半水滸伝!曲の巻。
<冒頭文企画連動SS>



 「これなんかどうだ?」と、亜久津は付箋のついた『通販生活』をそっと差し出した。
「秋の健康グッズ特集……?」
 怪訝そうな目でページを開く室町に。
「中は関係ねぇ。燃やすもん探してんだろうが。」
 ひったくるように奪い返す。
「……これ、燃やしていいんすか?付箋貼ってあるのに。」
「……うるせぇ。」
「学校持ってくるほど愛読しているのに。」
「うるせぇって言ってんだろうが!」
 9月の空の下、××駅前の公園の片隅で、亜久津と室町は焚き火の準備をしていた。
 何もかもあの爺の陰謀だ、と亜久津は考えている。
 だが、俺は亜久津仁だ。巻き込まれたからには勝つ。それだけのこと。

 コトの発端は、言うまでもない。
 リクリエーション企画の参加者名簿に、亜久津の名前が勝手に加えられていたことである。
「俺に指図すんな!」
 いつものにまにました口調で、伴田からぜひ参加するようにと促されて、キレた亜久津を言いくるめたのはなぜか新渡米だった。普段通り飄々と芽を風になびかせて、新渡米は真顔でこう告げた。
「夏が来れば思い出すのは遙かな尾瀬だけではないのだ。」
 それが何だ、と亜久津は素で思った。
「だから、亜久津も参加すると良いのだ。きっと南が地味に喜ぶのだ。」
 「だから」と言われても、この話と尾瀬の話はいったいどういう関係なんだ、と亜久津は素で思った。
「……うるせぇんだよ。」
 断るのももうバカバカしかった。舌打ちしながら、亜久津は渋々参加を承諾した。
 
 誰が言い出した話だったのか、伴田も定かには覚えていないという。
 とにかく全国大会終了の数日後のコトだ。
 せっかく子供たちがこれだけ仲良くなったのだから、関東近郊の学校で何かリクリエーション企画の一つもやってみようじゃないか。
 そんな話が持ち上がった。
 希望者参加の小さな小さなイベント。
 部長が全員分申し込んだ学校もあったし、各人好き勝手に登録した学校もあった。
 どちらでも良い。
 とにかく自由参加で楽しんで欲しい。
 そんな顧問、監督たちの思いを込めて作られたイベント。

 その名も。
 人間オリエンテーリング。

 地図片手に目的地を走破するのがオリエンテーリングなら、メンバー表片手に目的のメンバーを全員集めるのが人間オリエンテーリング。
 それぞれの生徒に与えられるのは、自分のグループのメンバー表と1つか2つ文字が書かれたカード。
 全員集って、文字札の文字を正しく並べたなら次の目的地が分かる、というルールだけは単純なゲームである。
 集まり方は自由。
 他のグループと助け合っても良し。
 自分たちだけで頑張っても良し。

 大人たちが作った企画で踊らされるのは好きではない。
 だが、こんな適当な企画であれば、大人たちの予想もしなかった方法で度肝を抜いてやることができそうな気がする。
 10時になると同時に、山吹の部室では全員が封筒を破り開く。ある者は友人のメンバー表を覗き込み、ある者は黙って考え込んでいる。
「最高じゃねぇの。」
 亜久津は呟きながら、メンバー表を眺めた。

 亜久津仁(山吹中/中3/リーダー)
 菊丸英二(青学中/中3)
 木更津亮(六角中/中3)
 ジャッカル桑原(立海中/中3)
 樺地宗弘(氷帝中/中2)
 室町十次(山吹中/中2)

