世の中には。
見てはならないものがある。



パンドラの箱〜六角篇。



 中一たちが、だんだん部活になれてきたころのこと。
 部活が終わるころには、夏の走りとはいえすでに空も暗く、部室の中はくたびれた蛍光灯の黄色い光が満ちていた。
 各自、思い思いに着替えをすませ、帰り支度をしたり、雑談を始めたり。
 部室の空気は、いつも通りざわついて。
 しかし。
「お先に〜。」
「おぅ。お疲れさん!」
 次第に、一人、二人と、声が消えてゆく。

 身支度を整えた葵が、ふと、気になったように角のロッカーの前で立ち止まる。
 ロッカーの扉には、それぞれ部員の名前を書いた白いシールが貼ってあって。
 場所によっては、プリクラとか落書きとかシールとかで好き勝手に飾り立てられたぼろぼろの扉もあったが。
 葵が立ち止まったロッカーだけは、誰のモノとも書かれておらず。
 小さく黄ばんだシールの欠片だけが、ロッカーの隅に辛うじて貼り付いていた。

「ねぇ、バネさん。これ、誰のロッカー?使ってないの?」
 すぐ横で着替えていた黒羽を、振り返りもせずに尋ねると。
「ああ?何だ?」
 大柄な黒羽が覗き込んでくる。
「このロッカーだよ。」
「あ、そ、それか!」
 心なしか、慌てた声音。
 そして、そのまま、二歩ほど後ずさると。
「絶対、絶対、開けるなよ。そのロッカーは。」
 いつになく厳しい口調で命じた。

「え?なんで?なんで開けちゃいけないの?」
 無邪気に尋ねる葵に、黒羽は返答に窮していたが。
「どうしてもダメなもんはダメなんだよ。」
 急に溜息混じりの声を出す。

「それは開けちゃいけないって決まってるんだよ。葵。俺たちも先輩たちからそう教わってきたんだ。」
 そこへ、さりげなく佐伯のフォローが入り、黒羽は目に安堵の色を浮かべて声のする方を振り返った。
「……だから、絶対、開けるなよ?」
 いつもなら悪戯には真っ先に乗ってくる天根までもが、念を押す。しかも、天根はロッカーの扉を、直視しようとすらしない。

「おかしいよ。開けちゃいけないロッカーなんて!」
 そのただならぬ先輩たちの姿に、葵は首を傾げつつ、言い募る。
「何が入っているから、開けちゃいけないっていうの?」

 いつの間にか、葵の周囲を取り巻いていた黒羽、佐伯、天根、樹は、互いに視線を投げかわす。
「お先っす!」
 ばたり。
 と、扉の閉まる音がして。
 最後まで残っていた二年生二人組が立ち去ったあと、部室に残る人影は、彼ら五人だけとなっていた。

「俺が聞いたのは。」
 小首を傾げつつ最初に口を開いたのは、樹だった。
「そのロッカー、異次元に繋がっているっていうのね。」

「いや、樹ちゃん。それはアリエナイから。」
 佐伯が冷静に突っ込みを入れ。
「そうなのね。俺も信じてはいなかったのね。でもちょっと残念なのね。」
 少し寂しそうに、樹は笑った。

「俺はさ、汗まみれのジャージを入れっぱなしにした先輩がいて、恐ろしいことになっているから、開けない方が良いって話、聞いたんだけど。」
 佐伯の言葉に樹は素直に眉を寄せ、嫌そうな顔をした。
 チャレンジャーな葵は、ロッカーの正面で鼻をひくひくさせて、異臭を確認している。
「何年も経ってたら、もう、臭いも何もないんじゃねぇのか?」
 腕を組んでの黒羽の突っ込みに、苦笑しながら葵は頭を掻いた。

「ってか、俺が知っている話だとさ。そのロッカー、オジイのプライベートルームなんだって。」
 一瞬、全員が黒羽の方を振り向いて凍り付く。
「ぷ、ぷらいべーとるーむ?!」
 突っ込み担当の黒羽にボケられて、ボケ担当の天根はおろおろとしている。
「おう。何か、不用意に開けるとオジイのしどけない姿とか、目撃しちゃって、セクハラ裁判を起こされたりしかねないから、開けるなって聞いたぜ?」
「し、しどけないオジイ……!しゅぽー!」

