省エネ計画〜ルド篇。




 聖ルドルフの夏は、早く終わった。
 部長の引継が間近に迫った一学期終了間際。
 レギュラー部員たちは、部室に顔を揃えた。
 授業終了後の静かな時間。窓に射す西日が、柔らかい。

「集まってもらったのは、他でもない。ちょっと相談しなくてはならないコトがあってな。」
 赤澤が、頬をかきながら、ゆっくりと慎重に言葉を選ぶ。
 隣りに座る観月は、悔しそうに唇を噛んでいた。

「今年、テニス部の実績が……それほど良くなかったということで、部費の予算を削られることになった。いろいろ、買い換えたい備品なんかもあったんだが……それも我慢しなくちゃいけないな。俺らはともかく、二年生たちには、本当にすまないと思う。」

 赤澤の言葉に、三年生がみな、二年生レギュラーに対して頭を下げる。
 たぶん、事前にそういう話をしていたのだろう。
 裕太と金田は、びっくりして、目を見開いた。

「先輩たちのせいじゃないっす!!」
「俺たちが不甲斐なかったからです!!こちらこそ、先輩たちを引退させちゃって、すみませんでした!!」

 こういう空気が好きだな、と。
 赤澤は思った。
 ぎすぎすした関係のまま、全国大会まで勝ち残るより、都大会止まりでもこんな優しい空気の中にいられるって方が、ずっと幸せだ、と。
 寄せ集め集団と呼ばれようが、スクール派と部活派で多少すれ違いがあろうが、マネージャーが紫の似合うマッドサイエンティストだろうが。
 それが今日という日の、この優しい空気のためだったのなら。
 俺は中学の三年間に悔いはない。本当に。心から。

 しみじみと、赤澤はそう思った。
 赤澤とは、いわゆる「男はつらいよ」なんかが好きで、涙腺のゆるいタイプの男である。

「ぼくの……せいですよ。……ぼくの読みが外れたから……!!」
 俯き加減に吐き捨てたのは、珍しく寡黙だった観月で。
 部員たちは一斉に目を上げた。

「良いんだ。自分を責めるな。お前のせいじゃねぇよ、観月。みんな、精一杯やったんだ。でも、氷帝や青学がそれ以上に強かったってだけだろ。」
「そうですよ。観月さんのせいじゃないです!」

 赤澤と裕太のいたわりの言葉も、落ち込んだ観月には届かない。

「ぼくが悪いんです……。だから……ぼくは……予算削減に負けないような……節約のためのシナリオを考えました。」
「い、良いよ!観月!!お前のせいじゃねぇし!」
「そ、そ、そうっすよ!観月さんっ!!」

 赤澤と裕太の制止の言葉が、少し震えていたのは錯覚ではない。

「いいえ!良くありません!ぼくにはぼくのけじめの付け方がありますから!」

 そのとき。
 部室の空気は、素晴らしい紫色だった、と。
 赤澤は震える文字で、その晩、日記に記している。

 西日が次第に朱を強め。
 部室内は、穏やかに蒸し暑い夕暮れを迎えていた。
 鞄の中から、銀色の缶を取り出した観月は、それを机の上に、ことり、と静かな音を立てて置く。

「節約の基本は、省エネです。でも、部室の電気を節約したところで、部の支出は減りませんからね。省エネで、収入を増やす方法を考えました。」
 手の中で、ころりと飾り気のない缶を転がして。
 一同を見回しながら、観月は相槌を求めるように、小首を傾げる。
 金田の息を詰めて、唾を飲み込む音が、室内に響くほどに、張りつめた静寂がそこには満ちていた。

「今からぼくが、一人に一つずつ、省エネの目標を出します。それを守れなかった人は、そのたびに、この缶に10円、入れてください。」
 ……なんだ。
 予想していたよりも、ずっと常識的な提案じゃないか。
 一同は、ふぅっと、肩の力を抜いて、微笑みあった。

「まず、金田くんの目標ですが。君はよく、部屋の電気をつけっぱなしにして出かけますね?部屋を五分以上空けるときには、電気を消すこと。」
「は、はい。分かりました!」

