伝言ゲーム〜青学篇。
大石と手塚の間には、他の人には理解できないような、強い絆がある。
その日、手塚は生徒会の都合で、部活を早めに抜けていた。そして大石はクラス委員の仕事で、少し遅めに部活に合流するとの届け出が出されていて。
思えば初めから、大石と手塚はすれ違う運命であった。
しかし、二人の間には、強い強い、絆がある。
初夏とはいえ、風が涼しくなってくるころ。
大石はテニスコートにようやく姿を見せた。
「乾、ごめん。遅くなって!今、何やってるんだ?」
「ああ、大石か。これから新しいメニューを始めるところだったんだよ。ちょうど良いときに来てくれた。」
そう言って、乾は練習の予定をメモした紙を手渡し、「ここまで終わった。」と、愛用のボールペンで、指し示す。
「そっか。じゃあ、ここからだな。」
昼休みに一応、確認してある予定表にもう一度目を通し、大石は集まってきた部員たちを見回した。
一通りの指示を出すと、それぞれがそれぞれの練習を始めて。
みな、自分の目標を持っている。自分のやるべきことを分かっている。
その頼もしい姿に、大石は我知れず微笑んだ。
「じゃあ、俺たちも練習を始めようか。」
「そうだな。乾。」
「あ!そうだ!そうだ!!大石!」
コートに戻りかけた菊丸が、満面の笑みを浮かべて振り返って。
こう告げたのである。
「手塚が言ってたらしいんだけど!ロシアの煮魚って、恋するサメなんだって!!しかもランチに喰うんだってさ!信じられる?!」
はぁ?!
なんだ、そりゃあ??
と。
乾は極めて正しい感想を持ったのだが。
その隣で、偉大なる大石秀一郎は、にっこり微笑んで。
「ああ。分かったよ。英二。ありがとう!」
そう、応えたのであった。
「分かったって……。何が分かったんだ??」
「え?ああ。手塚からの伝言だろ?」
混乱している乾に、大石は大まじめな顔で、優しく説明した。
部員たちの歓声が、あちこちから響いている。野球部がテニスコートの脇を、野太いかけ声をかけながら、走り抜けてゆく。
「おい。菊丸、その伝言は、不二から聞いたのか?」
「伝言??ああ、手塚の話〜?うん!俺、不二から聞いた!!ロシアってすげぇ国だよな!!俺、かなりびっくりした!」
乾は。
大石の解説に従って、伝言ゲームを遡ってみるコトにしたのである。
「不二。」
テニスコートの片隅で、靴ひもを結び直していた不二に声を掛ける。
「どうしたの?乾。僕の練習メニュー、変更?」
「いいや。ただ、少し聞きたいことがあってな。」
「何?」
「手塚からの伝言、菊丸に伝えただろう?どんな内容だったんだ?」
「ああ。あれね。」
不二はにっこりと笑顔を見せた。
「よく意味が分からなかったから、タカさんから聞いたのを、そのまま伝えちゃったんだけど。」
悪気はないのだろうが、彼は少しいたずらめかして、ゆっくりと伝言をリピートする。
『ロシアに空輸した鯉こくがね、鯉じゃなくてサメだったんだって。お昼からサメなんか食べるのかな。大変だよねって。手塚はみんなに伝えたかったみたいだよ。』
もちろん、不二は伝言の内容がどこかでおかしくなっていることに気付いているのだろう。しかし、それを何とかしてやろうというだけのサービス精神は彼にはない。むしろ、それを楽しんじゃおうという前向きな野次馬根性がある。
「河村から聞いたんだな。」
「うん。そう。」
不二の伝言をノートにメモしながら、乾は河村の背後に立つ。
「うわぁ!乾!人の後ろでいきなり眼鏡を光らせないでよ。びっくりしちゃうよ。」
「すまない。河村。一つ聞きたいことがあるんだが。構わないか?」
「え?ああ。うん。何?」
河村は、乾の問いかけに、できる限り正確に答えようと、丁寧に誠意をもって言葉を選んだ。おそらく彼は伝言の内容がおかしいかどうかなど、気にならない質であろう。それをいかにきちんと伝えるかに心を配る男である。
『ロシアに空輸する鯉こくの件だけど、鯉じゃなくてサメ、えっと、ジョーズだったんだって。明日の昼ご飯がジョーズじゃ大変だよねって、手塚が言ってたって言われたんだよ。』
不安げに、河村は乾のノートを覗き込む。
「俺、間違えてた?」
「いや、間違えてたというか。」
そうだ。河村に伝言を伝えたのは、他ならぬ乾貞治その人であり。
俺は、一体、なんて言ったっけ??
