怪盗んふ☆
あまり知られていないが、実は東京都郊外に「聖ルドルフ情報犯罪研究所」という警察傘下の研究施設がある。まるでカトリック系の組織のような名前であるが、実体は全く異なる。
なにしろ、その正体は、ルドルフ聖(せい)という謎のアメリカ系日本人が資金を出して創設した研究所なのである。当初、「ルドルフ聖情報犯罪研究所」と名付ける予定であったのだが、計画書に「ルドルフ性情報犯罪研究所」という誤植が散見したため、所長の赤澤が真っ赤になって憤慨し、この名前に変更になった。
噂によれば、ルドルフ聖は、その誤植の話を聞いて大いに喜び、せっかくだから、初めの名前のままにしてくれれば良かったのに!と言ったとか言わなかったとか。
そんなことは、どうでもよろしいのである。
今日はその聖ルドルフ情報犯罪研究所、略してルド研のお話を、みなさんにお聞かせしよう。
ルド研は、生え抜きの警察官と、日本各地の各業界からかき集められた優秀な研究者たちとで構成される組織である。そして世の常として、優秀な研究者、の中には、人並み外れた感覚の持ち主、というやつが現れるモノ。
ご多分に漏れず、ルド研にもそういうやつがいた。
その男の名は、観月はじめ。
世界で一番、紫色の似合うマッドサイエンティストである。
もちろん、ルド研はハイテク情報犯罪の傾向や、新しい手口の解明に取り組み、情報犯罪から世の人々を守ることが使命である。
だが、しばしば警察から、難解な情報犯罪の捜査協力依頼が来て、対策会議、などという俗っぽいモノも行われたりする。浮世離れした研究者たちは、そういうややこしくて面白くないモノは、あからさまに嫌がるのであるが、観月はじめもその例外ではなかった。
「赤澤!僕は、そんな醜い犯罪の話なんか聞きたくありません!!」
「そうヒステリックになるなよ、観月。お前の意見を聞かせて欲しいんだ。」
今日もまた、会議が始まるなり、苛立ちもあらわに言い放つ観月。無機質な白い壁に冷たい声が響く。
それに応じる所長の赤澤は生え抜きの警察官である。鈍いのか大人物なのか、観月を宥めるのが上手いので、所員たちからは一目も二目も置かれている。
「第一、その会社から、そういう情報を盗むなんて、全くもってナンセンスですよ。手口も美しくありませんが、そんな低レベルな情報をわざわざ盗もうとする犯人の感性のなさが僕には耐えられません!!」
「低レベルな、というのは、どういう意味だ?」
「情報価値がない、ということですよ。他の企業が欲しがるような、レベルの高い情報ではない。はっきりいえば、その技術に関して当該企業は世間の水準にすら追いついていないのです。そんな会社の技術情報なんて、誰が欲しがります?」
「なるほどな。さすが観月だ。」
褒められると、なんとなくやる気が出るのは人の常。
今にも立ち上がりそうだった観月は、会議室の深い椅子に座り直した。大きな窓の向こうでは、柳の枝が風に揺れている。
「で。とっとと会議を終えたいんですけど。まだ何かあるんですか?」
「……犯人を突き止めたいんだが。」
「そんなの、知るもんですか。」
「見当が付かないのか?」
さりげなく観月のプライドをくすぐりつつ挑発する所長。
生え抜きの警察官として、赤澤の背中を追いかけて来た金田は、会議の書記を勤めつつ、赤澤と観月の顔色を交互にうかがって、さすがは赤澤さんだなと感心した。観月は苛々と机を指で叩きながらも、犯人像を考えている。
「ここ一ヶ月以内にその会社の人事部を首になった男、年齢は50代前半、血液型はA型。AOのヘテロ、Rh+。髪型はたぶん、趣味の悪い七三分けでしょう。裕太、条件に合うやつを探しなさい。」
不二裕太という研究員は、観月がよその研究所から引き抜いてきた若手で、観月が可愛がっているというかこき使っているというか、とにかく、いつもそばにおいて、いろいろと仕事を手伝わせている。その裕太が、パソコンでなにやらデータ検索をかけると。
「いました。観月さん。容疑者番号2のこいつが条件にぴったりです。血液型は不明ですが。」