「次に、裕太。君は長電話が多いですね。ご家族との電話だそうですが……30分以上電話した日には、10円です。良いですね?」
「あ、えっと、気を付けます!」

「野村くんは、顔や手を洗うとき、水を出しっぱなしにしますよね。あれは水のムダです。いちいち止めてください。それができなければ。」
「10円、だね。分かったよ。」

 ……しかも!
 目標も至ってまともだ!!
 赤澤は感動すら、覚えていた。こんな普通のシナリオだったら、さっき、慌てて観月を止めたりしなければ良かった。悪いことをした、とさえ、彼は思っていた。

 しかし。
 感動は長くは続かない。

「木更津、君は、はちまきが長すぎます。」
「ん〜?くすくす。そうかな。」
「それ一本で、二本分のはちまきが作れますよ。ムダです。半分に切って二本になさい。」
「ダメだ〜ね!敦はそのはちまきで、バランスを取っているだ〜ね!切ったらまっすぐ歩けないだ〜ね!」

「柳沢のムダは語尾の『だ〜ね』です。なくても意味が通じますからね。エネルギーの無駄遣いです。それを言った日には、10円。」
「そ、そんな……ひどいだ〜ね。」
「そうだよ、それじゃ、柳沢は、何もしゃべれなくなっちゃうよ。口癖がなきゃキャラだって立たないよ。くすくす。」

 木更津・柳沢ペアの抗議をあっさり無視して。
 観月は赤澤に向き直った。
 遠くでカラスの鳴き交わす声がする。

「赤澤のムダなところは……考えれば考えるほど、いろいろ思いついて、どれを目標にして良いのか、分からないほどでした。その大きすぎる声、焼けすぎた肌、横柄すぎる態度……どれもひどくムダで。要するに、赤澤。あなたはムダにムダが多いのです。ムダがムダなのです。」
「はぁ?」
「ですから……赤澤、あなたはムダなのですよ。」
「は???」

 なんだか、ひどいことを言われたような気がした。
 しかし、観月の目があんまりにも真剣だったので、赤澤は口をつぐむ。
 きっと。
 観月なりの考えがあるに違いない。

「だから赤澤。あなたは存在する限り、毎日10円です。良いですね?」
「……ひでぇ話だな。」
「我慢してください。あなたはムダなんだから。んふ。」

 それから、正面を向き直し。
 顎に人差し指をあてて、観月は静かにしばらく言葉を選んだが。
 ゆっくりと。
 口を開く。

「それからぼくですが……。」
 ぐるりと周囲を見回しながら、柔らかく微笑み。

「ぼくはこの美しさがムダです。ムダというよりむしろ、罪です。」
 部員たちは、静かに穏やかに凍り付いた。
 時計の秒針が刻む時刻のみが、世界の存在を示していた。

「だからぼくも、存在する限り、毎日10円、払わなくてはいけません。ふぅ。美しいということも、面倒な話です。」

 五時を告げるチャイムが鳴る。
 夏の夕暮れは、まだまだ闇をもたらさない。

「しかたない、か。じゃ、俺ははちまき、切らないから10円ね。今日の分。」
「そうだ〜ね。俺も口癖は直らないから、諦めて10円払うだ〜ね。」

 ちゃりん。ちゃりん。

 銀色の缶の中に、赤茶けたコインが二枚、投げ込まれ。
 その瞬間、観月の張りつめた眼差しが、やっと緩んだのを感じて。
 赤澤は、大きく息を付いた。

「しょうがねぇな。ま、俺は俺だからな。おら。10円!」

 結局。
 金田の電気消し忘れ癖も、裕太の長電話も、野村の水出しっぱなしも、全く治らなかった、というお話である。
「全然、省エネの役に立たなかったじゃないですか!!」
「あはは。また外れたな。お前のシナリオ。」

 赤澤は思った。
 予算が減らされたのも、きっと良い想い出になる、と。



ルドルフのちょっと良い話になってしまいました……。
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