ゆっくりと、ボールペンの端を、とんとんっ、とノートの表紙に打ち付けながら、考える。
『白ロシアに空輸する広告の件だが、ジョークだったそうだ。明日の昼、これでは過ごしにくいと、手塚が三年生に伝えろと言っていたらしい。』
……俺も意味が分からないまま、河村に伝えていたんだもんな。
絶対に、河村が悪いんじゃない。
で、乾が伝言を預かったのは、海堂からで。
練習が一段落したらしく、水を飲みに抜けた海堂を、乾は捕獲する。
「海堂、ちょっと良いか?」
「……うぃっす。やっぱりラケットを振り抜く時の角度がオカシイっすか?」
「いや、それは良くなってるんだけどね。……さっきの伝言、もう一度、言ってくれないかな?」
「手塚部長からの伝言っすか?はぁ。良いっすけど。」
海堂はしばらく首を傾げて、思い出す仕草を見せたが、唇を軽く湿らせて、言葉を選ぶ。
『ベラルーシに輸出する広告のことは、ケンさんの冗談だった。明日の昼、俺は暮らしにくい。部長が先輩に、そう伝えろって。』
ベラルーシは白ロシアだが。
ケンさんって誰だよ?海堂。
「いや、俺も、意味は分からなかったんすけど。桃城が言ってたんで、そういうもんかな、と。」
もう良いっすか?と、海堂はそそくさと練習に戻ってしまう。
次の標的は、当然、桃城である。
「手塚部長からの伝言?ああ、ありましたね!ええ。越前から聞いたっすよ。」
海堂と入れ替わりに練習を抜けてきた桃城は、豪快に汗を拭いながら、楽しそうに答えた。
「新しい遊びっすか?これ。それとも何かのデータを集めてるんすか?変な文章っすね。」
そう笑いながら、桃城は海堂に伝えた伝言を乾に告げる。
『ウクライナに輸出する広告のことをケンさんと商談した。明日の昼、俺と暮らしに来いって。部長から先輩に伝えろって。』
「合ってます?なんか、オカシイっすよね。まるで部長が誰かにプロポーズしてるみたいっすよ。一緒に暮らそうなんて!」
合ってるわけ、ないだろう?桃。
そう思いながらも、意味が分からないまま、次の人に伝言した点では自分と桃城は変わらない、と、乾は諦めて。
伝言内容をメモすると、乾はボールペンをノートに挟んで、桃城に礼を言う。
「あはは!そのデータで何か分かったら、教えてくださいね!」
何も分からないと思うが。
俺としては、ウクライナをベラルーシと勘違いした海堂の思考回路が気になるな。
さて。
次は越前だ。
「……越前。」
「何すか?乾先輩。」
ノートを片手に近づいてくる乾の逆光眼鏡に、越前は心なしか後ずさった。
「ちょっと聞くが。手塚が去り際に、大石への伝言をお前に預けなかったか?」
「伝言っすか。ええ。桃先輩に伝えましたけど。」
ラケットを両手で抱くように持ち、じりじりとネットの方へと後退してゆく。
「で。なんて伝えたんだ?」
「あー。えっと。何だったかな。確か……そうだ。」
『ウクライナに提出するケンさんの報告のことで相談した。明日の昼に俺のクラスに来い。って。大石先輩に手塚部長が伝えて欲しいってさ。』
越前は、たぶん、分からない単語を自分の知っている単語に置き換えたのだろう。
いや、それは越前だけじゃない。全員がそうだった。
おかげで、飛んでもない伝言ゲームになったわけだが。
そして、乾は思い出す。
まるで何も特別のことでもないかのように、大石は笑顔で告げた言葉を。
「運動系クラブ委員会、たぶん、手塚は運クラ委って言ったんだろうけど、運クラ委に提出する決算報告書について相談したいから、明日の昼休みにうちのクラスに来てくれって伝言だったんだよ。あれは。」
「……俺にはそうは聞こえなかったけどな……。」
う〜ん。と、乾はノートを見返した。
手塚『運クラ委に提出する決算報告書について相談したいから、明日の昼休みにうちのクラスに来てくれと、大石に伝えてくれ。』
越前『ウクライナに提出するケンさんの報告のことで相談した。明日の昼に俺のクラスに来い。って。大石先輩に手塚部長が伝えて欲しいってさ。』
桃城『ウクライナに輸出する広告のことをケンさんと商談した。明日の昼、俺と暮らしに来いって。部長から先輩に伝えろって。』
海堂『ベラルーシに輸出する広告のことは、ケンさんの冗談だった。明日の昼、俺は暮らしにくい。部長が先輩に、そう伝えろって。』
乾『白ロシアに空輸する広告の件だが、ジョークだったそうだ。明日の昼、これでは過ごしにくいと、手塚が三年生に伝えろと言っていたらしい。』
河村『ロシアに空輸する鯉こくの件だけど、鯉じゃなくてサメ、えっと、ジョーズだったんだって。明日の昼ご飯がジョーズじゃ大変だよねって、手塚が言ってたって言われたんだよ。』
不二『ロシアに空輸した鯉こくがね、鯉じゃなくてサメだったんだって。お昼からサメなんか食べるのかな。大変だよねって。手塚はみんなに伝えたかったみたいだよ。』
菊丸『手塚が言ってたらしいんだけど!ロシアの煮魚って、恋するサメなんだって!!しかもランチに喰うんだってさ!信じられる?!』
これで分かるのか?普通……。
やはり。
大石と手塚の間には、他の人には理解できないような、強い絆がある。
乾はしみじみとそう思った。
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