 一番気になるのは、やけにカ行の姓が多いことである。
 いや、それは気にはなるが、実のところ大した問題ではない。問題は、山吹きっての問題児、おそらくは都内有数の問題児と目されているであろう自分が、リーダーに指名されていることだ。認めるのは癪だが、伴田が自分を推したのだろう。何しろ中3は4人もいる。関東大会前に退部している自分がリーダーになる必然性は全くないのだ。
「おお!南ってばリーダーじゃん!」
 部室の片隅で千石が嬉しそうに声を上げる。
 ふーん。南もリーダーか。適任だろうな。地味だしな。
 山吹のテニス部員に、南の有能さを疑う者はいない。それは南が地味であることと同じくらい、確かな事実だ。亜久津もそのご多分に漏れず、南がリーダーに適任であることは認めている。だが、自分はどうだ?
 伴田がにまにまと皆を見守っている。
「すごいですだーん!リーダーに選ばれているってコトは、亜久津先輩も素敵に地味だったってコトです!尊敬するです!」
 横からメンバー表を覗き込んできた太一が叫び声を上げると、一斉に仲間たちの注目が集まった。南までもが亜久津のメンバー表を覗きにくる。
「……俺のコトは放っておけ。お前、自分の方はどうした?」
 突き放すような言葉に、小さく苦笑する南。
 そして、ゲームが動き出す。
「……行って来る。」
 全てを見透かすように微笑む伴田をぎろりと睨み付けてから、亜久津は山吹を後にした。駅に向かう亜久津を、当然のように室町が追った。

「室町。」
「ッス。」
 低く呼びつければ、怯える様子もなく室町が応じて。
「このメンバーの中で一番有名なヤツは誰だ?」
 そう問われて、室町は自分用のメンバー表を取り出した。
 亜久津は菊丸しか知らないのだと言う。確かにそれはそうだろう。亜久津は、都大会までしか参加していないし、参加したといっても、渋々、数試合に顔を出しただけなのだから。
 しかし、逆に、都大会に参加していた人たちは、全員亜久津を知っているに違いない。亜久津の知名度たるや、そうとうなものだ。
 そこまで考えて、室町ははたと首をかしげる。
 だけど、千葉や神奈川の人たちは亜久津さんのコトなど知らないのではないか?
 そうなると話は別だ。亜久津よりも有名な人はいる。
「一番だったら、青学の菊丸さんじゃないっすか。」
 駅に続く道。片手でメンバー表を広げ、歩きながら亜久津はペンで菊丸の名に○を付けた。
「なら、お前が山吹の生徒じゃなかったら、このメンバー表を見て、まずどうする?」
「俺が他校生だったら、っすか?」
 反芻するように呟いて、室町は相変わらず無表情なまましばらく黙った。
 たとえば、氷帝の樺地だったら。
 あるいは、立海のジャッカルさんだったら。
「山吹に行くと思います。」
「俺のことを知らないヤツでもか?」
「うぃっす。菊丸さんはリーダーをやりたがる人じゃない。他の人もリーダーっぽくない。だけど、全員、リーダーに協力的だと思う。……とすれば、みんな、大将のとこに集まろうとするんじゃないっすか。」
 室町の推理に今度は亜久津が黙った。黙ってメンバー表を睨みつける。
 9月の風が吹く。キンモクセイにはまだ早い。
「青学、氷帝、立海、六角から、山吹に向かうなら……全員、××駅で乗り換えるはずだな。」
 当たり前のように確認されても、室町は瞬時には反応できなかった。山吹以外の学校がどこにあるかなんて、きちんとは知りはしないのだ。だが、どうやら亜久津はそれを全て把握している。
 ……もしかして、一通り偵察に行ってきたんじゃないだろうな。この人。
 大した理由もなく、青学の偵察に行く亜久津である。うっかり立海あたりまで偵察に行っていてもおかしくはない。いや、もちろん何かおかしいけど。
「だとすれば、××駅で集合するのが一番ムダが少ねぇな。ここで他のヤツらを捕まえるぞ。」
 駅の改札をくぐれば、すぐに電車が入ってくる。
「でも××駅で人を捕まえるのは難しいんじゃないっすか?」
 大きなターミナル駅では、乗り換えのルートは一つだけではない。あっちの階段を使うか、こっちの階段を使うかで、同じ路線に乗り換えるにも、いろいろな行き方がある。どうやって捕獲するのか。
「……再考じゃねぇの。」
 亜久津のつぶやきに室町はどこか安堵した。もちろん、室町は気づいていない。今の亜久津の台詞が「考え直さなきゃいけねぇじゃねぇの」という意味であることなど。
 そして2人は電車に乗り込んだのである。


