目が覚めたら、そこは、おとぎの国だった。



夢の向こう側〜ルド篇。




「裕太くん?こんなところで寝ていると風邪をひきますよ?」
 遠くでかすかに観月の声がして。
「うぎゃ〜〜〜〜!!」
 奇妙な叫び声とともに、不二裕太は跳ね起きた。

「……どうしたんです。裕太くん。」
「あ、観月さん。すみません。あの、俺、今、怖い夢を見ていて!」
「夢ですか?」
 裕太は、跳ね起きた姿勢のまま、強ばったようにじっと座り込んでいる。

「まだ、オープニングのテロップだけだったんですけど。『裕太くんと七人の兄貴♪』って書いてあって。」
「……君の夢にはテロップでタイトルが流れるんですか……?」
「え?普通は流れませんか?!」
「流れません。」
「……俺、兄貴の出てくる夢を見るときは、小さい頃から、いつでもそうだったんですけど。」
 観月は何かを言いかけて、薄く口を開いたものの、しばらくためらった後、そのまままた口を閉じてしまった。
 裕太はと言えば。
 ようやく怖い夢の衝撃から解放されたのか、周囲をきょろきょろと見回している。

「あれ?ここはどこですか??」
「まだ寝ぼけて居るんですか?裕太くん。」
「寝ぼけてって……。ああああ?!み、み、観月さん!その耳は一体?!」
 そこは、森に囲まれた箱庭のような野原で。
 穏やかな日差しが、のんびりと彼らを照らし出している。
 そして、小首を傾げて、裕太の表情を覗き込む観月の頭には、犬っぽいピンと立った耳があった。
 裕太の声に、己の耳を触って確認した観月は、少し険を含んだ声で。

「何を寝ぼけて居るんです。僕の耳はいつも通りですよ。」
 と、早口で断言した。
「いつも通り……?」
「狼として普通の耳じゃないですか。裕太くん、君の耳と同じようにね!」
「お、俺の耳と同じ?!」
 慌てて、己の頭上に手を伸ばすと。
 果たして、裕太の頭上にも、しっかりと犬っぽい耳が生えていた。
「何を驚くことがあるんですか。裕太くん、寝ぼけるのもたいがいになさい。」

 そして、観月はふわりと相好を崩し、優しく言葉を加える。
「まぁ、良いでしょう。まだ君は転校してきたばかりで、狼するのにも慣れてないのでしょうからね。」
 裕太は混乱した頭のまま、「狼ってするもんだったのか?」と悩んだが。
 悩んでも仕方ないことは、あっさり諦める質だったので、すぐに立ち直った。

「裕太くん。今日は一つ、お願いがあるんですよ。」
「はい。観月さんのお役に立てるなら!」
「ありがとう。今日、僕は赤澤とテニスをする約束をして居るんですが。」
「はい。」
「赤澤は昨夜、40度近い熱を出しましてね。野村くんがそれを心配して、娘を、赤澤から見れば孫ですね、ええ、孫を見舞いに来させると言い出したんですよ。」
「……はぁ。」
「赤澤はどんな高熱でも、一晩寝れば、けろりと治る男ですが。ああ見えて、娘や孫に甘いですから。せっかく孫が来てくれるのに、留守にして居ちゃ可哀想だって言うんですよね。なので、裕太くん。今日一日、赤澤の家で、留守番していてくれませんか?」
「は、はぁ。良いですけど。」
「頼みましたよ。しっかり、赤澤のふりをするんですよ?」
「あ、赤澤さんのふりするんですか?!」

 小首を傾げて、観月は深く頷いた。
「大丈夫ですよ。風邪をひいているから、声がオカシイと言っておけば。んふ。」
 いや、オカシイのは声だけじゃないだろ!
 ってか、むしろ、声以外のところの方が問題だろ!
 と。
 裕太は思ったのだが、もちろん、そんなことは口に出して言えるはずもなく。
 あわあわと、しばらく、視線を泳がせて、裕太は静かに考えた。
 「裕太くんと七人の兄貴♪」の夢を見た方がましだったかも、と。

 思いっきり動揺している裕太に気付いてか、気付かずにか。
 観月は、後ろ手に手を組んで、スキップをしながら去っていく。

 そして、ふと、振り返り。

「分かっていると思いますが。赤澤の孫は、あの『赤はちまき』ちゃんですよ?良いですね?裕太くん。」
 にっこり微笑んで、言い足した。

 赤はちまきちゃん……。

 不思議なことに、裕太は、赤澤の家の場所を知っていた。
 それは森の中の小さな小屋で。
 扉は無防備に開け放され、中は、赤澤の部屋と思えないほど、キレイに片づいている。
 花柄のベッドカバーをめくって、ふかふかのベッドに身を横たえた。
 枕元には、紫の花柄のナイトキャップが置いてあって。
「赤澤さん、こんなのかぶって寝てるのかな……。」
 裕太は素直に、それをかぶってみる。
 目深にかぶると、変装している感じで、少し良いかもと、錯覚できた。