 天根はいつ突っ込もうか、いつ突っ込もうかと、指先をわきわきさせていたが、結局、最後までタイミングを逸しまくり、中途半端に伸ばした裏拳の収めどころに途方に暮れて。
「…………。」
 小さくしょんぼりした。

「いや、いくらオジイが小さくても、そのロッカーには住めないだろ?」
 代わりに葵が常識的な突っ込みを入れる。
「そっか。それもそうだよな。」

「そういや、ダビ、お前はなんて聞いてる?」
「……俺?」
 しょんぼりしていた天根は、ちょっと驚いて顔を上げる。
「……俺、そのロッカー嫌い。」
「嫌いなのか?」
「だって……。」
「あん?」
「そのロッカー開けると、白い煙が出てきて……オジイみたいに年とっちゃうって聞いたんだ。」

「玉手箱かよ!!!」
 ぱこ〜〜ん!!
 黒羽の突っ込みが、完璧な角度で炸裂した。
「バネさん!俺、今、ボケてない!真面目に答えた!」
「お前にとって真面目でも、今のは100%ボケだ!!」

 黒羽&天根の漫才を横目に、葵はロッカーの扉に手を掛けた。
「結局、誰も分かってないんだよね。この中、何が入ってるか。」
「まぁ、そうだけどね。」
「面白い!開けてみようよ!」

 葵の怖いモノ知らずの発言に、樹と佐伯は顔を見合わせ、天根は黒羽の陰に隠れた。
 そして、小声で黒羽に。
「……バネさん、おじいさんになっても跳び蹴りできる?」
 と。
 どうでも良いことを真剣に尋ねて、思いっきり額に突っ込みを喰らった。
「いてて。」

 がたがたがた!!!
 どうもそのロッカーの扉は立て付けが悪くなっていたらしく、葵がいくら引っ張っても、開きそうになかった。
 見かねて、佐伯が手を貸す。
 角度を調整しながら、せいの、で、扉をむりやり引くと。

 がたん!
 大きな音とともに、ロッカーは開いて。
「……あれ?なんだ、空っぽじゃないか。」
 覗き込んだ葵が、残念そうに声を上げた。

「異次元には繋がっていなかったのね。」
「別にジャージが入ってるわけでもないんだな。」
「良かった!オジイが住んでなくて。」
「……助かった……!!」

「ってか、みんな、ずっとその話、信じてたんだ?」
 愉快そうに振り返った葵に、四人は苦笑しながら小さく頷いて。
「なんとなく、な。」
 弁解するように、黒羽はがしがしと葵の頭をなでた。

「……ん?何かある……。」
 おそるおそる、ロッカーを覗きに行った天根が、上半身ごと入り込むように、奥に手を伸ばす。
「……封筒。」
 少し埃に汚れた小さな古い封筒が、ロッカーの奥から発掘されて。

 かさり。
 割れそうなまでに乾燥した茶封筒の中からは、数枚の写真。

「……これ。」

 写っていたのは、十年近く前の、彼らの姿で。
 卒業した先輩たちも、まだ小学校に通う後輩たちも、写真の中では一緒にころころと駆け回っていて。
 笑いながら。
 はしゃぎながら。

「これ、潮干狩りに行った日だ。こっちはクリスマス会だよな?」
「葵、まだおしめしてるのね。」
「もうしてないよ!」
「あはは。風呂敷でスーパーマンごっこしてるよ。ダビデとバネ。」
「……俺はスーパーマンで、バネさんはタケチャンマン。」

 かちり、かちりと隅の蛍光灯が点滅を始めた。
 夜の気配が窓から入り込んでくる。

 天根は葵の顔をちらりと見、葵が頷くのを確認し。
 その写真を古い封筒の中に元通り収め、ロッカーの奥に戻すと。
 ばたん!
 力一杯、ロッカーを閉めた。

「オジイ、絶対忘れてるよな。あの写真。」
「あはは。良いじゃん。忘れてたって。」



開かずのロッカー。
それは。
パンドラの箱。
しかしそこには、想い出という希望が一つ、残っている。




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