 10時5分過ぎごろだろうか。
 青学正門前のガードレールの上に座って、菊丸はメンバー表を手にむーっと唸っていた。
「亜久津がリーダーとはびっくりだな!」
 中3は4人いる。だが、部長とかやっていた人はいないし、どこかのエースだったヤツもいない。敢えて言えば、亜久津は山吹のエース級だった。それは確かだ。
「……俺は黄金ペアだけど、それだけだしな。ジャッカルは肺が4つあるけど、それだけだしな。木更津は双子だけど、それだけだしな。そうしたら、やっぱ、試合中、変なジャンプができる亜久津がリーダーなのも当たり前か。」
 熟慮の末、菊丸は深く頷いた。
「うん。やっぱ、亜久津がリーダーなのが一番良さそうだな。このメンバー!」
 くるりと宙返りしながら、ガードレールから飛び降りる。軽やかに着地すると、ぐっと拳を握りしめる。
「じゃ、リーダーんとこに行かなきゃだよな!それに……俺が駆けつけないと、室町くんが亜久津と2人っきりじゃないか!待ってろよ!室町くん!俺が今行くからな!」
 拳を握りしめたまま、菊丸はもう一度意味もなくひらりと宙返りをして、そのままの勢いで走り出す。
「レッツゴー!」


 時間は少しだけさかのぼる。
 9時過ぎに、立海の部員は部室に集結した。幸村に呼び出しを食らったのである。おそらくは何か思うところがあって、特別練習が課せられるのだろう。呼び出された数名の部員は、みな、その特別練習を甘んじて受けようと心していた。幸村が呼び出すのは、その部員に期待しているからである。たとえ、不条理なほど過酷な練習であっても、不条理なほど過酷な批判を浴びても、それが立海大なのである。
 そう思っていた部員たちに、幸村がきっぱりと、しかしけだるげに告げた。
「突然だけど、今日は練習とかじゃなくて、オリエンテーリングだから。」
「え?」
 びっくりしたのは、ジャッカルだけではなかった。全員が、ぽかんと幸村に目をやった。
「聞いていないぞ。」
「だって言ってないもん。」
 柳の言葉に当たり前のように反論する幸村。そう言われてしまっては、誰にも言い返す余地などあろうはずがない。
「今からルール説明するから。」
 幸村が決めたなら従うしかない。異論を許さないのではない。誰も幸村に逆らう気などないのだ。幸村がいて、真田がいる。それが立海である。
「……ルールは以上。分かった?そうそう、もちろん、全員、登録してあるから、今からやめるって言っても無駄だよ。よろしく。」
「たまらん展開だな。」
 そう。幸村がいて、真田がいる。それが立海なのである。
「たとえオリエンテーリングでも、それが立海大だ。負けは認めん。」
 そう。たとえオリエンテーリングでも、真田は真剣だ。真田の声に、一同は頷いた。何だか分からないけど、とにかく頷いた。とにかく、参加するからには、悔いのない戦いをしたい。
「全員、生きて帰ってこい。」
 そう。たとえオリエンテーリングでも、幸村は真剣だ。幸村の声に、一同は頷いた。何だか分からないけど、とにかく頷いた。とにかく、何だろうが、生きて帰ってきたい。
「あと2分で9時半か。」
 ジャッカルの声に、全員の視線が時計に向かう。
「む。」
 真田が眉を寄せた。
 部室が沈黙する。
 いつもなら聞こえない時計の針の音が、かちかちと神経質に響く。
「……9時半!」
 ブン太の声に、部員たちは一斉に封筒に手を伸ばした。