「……早く帰ってこないかな。赤澤部長。」
 ベッドサイドの写真立てには、赤澤と野村と木更津と金田が、仲むつまじく映る写真が飾られていた。
「……赤澤部長の娘が野村さんで、野村さんの娘が木更津さん……と、金田??金田も娘なのか??」
 ときとして、人は、自分が見ているものが、夢だと分かっていることがある。

「ああ。変な夢〜〜。」
 しかし、夢だと分かっていても、嫌なモノは嫌なのである。

 枕からは、ほんのりラベンダーの香りがした。
 柔らかいふとんを羽織って、裕太は目を閉じる。

 すると、すぐに。
「お邪魔します。くすくす。赤澤おばあちゃん、お風邪はどう?」
 赤はちまきちゃんが現れた。

 布団を目元まで引っ張り上げたまま、裕太は一生懸命、声を低くして。
「よく来たね。赤はちまきちゃん。」

 赤はちまきちゃんは、少し心配そうに、裕太を覗き込む。
「おばあちゃん、まだ熱が下がらないの?」
 両手でバスケットをしっかりと抱えて。不安げな表情を見せて。
「今日のおばあちゃん……なんかいつもと違う。」
 弱々しくつぶやいた。

「それは……病気だからだ。」
「だって、おばあちゃん、いつもより声が高いし。」
「それは……病気だから。」
「いつもより色が白いし。」
「それは……病気だから。」
「いつもより髪も短いし。」
「それは……病気だから。」

「ねぇ、いつもより体が小さいのも、お病気だから?」
「そ、そう。そうなんだ。」
「……可哀想……!可哀想なおばあちゃん!!」

 赤はちまきちゃんは。
 バスケットを胸に抱えて、俯いてしまった。
 ぽたり、と。
 涙の雫が、床を濡らす。
 赤い花と赤ワインを入れたバスケットが静かに震えている。

「ごめんね。俺、おばあちゃんのために、役に立てたら良かったのに……。」
 肩を震わせて泣きだした赤はちまきちゃんに、裕太はぎょっとした。
 しかし、世の中とは、巧くできているもので。
 赤はちまきちゃんの泣き声に。
「どうしただ〜ね!敦!」
 通りがかりの猟師さんが、真っ青になって、窓から飛び込んできたのである。

「柳沢〜〜。おばあちゃんが!赤澤おばあちゃんがね……!」
「赤澤がどうしただ〜ね?」
 そう言って。
 猟師さんは、裕太の顔を覗き込み。
 しばらく、腕組みをして何かを考えていたが。

「敦。これは、赤澤おばあさんじゃなくて、狼の裕太だ〜ね。」

「え?!」
 赤はちまきちゃんは、心からびっくりしまくった声を上げ。
 きょとん、と、猟師さんと裕太とを見比べて。
「……ホントだ。観月のトコの裕太だ……。」
 目を見開いて、つぶやいた。
「どういうこと?」
「説明するだ〜ね。裕太。」

 裕太は、素直に事情を説明した。
 それを聞いて。
 しばらく、呆然と立ちつくしていた赤はちまきちゃんは。

 どん!!

 勢いよく、バスケットをベッドサイドのテーブルに置き。
 中からワインを取り出すと。
「……赤澤のばか!!心配させやがって!!」
 漢らしく、ぐびっとラッパ飲みをした。

 そして。
 その赤ワインを瓶ごと、裕太に突きつける。
 ためらう裕太の手に、むりやり瓶を握らせて。
「飲め!俺の酒が飲めないってのか?裕太?」
「あ、敦、絡んじゃダメだ〜ね!」
「うるさい!柳沢も飲め!」
「み、未成年だ〜ね。」
「良いんだよ!ここはおとぎの国なんだから!」

 二人がもみ合っている間に。
 裕太は、こっそり、ワインを口に含んでみた。
「あ、これ、美味いですよ。柳沢さん!」
「ゆ、裕太?」
「ほらね♪柳沢も飲むの!!くすくす。」

 赤澤おばあさんの家は、いきなり、愉快な宴会会場になった。

 そして、三人は。
 赤澤のベッドに、そのまま倒れ込み、幸せな眠りの中にとけていった。
 温かい夢を見ながら。


「木更津!柳沢!裕太くん!こんなところで寝ていると風邪をひきますよ?」
 遠くでかすかに観月の声がして。
「話し合いをするとか呼び出しておいて、三十分も待たせた俺らが悪いんだよ。みんな、部活で疲れていただろうし。」
 赤澤が声を押さえて、観月をいなしている。
「今夜、寮委員会があるの、忘れててみんなを呼び出した僕もいけないんですけどね。……赤澤の部屋じゃないですか。ここは。」
 少し、むくれたように、観月が口をとがらせているのが、気配で分かった。

 起きなくちゃ。観月さんと赤澤部長が帰ってきた……。

 目をこすりながら起きあがった裕太の頭に。
 赤澤がぽふっと手を置く。
 観月が肩をすくめてみせる。
「部屋に戻ってお休みなさい。裕太くん。話し合いは明日にしましょう。」
 裕太の横で、ようやく身を起こした木更津が、小さく、くすくすと笑った気がした。
 いつのまにやら、飄々とベッドを抜け出して。
 柳沢が、う〜ん、と大きな欠伸をした。





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