このSSは一連の大仏シリーズ完結編です。
もしよろしければ、大石篇(大桜捏造の「夜中の電話」)、氷帝篇、不動峰篇を
先にお読みいただければ幸いでございます。
大仏騒動〜山吹篇。
薄曇りの空から、ときおり一筋二筋、神々しい光が射し込むような日がある。
そんな日には、人はなぜか、敬虔な気持ちになったりするもので。
たまたま、改札口で南は東方と出会った。
朝練が始まるまで、まだ余裕がある時間帯。
他の部員達と遭遇するとは思っていなかったせいか、お互いに少しびっくりしながら挨拶を交わす。
ラッシュよりもずいぶん早い。会社に向かう人の波はなく、辺りはいつもよりもずっと静けさに満ちていた。
人気のない路。前方に、一人だけ、山吹の制服を着た少年が歩いている。
「あれ?千石じゃないか?」
東方が指す先をよくよく見れば、確かに髪の色もなにも千石らしく思われるが。千石と確信するには何か違和感、がある。なにしろその少年は、異常なまでに落ち込んだ様子で、とぼとぼという効果音がぴったりな歩き方をしていたのである。
しかし、間違いない。あれは千石だ。
声を掛けて良いものか、一瞬ためらう東方を置いて、南は小走りに千石を追い、肩をつかむ。
「おはよ、千石!どうしたんだよ?お前。暗いぞ?」
「あ。」
振り向く間もあればこそ。
千石は南をがばぁっと抱きしめて、ぼろぼろと泣きだした。
追いかけてきた東方も、抱き付かれた南も、呆然と千石の乱心ぶりを見守るしかなかった。
「南、南、南、南〜〜〜!!良かったぁ。良かったよぅ。」
「おい?大丈夫か?何があった?」
しばらくは南の白いガクランを涙で濡らした千石であったが、これでは洗濯屋送りだ、と南が諦める寸前に、千石はようやく顔を上げて鼻をすすり上げつつ、事情を話し始めた。
雲の重く垂れ込める空に、うっすらと太陽の在処が透けて見えている。
「昨夜、南に俺、電話したの。でも、南が出てくれなくてさ。……それで心配で、……何ていうかな、……いなくなっちゃったんじゃないかって、思って。」
「あぁ、ごめんな。携帯、鞄に入れっぱなしだった!」
南は鞄のポケットから、昨夕放り込んだまま、すっかり忘れていた携帯を取り出す。メールも電話もバイブレーション設定になっているので、鞄に入れたままでは連絡の取りようがない。
着信を確認すると。
午前一時過ぎから、三分ごとに二時過ぎまで延々着信が記録されている。
もちろん、全て千石からのメールか電話である。
見ようによってはストーカー、に他ならないが。
「すごい深夜だな。こんな時間に急用?」
「……うん。っていうか、怖い夢、見てさ。」
「怖い夢ぇ?馬鹿かよ?子供っぽいやつだなぁ。」
そう言いながらも、千石の情緒不安定の理由がはっきりして、南は少し優しく微笑んだ。東方も小さく頷いて笑う。
東の空に柔らかい色の雲が見える。
「ホント、怖かったんだってば!俺が怖かったってよりね、南が……南がさ……。」
と、夢の話をし始めようとして、千石はまた涙ぐむ。
「だって、南が……。」
そんな辛い夢だったんだろうか。
それでも自分のことを案じて、泣くほど不安がってくれる千石の気持ちが嬉しくて。
がしがしっと、千石の明るい色合いの髪を掻き回すように撫で、南はなんとか千石を元気付けようとした。
「俺、ちゃんといつも通りだろうが!お前がどんな夢、見たか知らないけど、勝手に俺を不幸な目に遭わすんじゃないっ!」
「うん。ごめんね。南。ほぇぇ。でも良かったよぅ。正夢じゃなくて!」
ようやく、泣きやんだ千石に、南と東方はほっと胸をなで下ろす。
自転車が彼らの脇を小さくベルを鳴らして駆け抜けていった。
「あのさ、南がテニスコートにいるのを、俺、遠くから見てるんだよね。」
「ああ。」
「そしたら、どこからともなく、不動産中の橘と、えっとタオル巻いている二年生、誰だっけ?あれと、それから青学の大石と、氷帝の……跡部の後ろにいるでっかいやつが出てきてさ、南を取り囲むんだよ。」