「あれ?柳。真田は?」
「便所だ。……お前は何をやっている?丸井。」
「や、気にすることじゃないやい。真田の携帯、盗もうと思ってるだけだろぃ。」
「ふむ。」
 部員たちは三々五々動き出す。柳などは部室で策を練ってから動くつもりであるらしいし、柳生はもう姿を消している。仁王はさっきまで嬉々として部室の奥の「変装道具入れ」を漁っていたが、満足げに鞄にいろいろ詰め込むと、うきうきと出かけていった。
「……とりあえず、都内に出てから考えるかな。」
 ジャッカルは部室に備え付けてある各校の地図と、路線図で、山吹と氷帝と青学の位置を確認する。
「リーダーのヤツ、山吹の試合に出てたっけ?」
 どうも思い出せない。山吹の試合自体、きちんと見ていないので、実を言えば山吹の部長さえ記憶にないのだが、もしかしたら顔を見たら知っている人かもしれない。
 「あくつ」って読むのでいいのかな。
 山吹に行けば良いのか。それとも、山吹で待機しているようなヤツじゃないのか。分からないけども、とにかく動き出すしかない。菊丸以外の連中、いまいちよく知らないからなぁ。
 ジャッカルは頭をかきながら、とりあえず山吹へと向かった。


「××駅で、目を惹くことをすれば良いわけか。」
 亜久津が呟く。
「俺を人質にとって立てこもるっすか?」
 表情を読ませないが、一見、真剣な雰囲気で室町が問う。
「……そんなふうに目立っても、その後困るだろうが。」
「なるほど。」
 亜久津の正論に、室町は心持ちつまらなそうに応じた。そして、ふとサングラスを光らせる。
「のろしを上げるっていのはどうっすか?」
「のろし?」
「駅前に公園があったじゃないっすか。あそこでのろしを。」
「……警察、来ないか?」
「警察が来ないように工夫できないっすかね?」
 そもそも、のろしなどで、仲間が集合できるのかどうかなど、この際問題ではなかった。というか、普通、打ち合わせもしていないところで、のろしを見て、「お、ここで集合か」などと思うはずもない。だが、亜久津も室町もその辺は気にしなかった。
「……煙が上がっていても、警察が気にしない……。」
 亜久津は空を見上げて。
「……手は……ないわけじゃねぇ。ちょっと面倒だが……やるか。」
 と低く唸った。


 東京に向かう電車の中で、木更津は携帯を手の中で玩びながら、メンバー表を凝視していた。くすくすと小さく笑いながらも、小首をかしげる。
「聡、山吹の亜久津ってどんなヤツか知ってる?」
 電車で隣に座っていた首藤に問えば、首藤も首をかしげた。
「いや……亮のグループにいるのか?」
「そう。しかもリーダー。どんなヤツか、顔も分からないや。くすくす。」
 笑いながら木更津はメンバー表をポケットに押し込んだ。
「俺たちが覚えていないということは、そいつ、南よりも地味なんじゃないか?」
「南より地味ってすごいね。くすくす。」
 全国大会で出ていた山吹の選手たちは、誰も穏やかで優しそうなイメージがした。しかも、全員、心持ち地味めな感じだったし。多少、芽が生えていたり、渦巻いていたりはしたけれど、根がまじめそうな穏やかな雰囲気の学校だった。それは確かなことで。
「ま、行ってみれば分かるかな。」
「山吹に行くのか?」
「うん。やっぱりリーダーの学校に行くのが良いんじゃない?聡はどうする?」
「……そうだな。俺もそうするかな。」
 窓の外を9月の雲が流れてゆく。


