けんかの必勝法?〜氷帝篇。


 跡部が樺地とけんかしているらしい、と、宍戸に鳳が告げたのは、その日の昼休みのことであった。
 昼練はないものの、ミーティングで部室に招集された部員達は、思い思いに解散した後。なんとなく部室に残っていた数名のレギュラー陣は鳳の言葉にびっくりした。

「跡部と樺地がけんかしたぁっ?!」
 素っ頓狂な声を上げる宍戸。
 すると、他の話題に興じていた向日とジローが跳ねるように向き直って。
「跡部と樺地が結婚したぁっ?!」
 と。
 聞き返す。

「っていうか、中学生って結婚して良いの?!」
「っていうか、どっちの苗字になったの〜?!」

 眉間を押さえる宍戸。
 驚くところがずれているなぁ、としみじみ天然先輩を尊敬し直す鳳。
 そして、岳人可愛いなぁ、と微笑みを禁じ得ない忍足。
 それぞれの思惑を乗せて、初夏の風が吹き抜ける。

「けんかだっつうの。け・ん・か!!」
「なぁんだ。けんかかぁ。」
 ぼけぼけ空間の威圧力に耐えられず、まともな突っ込みを入れてしまう宍戸。
 にこやかに受け流した向日とジローは、納得したように頷いた。

「そういや、跡部、今日は樺地に声かけてなかったね。」
「樺地小さくなってたし〜。けんかしていたんだ〜。」

 外の砂塵が迷い込んだモノか、床はじゃりじゃりと埃っぽく音を立てていた。

「気付いていたんか?」
「うん。だって、跡部、樺地のこと、無視してたよ?樺地、ずっとおろおろしてたから、どしたんだろーなーって。」

 気付いていたのに、どうしてあんなぼけをかますんだろう。
 と、鳳は遠い目をした。ここ二年で、俺は遠い目をするのがとっても上手になった、と思う。宍戸さんがよく大人びた遠い目をしていた理由が、なんとなく分かった気がした。

「どうも、樺地がクラスの女の子に告白されたとかで。それを樺地のやつ、隠していたってんで、跡部さんが怒った、らしいです。」
「はぁ?ってか、そんなコト、跡部に報告する義務はねぇだろ。」
「跡部のわがままじゃんかっ!それ!」
「八つ当たりだね〜〜。」
「樺地は被害者やな。そんなん、けんかやないで。」
「……俺に怒らないでください〜〜。」

 理由は明白になった。
 なんかすごく、脱力するような内容だが。
 とにかく、何とかしないことには、困る、のである。
 跡部が優秀な部長であり、樺地が人格者である、のは氷帝では自明の真実なのだが、実は見逃されがちな重要な事実がもう一つあった。
 それは。
 テニス部の運営は二人の連携がない限り、上手く回らないということ。
 二人が口を利かなかったりすると、たぶん、部活の進行は滞るし、部内の調和も崩れるに違いない。

 仲直り、しろ。
 ってか、頼むから、仲直りしてくれ。

 居合わせた部員達は、心からそう願った。
 しかも、みな、心のどこかに樺地に借りがあったので、樺地を助けてやりたい、とも思った。
 跡部のわがままだと分かっていても、それに付き合わされるのは樺地で。
 あの優しい樺地が傷つくのは、あんまりだ。
 それに、あの二人が仲直りしてくれないと、結構困る、のだ。

 跡部の指示で樺地が回収に来てくれないと、試合会場で寝ちゃったときに困るし。>Jさん。
 部活ふけたいときに、樺地経由で跡部から監督にアリバイ証言してもらえないと困るし。>Oさん。
 練習中のたずらで跡部が激怒して、樺地が取りなしてくれなかったらやばいし。>Mさん。
 レギュラー復帰のとき、樺地がいろいろ跡部にフォローしてくれたらしいし。>Sさん。
 樺地経由で跡部さんから、定期試験の過去問を回してもらえないとまずいし。>Cさん。

