けんか必勝法〜青学篇。


「兄弟げんかってする?」
「するよ。当たり前じゃない。」

 菊丸の唐突な問いに、不二はにっこりと微笑んだ。

「まぁ、姉さんとはしないかな。歳、離れているし。でも裕太とは日常茶飯事。」
「ほぇ。そうなんだ。裕太とけんかしている不二って、想像できないなぁ。」

 練習の休憩時間。木陰で汗を拭いつつ、菊丸は空になったペットボトルを軽く投げ上げて、首を傾げる。
 カラン。
 オオバコの茂みに落ちたペットボトルを拾い上げ、菊丸に返しながら、不二は笑った。

「なんで?兄弟だったら、するでしょ?普通。」
「ん。でもどんな感じか想像できないや。」

 まだ穂が育ちきっていない柔らかい猫じゃらしを揺らして、風が抜けてゆく。

「確かに不二と裕太のけんかって、想像できないね。」
「そうっすよね。不二先輩、余裕かましててけんかにならなそうっす。」
 隣りから大石と桃城も相槌を打ち。
 困ったように不二周助は前髪を掻き上げた。

「う〜ん。普通の兄弟なんだけどなぁ。」
「じゃ、どんな感じにけんかすんの?」

 期待に満ちた菊丸の眼差しに、不二は頬をかいて、しばらく何かを思い出すような目をしていたが。

「そうだねぇ。たいてい、裕太がなんだか怒り出して、大騒ぎして、暴れ出して、しばらくしたら泣きながら部屋を飛び出していくんだけど。」
「う。……その間、不二はどうしてるの?」
「ん?ボク?ボクは『裕太、可愛いなぁ。』って思いながら見てる。」

 それは兄弟げんかじゃない!
 一同は思った。だが、口に出して言うだけの度胸はなかった。
 ただ、裕太憐れむべし、と、心に涙することしかできはしない。

 そんな一同の思惑を知ってか知らずか。不二は大石に話をふる。

「それより、ボクは大石が気になるんだけど。妹とけんかとかする?」
「ときどきね。ひどいコト言って、泣かしちゃったりもするよ。」
「へぇ、意外〜。大石が?」

 土の匂いがする。蟻の行列がオオバコの茂みを迂回して、遠くまで静かに続いていた。

「うちの妹、口が立つから。つい、言い返しちゃうんだよね。後で後悔するけど。」
「ああ、妹ってそうっすよね。分かります。俺も妹いるから。」

 手を伸ばせば届きそうな雲の中に、ふわりと日が隠れて、一瞬、世界中が日陰になって。
 すぐにまた、明るい大地が戻ってくる。
 不二は桃城の顔を覗き込むように、口を開いた。

「そっか、桃も妹いたんだっけ。桃のうちの兄弟げんかは激しそうだね。」
「ええ、すごいっすよ。でもまぁ、負けないっす。」
「必勝法とか、あるの?」
「ありますよ。もちろん。絶対、先手必勝!これに限ります。」

「俺も!!」
 ぐっと拳を握りしめて言い放つ桃城に、菊丸が背中から飛びついた。
「うわぁっ!!」
 地べたにあぐらをかいて座っていた桃城は、少し前のめりになりながら、大げさに驚いてみせる。二人の髪を揺らして、猫じゃらしを揺らして、大きく風が吹いた。

「あはは。ごめんね!桃。でもさ、俺も先手必勝主義だからさ。」
「やっぱ、けんかは先手必勝っすよね!」
「うんうん。」

 意気投合して握手を交わす。
 長兄の桃城と、末っ子の菊丸が同じ戦法でけんかを勝ち抜くなんて、面白いな、と、端で聞いていた乾は静かに眼鏡を光らせた。
 しかし。
 あるいは。
 案の定。

「先手必勝ってさ、これ?」

 大石が軽く菊丸を殴る仕草をすると。
「ひょえ。」
 情けない声を上げ、頭を抱えて、桃城の背中に張り付いていた菊丸は思いっきり身をすくめた。

「そうっす。何か言ってきても、ガツンと一発っすよ。」
「弟だけじゃなくて、妹にも?」
「妹の方が手に負えないっすから。口げんかじゃ。」

 腕をぐるぐる回しながら、桃城は爽やかに笑って。
 ふと、面白いモノを眺めているような不二の視線に気付き、背中に張り付いていた菊丸を振り返ると。
 菊丸は、冷たい目で桃城を見ていた。

「野蛮〜〜。桃、野蛮〜〜。」
 唇を突き出すように、菊丸は言う。
「え?英二先輩だって、先手必勝だって言ったじゃないっすか。」
 桃城の言葉に、ぷぅっと頬を膨らませ。
 菊丸は言った。

「俺は、兄ちゃんや姉ちゃんより先に泣くコトにしてるの!!」

「へ?」

 一瞬、固まってから。
 その場に居合わせた連中は、一斉に吹き出した。
 それは確かに先手必勝、かもしれない。
 一発殴るより、ずっと無敵の作戦、かもしれない。

 雲の影が校庭をゆっくりと流れてゆく。

 皆が大笑いする中、菊丸一人、憮然としている。
 乾は、不二がのんびりと。
「いいなぁ。一度、試してみようかな。」
 と、つぶやいていたのを聞いてしまったが。
 菊丸を泣かしてやろう、という意味なのか。
 裕太相手に先手必勝で泣いてみよう、という意味なのか。
 判断が付きかねる、と乾はその日、ノートに記している。

 雲の影が静かに校舎の壁を滑っていった。




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