 そして時は流れ、11時近い時刻を迎えたころ。
 樺地は歩いていた。 
 ゲームの趣旨は理解している。一応、グループのメンバーは全員把握している。だがメンバーの核である、亜久津という男がどう動くか、なかなか見当が付かない。
 樺地は彼特有の純粋無垢な思考回路を駆使して、亜久津になりきろうとしてみた。しかし、よく考えてみると、亜久津について知っていることといえば、試合中に相手選手に対していきなり「小僧!」と叫ぶことと、ネット際で愉快なジャンプをすることくらいなものだ。あのジャンプは向日がいたく気に入って、芥川と2人で何度も真似してはしゃいでいたのを見ているから、樺地としてもよく知っている。亜久津のオリジナルジャンプと、向日版亜久津ジャンプ、芥川版亜久津ジャンプの3通りを真似できるほどである。
 だが、亜久津の思考回路自体はさっぱり分からない。
「……最高じゃねぇの……。」
 試みに小さく呟いてみる。
 何かが違うな、と樺地は思った。
 そうだ。亜久津は、この台詞を言いながら、妙にテンション高く高笑いをするんだったっけ。
 樺地はそこまで真似すべきかどうか、考えた。純粋無垢な心のままに、考えた。だが、道ばたでいきなり試みるのは、なぜかためらわれた。
 それはともかくとして。
 亜久津がどう考えているか分からない以上、山吹に行ってみるしかないのか。
 氷帝から山吹まではそう近くはない。電車を何度も乗り継いでゆくため、ロスが大きい。
 本当に、山吹に行くので良いのか。山吹まで行くのは、六角や立海から来る他のメンバーにとってもロスが大きいはず。そうだとしたら、もしかして、集合場所を他に設定している可能性もあるのではないか。たとえば……最終ゴールとか。
 樺地はそこまで考えて、ふと眼前に自分を見上げる穏やかな視線があることに気づいた。
「樺地くん、だよね?」
 視線の主が尋ねる。
「うす。」
 深く頷けば、少年はにこりと笑った。
「樺地くんもゲームに参加しているの?」
「うす。」
「そっか。じゃ、ライバルかな。」
 そう言って笑うのは不動峰の森だ。大人しそうな顔をしているが、その実、芯の通ったしっかりした雰囲気を持っている。
「俺ね、リーダー探して、リーダーの学校まで行ったんだけど、会えなくて困っているんだ。樺地くんはどう?大丈夫?」
 おそらく森は不動峰からルドルフに行って、折り返してここにいるのだろう。ここは大きなターミナル駅であり、どの学校に行くにしても便利なのである。
 リーダーの学校に行ったのに、リーダーがいない、というのは困るだろうなぁ。
 そこまで考えて、樺地はふと不安に襲われた。
 あるいは、亜久津さんももう山吹にはいないかもしれない。そうしたら自分はどうするべきなんだろう。
「ねぇ、樺地くん。あれ、何かな?」
 黙り込んでいる樺地を批判する様子もなく、森は小首をかしげて空を指さす。
 9月の晴れ渡った空に、ゆらりと立ち上る一筋の煙。
 都内の大きなターミナル駅には似つかわしくない、まるで焚き火か何かのような、白い煙がゆらゆらと空に向かって立ち上っている。
「火事じゃないと良いけど。」
 大都市の空気に場違いな煙。
 こんなところで落ち葉焚きをする人もいないだろうし、そもそも落ち葉にはまだ早いのだ。
 もし、こんなところで火事になったら……?ぼやですめばいい。だが、万が一、燃え広がってしまったら、大変なことになる。
「……ちょっと気になる、ね。」
 樺地が頷くと、森が歩き出す。二人は連れだって煙のある方向に向かった。


 ほぼ同時に、菊丸もその煙に気づいた。菊丸は視線で気づく前に、鼻でそれに気づいたのであった。
「……何だ?この匂い。」
 ふと何かの匂いに気づき、周囲を見回すと、白い煙が立ち上っているのが見えた。嫌な匂いではない。美味しそうな匂い。魚を焼いている匂いであろうか。
 菊丸は、いわば好奇心の塊である。
「これはちょっと見てかないとね!」
 ぴょん、と勢いよく改札を抜けると、菊丸は元気いっぱい、駅前の公園に駆けだした。
 