 ……いや、ホント、困るし。

 そんなわけで、跡部を諭して樺地と仲直りさせるぞ大作戦、が開始されたのである。
 部活開始間際の、着替えの時間にミッションはスタートした。

「へぇ?じゃ、結構大げんかとか、すんのか?」
「そやな。岳人も俺も、言いたいこと言うし。」
「お互い、言いたいだけ言っちゃうとさ、その場ではむかつくんだけど、後くされないしさ。相手の考えてることも分かるしなっ。」

 さりげなく宍戸がダブルス専門の二人にけんかの話題を振る。これがミッション開始の合図。
 彼らに背を向けるように、黙々と着替える跡部。少し離れたところで、おどおどと着替える樺地。役者は全部、揃った。
 ちなみに鳳は、樺地から直接けんかの件を聞いているという立場上、今回のミッションは参加していない。ジローはきっと、教室で寝ているのであろう、行方不明であった。

「ってか、言いたいことを黙ってるってくらいなら、けんかした方がいいよ。」
「そうそう。黙ってるのが一番、あかん。」

 跡部の背が、ぴくり、と動いたような気がした。
 白熱灯の下、部員達がばたばたと出入りしている。

「宍戸もけんかはするやろ。」
「あ?ああ。するぜ?」
「滝とか鳳とかもけんかするときはしそうだよなっ。」
「ジローだって怒るときはあるやろな。」

 部員の出入りで扉が開くたび、砂埃が舞い上がり、白熱灯の光の帯にきらきらと反射した。

「樺地は?」

 今度は、樺地の大きな背がわずかに反応する。
 外は蒸し暑いくらいの初夏の風。部室の中はますます熱が籠もっていて。

「樺地を怒らせるやつがいたら、絶対、そいつが悪いよなっ。」
「そうやなぁ。樺地が怒るっていうたら、よほどのコトやろな。」
「ってか、樺地を泣かせたりしたら、そいつ、絶対、人間のクズだぜっ!」
「うんうん。許されんクズや。」
「俺、そんなやつとは絶交だかんなっ。」
「そやな。そんなクズとは付き合ってられへんな。」
「樺地だって、そんなひでぇやつとは友達ではいられないよなっ。」
「当たり前やろ。そんなやつと付き合っちゃいかん。」
「絶交だよなっ。」
「もう、すぐに絶交やな。」

 ミッションの半ばで、宍戸はすでに脱落していた。
 ダブルス専門の悪のりとも言えるような勢いには、付いて行かれない。
 悪のり会話の延々と続く中。
 跡部は全く動かない。
 樺地も微動だにしない。

 そして。
 地を這うような低い声で、跡部が口を開く。

「おい。」

 誰が呼ばれたのか。
 おそるおそる、跡部の気配を探りつつ、横目で振り返るレギュラー陣。
 跡部はうつむき加減に、心持ち、樺地の方へ顔を向けて。
 一同は、怒っているのか、と、思った。
 このミッションを樺地が仕組んだとでも誤解した跡部が、怒り出したのではないか、と。

「樺地!」

 低く低く、樺地を呼ぶ声は。
 どこか震えているようにも聞こえた。
 ……怒っているわけではない。
 何か、不安を感じているような。

 あの跡部が?

 思わず、誰もが振り返る、そんな中を。
 着替えを終えた跡部が、樺地を横目に、扉に向かって歩き出す。

「言っておくが、樺地!貴様が泣いたとしても、俺は……俺は、絶対、謝らないからな!!」
「……う、うす!!」
「とっとと来い!練習開始だぞ!」
「うす!!」

 颯爽と歩み去る跡部の後ろを、樺地がそそくさと追いかけてゆく。
 なんか。
 仲直りした、みたいだ……。
 安堵の息を吐きながら、一同はどこに仲直りのきっかけがあったのか、大いに大いに悩んだのであった。



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