
俺の的確な指摘に、しばらく口をつぐんだが。
「それってどうなの?南!部長としてさ!山吹テニス部を背負って立つ無敵のエースがさ、意地悪な顧問にいびられようとしているその時に、慰めの言葉もないわけ?」
俺は。
慰めどころか、言葉を失った。
ほんの一瞬、「無敵のエース?」と意地悪く聞き返してやろうかとも思ったが、それはすぐに自制する。あいつが敗戦を糧に、本当に頑張っているのは知っているから。
きっと、いや、絶対。あいつは俺たちの無敵のエースになってくれる。
「……とにかくさ!みんな、俺に対する愛が足りない!!もっと体を張って守ってあげようとか!そういうの、切実募集中なんだけど!」
「……何やったか知らないが、悪いことしてるんなら、叱られてこい。」
俺は愛の鞭を一撃、お見舞いしてやった。
俺の机に張り付いていた千石は、素直に額を机にぶつけて、突っ伏す。
「ひどいよ〜。南〜〜〜!!」
「ひどくない。」
「……ってか、ひどいのはさ!!俺、許せないのは!!あれだよ!あれ!パンドラって女!!」
「パンドラ?」
何の話だ?
俺はオウム返しに聞き直す。
「開けちゃダメって言われた箱を開けちゃってさ。中にあった絶望とか恐怖とかを世界中にばらまいた挙げ句、慌てて蓋を閉じたら、箱の中に希望だけ残ってたってやつ!」
いきなり話題が変わるのも、千石らしいことであるが。
なんで唐突にパンドラの箱なんだ?
なんて思いつつも。
「開けちゃダメって言われたら開けたくなるだろ?」
俺はいきなり罪をかぶせられたパンドラに一応、フォローを入れてやる。
「それは良いんだよ!開けたのは普通!ってか、俺、開けちゃダメって言われて、ホントに開けなかったら、その女、信用しないね!自分に正直に生きてないやつは、俺、信頼しない!」
「はぁ。」
「開けたまでは良いんだよ!パンドラ!でもさ!そこからが悪い!」
「慌てて蓋を閉めたんだろ?」
「そう!そしたら、希望だけ閉じこめられたんだよな!それってひどくない?」
「何が?」
「絶望や恐怖は世界中のみんなと分けっこして、希望だけ、自分で独り占めしてるんだよ!パンドラは……!!おかげで俺には希望が残されてない!!」
「は……??そんな話だったっけ??」
時計に目をやれば、休み時間はあと3分しかない。
まぁ、昼休みに伴爺のところに行けば良いだろうし。
俺は千石の話に、最後まで付き合ってやることにした。
「なんていうの?人間には人間の仁義ってモノがあるじゃない!ビスケット一枚あったら、ジョリーと僕とで半分こだろ?一人はみんなのために、みんなは一人のためにだろ?それなのに何なの?パンドラ!!恐怖や絶望はみんなに配っておきながら、希望は自分で独り占め?!ダメじゃん!分かってないよ!パンドラ!!責任者出てこいよ!!」
千石は。
怒っているんだかいないんだか、よく分からないのだが、とにかく万年笑顔を崩さないまま、ぶーたれている。
ちなみに、ジョリーは人間じゃないだろうと思ったが。
そこを突っ込むのは今日のところはやめておいた。
たぶん、千石自身、自分の言っていることが変だということくらい、よく分かっているだろうし。なにせ、クールでクレバーな千石くんのことだ。
次の授業の教科書を机から引っ張り出しながら、俺は千石のつむじを眺める。
と。
「そだっ!」
いきなり立ち上がる千石。
さすがはクレバーなだけあって、何か閃いたらしい。
「太一のノートにさ。伴爺の弱点とか書いてないかな!」
「は?」
「伴爺が俺の弱点を攻撃してくるときにさ、俺は伴爺の弱点を攻撃し返すわけよ!どう?俺、曲者?」
「……素直に叱られてこい。」
「……ひどいよぅ。南!」
休み時間は残り1分。
他のクラスから遊びに来ていた連中は、次第に自分の教室に帰り始めている。
「千石。一つだけ、忠告しておく。」
「ん?」
「太一のノート、見ない方が良いぞ。」
「なんで?」
「表紙を見れば分かることだが。」
「ん?」
「盗み見をした人がいたら、その人の秘密を伴爺先生と南部長に言いつけちゃうです!って警告文が付いてる。」
「あ。」
「要するにな。お前がノートを盗み見したら、伴田先生にお前の9個の悪事が全部ばらされるかもしれない、というコトだ。」
「……ああああ。」
素直な千石くんは、頭を抱えて。
クレバーさのかけらなど微塵も感じさせないようなしょんぼり具合で、しゃがみ込んだ。
諦めて、叱られに行く気になったか?
と、思いきや。
やつはこう、ぼやきはじめて。
「ごめん!ごめん!パンドラ!!」
なんで、パンドラに謝ってるんだ?こいつ。
「パンドラだって苦しい選択だったよね!!ごめんね!ひどいこと言って!!」
なんだか分からないがむちゃくちゃ反省している。
なんだ?
「だってさ!太一のノートを開くと、俺に希望は残るけどさ、恐怖は拡大するわけじゃない!希望を独り占めするためには、こんな大きなリスクがあるわけだよ!!パンドラはそのリスクを乗り越えて、ちゃんと戦ったんだ!!偉いよ!パンドラ……!!俺にはそんな怖いこと、できない……!!」
相変わらず。
クールでクレバーなやつの考えていることはさっぱり分からない。
あ。
休み時間が終わるな。
き〜んこ〜んか〜んこ〜ん♪♪
「……お昼休み、伴爺のとこに行って来る。」
千石はそう言い残して。
チャイムの鳴り響く中、席に戻っていった。
ま。
伴爺が千石を呼びだした理由は。
学校宛てに届いたあいつへのファンレターを渡すため、なんだけどな。
なんか癪だからさ、それは教えてはやらない。
お昼休みまでの一時間、迫り来る恐怖と戦うが良い。
なんて。
頬杖をつきながら。
俺はのんびりと、授業開始を待った。
太一のノート。
それは。
パンドラの箱。
それを開けば……希望を独り占めできる、かもしれない。
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