 どこで拾ってきたものか、一斗缶を即席七輪代わりに、亜久津と室町は駅前のスーパーで買ったサンマを焼いていた。
 中学生が2人で焚き火をしていたら、見とがめられるかもしれない。だが、いきなりサンマを焼いていたら、逆に見とがめられないかもしれない。というか、見とがめる気もしないだろう。だって、サンマを焼く人に悪い人はいないはずである。
 それが亜久津の理論であった。
「サンマを焼く人に悪い人はいない、っすか。」
 室町は素直に感動していた。確かにそんな気がする。サンマを焼いている悪代官とか、サンマを焼いている悪の秘密結社とか、想像も付かない。だから、サンマを焼いている人を見とがめる警察官はいない。確かにその通りだと思った。
「さすが『通販生活』を読んでいる人は違うっすね。」
 胸一杯の敬意を告げれば、亜久津は舌打ちをして目をそらす。
 スーパーで買った練炭に火を付けるために、最初に燃やした『通販生活』はもうほとんど跡形もない状態である。
「あれ?!亜久津じゃん!」
 そのとき、聞き覚えのある声がして。
「菊丸さん!」
 振り返った室町が驚きの声を上げる。
「何やってんの?2人で!」
「サンマ焼いているっす。」
 興味津々な様子で即席七輪を覗き込む菊丸。
「美味そうな匂いだなぁ。」
 その菊丸に問答無用で紙皿が突きつけられる。
「え?」
「食らえ。」
 割り箸でサンマを一尾押しつけられて。
「え?食えって俺が食って良いの?亜久津、先、食えば?」
 とまどいながら亜久津とサンマを見比べる菊丸に。
「俺に指図するんじゃねぇ!」
 亜久津はいらだたしげに大根を振り回した。
「うだうだ言っているとおろすぞ。」
「……亜久津、すごい!大根おろしまで用意してるんだ!」
 菊丸は素直に感動をその大きな瞳から溢れさせる。

「あれ?菊丸さんじゃない?」
「うす。」
 森と樺地が合流したのは、菊丸が大根おろしでサンマを食べ始めたころのことであった。
「あ!森と樺地だ!」
 箸を振り回してはしゃぐ菊丸。
「火事じゃなかったみたいだね。」
「うす。」
 安堵のため息をつく2人。菊丸の声に振り返った亜久津が、メンバー表をポケットから取り出した。
「菊丸。どっちが樺地だ?」
「ん?でかい方。」
「てめぇか!」
 つめよるように亜久津は樺地に歩み寄り。
「よくも来やがったな。小僧!」
 大いに歓迎した。
「樺地くん、菊丸さんのグループなの?」
「うす。」
 きょとんとした森に、樺地が頷いて見せる。
「そうなんだ!良かったね。合流できて。」
 おっとりと樺地を見上げると、森は少しだけ寂しげな笑みを浮かべ。
「俺も同じグループの人、探さなきゃ。」
 小さく呟いた。
「森のグループって誰がリーダーなの?」
 サンマの背骨を皿の端に避けながら尋ねる菊丸。
「えっと……ルドルフの観月さんです。」
 紙皿に一尾サンマを取ると、「食らえ!小僧!」と亜久津が樺地に皿ごと押しつける。
「ふぅん。観月かぁ。じゃあ、これからルドルフに行くの?」
 菊丸の問いかけに森が困ったように首を振った。
「行ってみたんですけど、部室に誰もいなかったんです。」
 森にもサンマの乗った紙皿を押しつける亜久津。
「じゃあ、他にあてはある?」
 亜久津が次のサンマを焼き始めるのを眺めつつ、菊丸が尋ねる。
 もくもくと白い煙が立ち上る。
「ないです。」
 小さく瞬きをする森。菊丸と樺地は目を見合わせた。

