伝言ゲーム〜山吹篇。

　部活が始まろうとしていた。
　そんな時に。
　ひょこひょことスキップしながらどこかへ立ち去ろうとする千石清純。
「千石先輩、どこに行くですか？！」
「ん？ちょっと呼び出しくらっただけ〜〜♪戻ってくるからさ。」
「呼び出しって何ですか？！喧嘩ですか？！」
「ひ・み・つ☆」

　晩春の日差しは暖かく優しい。
　レンギョウの花が、小さく揺れている視界の隅。

「そうだ！太一、南への伝言を頼んで良いかな？」
「はいです！」
「さっきの二次方程式、あとで説明よろしくっ！って。伝えておいて。」
「は、はいですっ！！」

「やっぱ、できないもんはできないんだも〜ん。」
　などと、歌いながら、スキップで去ってゆく千石。
　その姿を目で追いながら壇太一は困っていた。
「で、伝言です。難しい伝言です。」
　伝言内容は高難度で、壇太一のキャパを軽く越えていたのである。
「はっ！！こんなときこそ、メモ帳です！！忘れないように、メモするです！！」
　そして彼は、考えていることを、いちいち口に出してしまう男であった。

「メモするです。メモするです。えっと。」

　彼は書いた。大きな文字でしっかりと。

『サツキノニジホテイシキアトデセツナイヨロシクー』

「これで安心です！完璧です！」
　レンギョウの花の向こう、ユキヤナギは散りかけて。
「……完璧なメモです！！……でも……全部カタカナで書いたから、意味が分からなくなっちゃったです……。」

　ユキヤナギの向こう、シロツメクサがふわふわと生え始めて。
「わ〜ん！困ったです！」

　シロツメクサの土手では、亜久津が昼寝をしていた。
「決めたです！亜久津先輩に聞くです！」
　そんなわけで。
　亜久津は揺り起こされたのであった。

「あんだよ？太一。」
「起きてくださいです〜。」
「今、俺は夢ん中でアメリカ大統領と世界経済の行く末について話し合ってたんだよ。邪魔すんじゃねぇ。」
「す、すごいですっ！亜久津先輩は英語でしゃべってたですか？」
「フィリピン訛だけどな。」

　ふわぁ。
　と。
　不機嫌そうに亜久津は欠伸をしながらも。
　涙目でしがみついてくる壇太一を邪険にすることはできず。
「で、なんだよ？」
　などと、ついうっかり、尋ねてしまうのであった。

「千石先輩から南先輩への伝言をメモしたです！でも、難しくて意味が分からなくなっちゃったです！！困ってるです！！」
「はぁ？」
「教えて下さいです！！」
「あのなぁ！！」
「えっと、最初はですね！サツキノ……？？」
「サツキって言ったら五月だろ？」
「あ、五月ですね！」

　断ろうとして、気が付くと親切に応えてやっている亜久津仁。
　この面倒見の良さに気付いている後輩は少ないが。
　よりにもよって、壇太一に気付かれているというのは、やっかいであった。

「ニジ……ホテイ……シキ？？」
「ニジって虹だろ？レインボーだろ？ホテイっちゃ、七福神だ。シキってのは季節のことじゃねぇの？」
「なるほどです！メモするですよ！！」
「あのな、太一……。」
「続き行くです！アトデ……セツナイ……ヨロシクーなのです！」
「後で切ない、なのか？で、よろしくってのは挨拶だろ？」
「そっか！分かったですよ！後で切ないんですね！！」
「……知らねぇよ。」

　亜久津仁にとって、現在の自分の面倒見の良さほど呪わしいモノはない。たぶん。

「これで、南先輩に伝言できるです！行って来るです！」
「……勝手にしろ。」

　シロツメクサとユキヤナギとレンギョウの向こう。
　練習が始まろうとしている。
　茂みの奥から現れた壇太一に、東方が声を掛ける。

「おい。太一。ぐずぐずするな。一年生はあっちだ。」
「はぁい！ごめんなさいです！！あ。東方先輩！千石先輩から南先輩に伝言があるです！」
「ん？伝えておこうか？」
「お願いしますです！」

　そんなわけで。
　太一は自信満々に自分のメモを読み上げたのであるが。

「『五月（ごがつ）のレインボー、七福神の季節、あとで切ないご挨拶』なのです！」
「は？！」

　目を剥いて問い返す東方であったが、そのリアクションでさえ地味であったせいだろうか。
「じゃ、僕、行って来るです〜〜♪」
　それを気にする様子もなく、ぶんぶんと手を振って、壇太一は一年生の集合場所へと走っていってしまった。
　取り残された東方は。
　額を押さえて、がっくりと溜息をつく。

　太一が悪いのか。
　千石が悪いのか。
　二人とも悪いのか。

　どよ〜ん、と打ちひしがれる東方の前に。
「どうしたのであるか？」
　助け船と呼ぶべきか否か。
　山吹鉄壁ダブルスの仲間、新渡米と喜多が足音もなく、すっとそばに現れた。

「ああ。太一が意味分からないコト言い出したんだよ。かくかくしかじかで……。」
　藁にも縋りたいとはこのことであろう。
　東方は、それを南に告げる前に、なんとか意味の分かるようにしてやりたいと思った。
　ただでさえ苦労の多い部長に、これ以上のムダな悩みを増やしたくはなかった。

「……それはたぶん、暗号なのだ。」
「なるほど！暗号でありますか！」

　新渡米ははっきりと自信を持って言い切った。
　おかげで。
　なんとなく、東方は立ち直れそうな気がしてきた。
　信頼できるかどうかは、この際、全く別の問題なのだろう。

「五月は５番目の月である。レインボーは７色である。七福神は７人の神さまである。季節は４つである。だから、５の７、７の４となるはずである。」
「さすがであります。新渡米さん。」
「じゃあ、後で切ないご挨拶というのは？」
「『ごちそうさま』のことなのだ。千石は食べ終わってもすぐお腹が減る男なのだ。」
「だから後から切なくなるのか？？ホントにそうなのか？？」
「……千石の考えることなど、本当は全く分からないのである。」
「……そうだな。」

　鉄壁ダブルス軍団は。
　シングルスのやつらの考えていることは分からない、と常々思っていた。
　実際のところ、シングルスの連中は、ダブルス軍団は宇宙人か地味’ｓかしかいなくて困る、と思っているので、お互い様なのであるが。

　そんなわけで。
「南〜。千石から伝言だ。えっとな。『５の７、７の４、ごちそうさま』だそうだ。」
「へぇ。（５，７）（７，４）って千石、できてるじゃん。」
「へ？」
「いや、さっき数学の宿題で難しいのがあってさ、解けないってさわいでたから、部活開始までに解けたらたこ焼き、奢ってやるって約束したんだ。ｘ＝５のとき、ｙ＝７だろ？で、ｘ＝７のとき、ｙ＝４。うん、あってるし。」
「そうだったのか。」
「しょうがねぇな。奢ってやるか。でも、『ごちそうさま』ってのはなんだよ。余裕っぽくてムカツク。あはは。」

　そんなわけで。
　部活後、ラッキー千石は、ラッキーにもたこ焼きにありついた。

「ラッキー♪美味しー♪でもさ、南、なんで奢ってくれるの？」
「なんでって、約束しただろ？」
「うん？したっけ？？」

　つくづく。
　ラッキーな男であった。
　たこ焼きの屋台の隣りで、レンギョウの花が静かに風に吹かれていた。

「でさ、南！さっきの二次方程式、解き方教えてよ！」
「は？！」