15秒もしないうちに、結果が打ち出される。裕太の手元をちらりと見ると、観月はディスプレイを赤澤に押しつけた。
「その男を逮捕しなさい。もう、用事は終わりですね?」
「って、観月、証拠は?」
「それを探すのが警察の仕事でしょうっ!僕はもう、そんな醜い犯罪者のコトなんか、考えたくありませんよ!」
そして観月は裕太を引き連れ、椅子を蹴って出ていった。
会議室を、何とも言えない虚脱感が襲う。
「まぁ、観月が言うんだから、そいつが犯人だ〜ね。」
「証拠はきっと見つかるよ。赤澤。手伝うから、頑張ろうね。」
一応、念のために言っておくが。研究員の大半は、ちゃんと警察に協力的なのである。裕太だって、観月に使われていないときには、いろいろと協力を惜しまない。
要は、観月はじめという男が、特別なだけで。
しかし、彼は飛び抜けて優れた洞察力と情報収集能力を持っており、赤澤さえも一目置く存在でもあった。
そして。
観月が乗り気な会議、というのは、実はもっと厄介なのである。
「ああ。素晴らしい。素晴らしいですよ。赤澤。これは極めて美しい犯罪じゃありませんか。手口もさることながら、盗んだモノが××社の機密情報!!しかもバイオの最先端技術!!僕も欲しいくらいですよ。」
うきうきしながら、事件の概要書類を眺め。
「どんな内容なんでしょうね。きっと最高級の価値のある情報ですよ。ああ、想像しただけでも鳥肌が立ちます。……ねぇ、赤澤。捜査資料として、僕にもその情報、くれませんか?」
「いや、無理だろ。それは捜査資料にはならない。」
「けち!赤澤の馬鹿!馬鹿澤!!」
「あのな、観月……。」
「欲しいんですっ!欲しいったら欲しいったら欲しいんですっ!!」
こうなってしまうと、誰にもとめられない。
たいがいは、腹を立てた観月が会議室を飛び出してしまうまで、赤澤と観月の押し問答が続くだけなのである。
「いいですっ!僕は僕で、やり方ってものがあるんですからっ!僕に意地悪したこと、後悔しても知らないんですからねっ!」
子供のような捨てぜりふを残して、観月が飛び出していったあとの会議室は、虚脱感どころではない切ない空気に包まれる。
今後の展開がおおよそ、読めているからである。
こんな会議があったあと、五回に一度は、被害があった企業に再度、ハッカーが侵入した、という報告が警察に寄せられる。ハッカーの侵入経路をたどっても決してその正体を追いつめることはできないのだが。
所員たちはその第二の犯罪を行う者の名を、「怪盗んふ☆」と名付けていた。
他に呼びようがない。
そして、五回に一度しか被害の報告がないのは、五回に四回は、「怪盗んふ☆」が完全犯罪を成し遂げたからだろう、とルド研の所員たちは口には出さないまでも、心の底から全員そう信じていた。
しかし、不始末の隠蔽は組織の常。
「怪盗んふ☆」の犯罪は調査も行われず、第一の犯罪の犯人が、同じ場所に再侵入した、という嘘の調査結果を警察に送りつけるのが、ルド研では慣習化した。
けれど、そんなこんなで、事件が繰り返されると。
嘘の調査書類を書くのも飽きてくる。
赤澤はある晩、疲れ切った顔で金田に命じた。
「今後は、観月が欲しがるような機密文書は、必ず捜査に必須の資料として警察本部から取り寄せるようにしてくれ。」
案の定。
その日以降、機密漏洩の二次災害は避けられている。
「赤澤!この情報、僕も欲しいです!!」
確信犯的に微笑む天才研究者の横顔を見ながら。
金田はふと思った。
「怪盗んふ☆」が、五回に一度、その侵入を見破られていたのは、わざとだったのではないか、と。むしろ、五回に五回、見破られるつもりでやっていたのに、気付いてもらえなかっただけなのではないだろうか、と。
かのマッドサイエンティストは、赤澤に渡された書類を胸に抱えて、極上の笑みを浮かべつつ、今日もルド研の無機質な廊下を歩いてゆく。
「んふ。」
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