「ジャッカル!」
 電車の走り去る音に混じって、自分の名を呼ぶ声がかすかに聞こえた。辺りを見回せば、隣のホームで手を振る少年の姿。
「……木更津、だな。」
「あたり。くすくす。」
「そこの階段降りたところで会おう。」
「了解。」
 1人と合流できれば、それでずいぶんと安心できる。たとえ、亜久津というヤツが全くどんなヤツか分からなくても、何とかなりそうな気がしてくる。
 階段を降りると、のんびりと木更津が歩いてくるのが見えた。
「ジャッカルとしゃべるの、初めてな気がするな。よく、俺のコト、知っていたね。くすくす。」
 ジャッカルは自分の容姿が目立つコトは分かっている。だが、確かに木更津の姿はさほど目立つわけでもない。
「まぁ、関東大会と全国大会で何度も顔を合わせたからな。」
 何となく覚えていた、というレベルだったけれども。
 同じグループという、たったそれだけのことで、何だかすごく心強い気持ちになれる。
「そういえば、さっきホームから、駅前の公園で白い制服着たヤツが何かやっているのが見えたんだが……山吹の制服は白かったよな。」
 ジャッカルは、木更津を探して見回したとき、ふと目に入った光景を思い出す。
「確かに山吹の制服は白いけど、何かって何やってたのさ。」
「何だろう……煙が出ていた気がする。」
 その言葉に木更津は、ふーん、と小さく独りごちて。
「そういえば、さっきから、サンマの匂いがしない?」
「サンマ……?」
 今度はジャッカルが問い返す番。鼻をひくひくとさせてみる。
「うん。これはサンマだよ。間違いない。しかも銚子沖で捕れたヤツ。山吹のヤツ、サンマ焼いているな。くすくす。」
「……魚の匂いはするが……サンマかどうかも、どこで捕れたかも分からないぞ。俺には。」
「千葉から来た魚なら、分かるんだ。これは絶対銚子沖のサンマの匂い。」
 帽子の下で、きらりと目を光らせて、いたずらっぽく笑う木更津。
「しかし、なんでサンマなんか焼いているんだ?こんなところで。」
 ジャッカルが首をかしげる。
「え?普通、焼かない?浜辺とか、部室とか、公園とかで。」
「いや、家の外では焼かないんじゃないか?」
 2人はしばらく見つめ合った。なんか話題がそれた気がする。そんな思いを胸にしばらく見つめ合い。そしてふとジャッカルが口を開いた。
「こんなトコでサンマ焼いていたら目立つよな。」
「それはそうだね。目を惹くし、匂いが気になるよね。くすくす。」
「……となれば、あいつは亜久津なんじゃないか?」
 ジャッカルは路線図を指さした。
「俺もお前も、この駅を通ってしか山吹には行かれない。菊丸もきっとそうだ。氷帝はどこにあるのか知らないが、たぶん、ここを通る可能性が高い。となれば、ここで集合するのが、実は結構効率が良い。」
「……なるほどね。くすくす。ここで集合するのは効率が良いけども、逆に俺たちがそれに気付かずに、山吹まで行っちゃうと効率が悪い。だから、目立たなきゃいけない、というわけか。」
 2人は改札を出る。公園まではすぐだ。
「銚子沖のサンマで誘惑すれば、俺たちは必ず亜久津に気付いて、合流できるっていう計算だな。くすくす。さすがは銚子沖のサンマ。偉いな。」
 帽子を軽くかぶり直して、木更津は辺りを見回した。
 白い制服の少年が2人。それから菊丸と樺地ももう来ている。なかなか上手い作戦だったのかもね。特に銚子沖のを使ったのが上手い。
 くすくす笑いながら、サンマを焼く妖しげな集団に近づくと。
 大人しそうな雰囲気の少年がこちらを振り返った。
「あ!木更津さん!」
 あれ?と首をかしげた木更津の横で、ジャッカルが眉を上げる。
「不動峰の森、か?」

「すみませんでした。」
 森がぺこりと頭を下げる。
「遠くから淳と俺の区別が付くヤツなんて、そうそういないからね。気にしなくて良いよ。くすくす。」
 双子の人違いに気付いて慌てる森に、木更津は笑顔を見せる。
「これで全員揃ったわけか。」
 亜久津が問答無用でサンマをジャッカルと木更津に押しつけて、一斗缶の中の火を消した。
「今までに何尾焼いたんだ?」
「これで16尾。まだある。」
 一回に2尾ずつ焼いているらしい。
 10分で1尾焼けると計算して。
 延々1時間半近く、サンマを焼き続けていたってわけか。
 のろしをあげるために。
 ジャッカルはかなり素直に感心していた。
 亜久津の髪、たぶん、すごくサンマくさいだろうなぁ。
 っていうか、なんでサンマなんだろう。他にもいろいろやり方はあったんじゃないか?たとえば……携帯で連絡取る方法を考えるとかさ。
 そこまで考えて、サンマのろしと携帯じゃ、あんまりにも次元が違いすぎる上、このゲームの主旨からしたら、サンマのろしの方がまっとうな戦い方なんじゃないかとも思えてきたので、ジャッカルは黙ってサンマを食べ始めた。
「箸使うの、上手いな!」
 その手元を興味津々で覗き込む菊丸。
「そういや、菊丸はどうして気付いたんだ?亜久津がここにいるって。」
「ん?美味しそうな匂いがしたし、煙が見えたから!亜久津は煙出すヤツだからさ!」
「煙出す?」
「あいつ、タバコ吸うんだよ。」
 むぅっと頬をふくらませつつ、非難がましい目を亜久津に向ける菊丸に。
 室町が懸命のフォローを入れた。
「でも、亜久津さんは『通販生活』で健康グッズ特集を熟読するような人なんすよ。」
「うるせぇ!」
 室町のフォローに、菊丸は少しだけ亜久津のことを見直した。