「ふぅん、妙な取り合わせだな。橘と石田と大石と樺地、か?」
「うん、しかもみんな、おでこに橘と同じほくろを貼ってるんだよ。なんか異様な雰囲気でさ。」
「ほくろぉ?」
「しかも、みんな、後光が差していて、手もこんな感じ。」
そう言って、合掌してみせる千石。
それは……確かに取り囲まれたくないかもしれない。
アスファルトの割れ目から細い猫じゃらしが芽生えている。生け垣にこっそり花開こうとする露草は、まだつぼみばかりで、丈も膝までもない。
「でさ、でさ。橘が南の方にすっと寄ってさ。」
「ああ。」
「おでこに、橘とお揃いのほくろを貼るんだよ。」
……やっぱり。
そう来ると思ってはいたが。
お前はなんで、そんな夢を見るんだ、と南は困惑しつつ溜息をつく。
「他の三人が、南を指さして、『大仏確認!』って言って、橘が満足そうに頷いて。」
「……ああ。」
……確認するなよ。そんなもの。
「そしたらね。南にも後光が差してね、南もこう、手を合わせて拝むみたいにして。」
「……ああ。」
……俺もその異様な集団の仲間入りしちゃったわけね。
「それで、橘がさ、『祈ろう。世界のために。』とか偉そうな口調で言うのにさ、南も他の連中もなんかまじめな顔して頷いて。」
「……うん。」
ああああ、千石のやつ、また涙目になっている!
「みんなで西の空を目指してさ!『さぁ、行こう!世界を救うために!』とか感動的なこと言いながら、黄色く光る雲に乗って、ふわふわ飛んで行っちゃったんだよぅ!」
……はぁ。
それで、千石は南の身に何かあったのではないか、という不安に駆られて、深夜に繰り返し電話をかけてきたのか。
事情を了解し、南は目を上げ、東方に小さく肩をすくめてみせる。
東方も「しょうがないやつだな。」という風に軽く目を細めて、千石の肩をぽん、と叩いた。
「大丈夫だろ。南が雲に乗ってどっか行くわけないじゃないか。」
「う〜。でも。でも、すげぇリアルな夢だったからさ。」
困ったように、そして少し照れたように千石は笑って。
ようやく気持ちが落ち着いてきたのだろう、学校に向かって歩き始める。
「そんな、泣くなよ。俺がいなくなる夢を見たくらいで。」
なんだかんだ言って、千石の気持ちが嬉しかった南は、少し機嫌が良い。
長身の東方は、歩調を落とし気味に、二人の背中を見ながら歩く。
「だって、だって、南がいないとさ。」
「うん。」
「誰が亜久津の面倒を見るんだよぅ。誰が伴爺のオヤジギャグに受けるんだよぅ。誰が新渡米と喜多とコミュニケーションを取るんだよぅ。」
「……お前な。」
真顔で言い募る千石に、好意を感じた自分がおろかだった、と南は軽く後悔する。
しかし、まぁ、千石の功利主義は今に始まったことではない。
彼のそういう現実的な思考自体は、南も評価していた。
「ま、でもさ、千石。そういう仕事は誰だって替われるけど、南が居なくなったら、寂しいだろ。」
さすがにそのままでは南が可哀想だと思ったのか、東方が優しくフォローを入れる。
すると、千石は、激しく首を縦に振って。
「そうだよね!そうだよね!!だって南が居なくなったら、東方、辛いよね?」
「ん?ああ、そうだな。南と一緒じゃなきゃ、俺、テニスやめるかもな。」
「だよね!だよね!だって、東方一人じゃ、大変だよね!『地味’s』がただの『地味』になっちゃうもんね!!」
その瞬間。
斜め前を行く南と、斜め後ろに居た東方から、絶妙の連携で同時裏拳突っ込みが炸裂した。
「『地味’s』って言うな〜〜っ!!」
千石はそのとき、心から思った。
やっぱり南が居てくれて、本当に良かった、と。
空の高み。
雲の合間から、細く白い光の帯が、静かに静かに彼らの上に降り注いでいた。
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