 そのとき、樺地が何か言いたげに皆を見回していることに気付く。
「どうしたの?樺地。」
「うす。」
「うす、じゃ分からないって。俺ら、跡部じゃねぇんだから。」
「うす。」
 樺地の視線の先には森の姿。
「森くん。」
 なぜかどさくさに紛れて、一緒にサンマを食べていたものの、森は別グループのメンバーである。でも、一緒にサンマを食べた仲であるのだから、彼が困っているのなら、できれば何か力になりたい。そんな樺地の思いは、すぐにみなに伝わった。
「もしかして、森くん、淳と同じグループ?」
 木更津が問いかければ、森がはっとしたように目を見開いて、小さく頷いた。
 そうか、と二度ほど頷いてから、木更津は亜久津に目をやる。
「どうする?リーダー。俺、淳に連絡はできるけど。」
 いきなりリーダーと呼ばれたからだろうか。亜久津は少しだけ沈黙したが。
「だったら、とっとと連絡しやがれ。」
 すぐさま、当然のことのように吐き捨てた。
 へぇ、利敵行為だけど、連絡しちゃって良いのか。
 ジャッカルが軽く目を見開いたのに気付いた木更津は、小さく笑って、携帯を取り出した。
 山吹ってそういう学校だろ。どんなに不良っぽいかっこうしていても、山吹のヤツは山吹だってコト。

亮→淳「今、不動峰の森くんに淳と人違いされた。失礼な。。。」

 メールはすぐに送信された。
 そして、すぐに返信が来る。

淳→亮「何でも良いから、とにかく捕まえておいてよ!森くん!」

 受信するなり、携帯を森に手渡して。
「森くん、すごく探されていたみたい。くすくす。」
 木更津の言葉に、森は申し訳なさそうに瞬きをした。

 森が仲間たちの元へ旅だった後。
 5人のメンバーはそれぞれに自分の文字札を亜久津に渡す。
「はい。リーダー!」
 当たり前のように、彼らのリーダーは亜久津であって。
「どこ行けば良いのかな。くすくす。」
 全員の目が亜久津の手元を覗き込んでいる。
「……。」
 樺地が大きな手を伸ばし、文字札をゆっくりと並べ替えると。
 忘れもしないテニスコートの名前が浮かび上がる。
「……全国大会の会場か?」
 低く問う亜久津に、全員が頷いた。
 亜久津が行かなかった場所。行くことを自ら放棄した場所。
 だけど。
 今日はリーダーとして、皆を連れて行く。
「早く行こうぜ。リーダー!」
 菊丸が亜久津の背を叩き。
「ここからなら近いね。そこまで見越していたの?くすくす。」
 木更津の言葉も決して揶揄ではなくて。
「悪くないタイムを出せそうだな。」
 ジャッカルがストップウォッチを手の中で弄んで。
「亜久津先輩、さすがは『通販生活』読者っすね。」
 室町は亜久津に心からの尊敬の眼差しを向け。
「うす。」
 樺地が駅に目を向ける。
 駅の上空、空は明るく晴れ渡っていて。
 大きな駅ビル一面の明かり採りの窓に、陽射しが反射する。

「……採光じゃねぇの。」

 亜久津は小さく呟いて、歩き出す。
 その言葉が明かり採りの窓を評したものだとは、誰一人気付かなかったが、そんなことはどうでも良かった。
 最高に綺麗な空に、焼きサンマの匂いがまだ静かにただよっていた。







☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
   <今回のいただき冒頭文>
「これなんかどうだ?」と、○○は付箋のついた『通販生活』をそっと差し出した。

どうもありがとうございました!




ブラウザの戻るでお戻り下さい。