卒業アルバム〜青学篇。
<冒頭文企画連動SS>



 オレンジ色の光りの中、赤い林檎にそっと頬を擦り寄せていた。
 普段、めったに見せない女性らしい顔。
 これが他の人だったら、気にも留めなかっただろう。
 しかし、それが乾を前にした竜崎先生じゃ…話は別

「先生。目線は22.5°ほど上に、あごは11.25°ほど下げてください。」
「分からんよ。そんなコトを言われても。」
 乾の細かい注文に竜崎はため息をつく。
 教員室の大きな窓の前で、夕陽を背景にポーズを取らされること早10分。いいかげん疲れてもくる。
 しかも他の教師たちが時折笑いをこらえたような視線を向けてくるので、居心地の悪いことこの上ない。
「そうですか。じゃあ言い方を変えましょう。目線は四分の一直角ほど上げ、あごは八分の一直角ほど下げてください。」
「なんと言おうが分からんもんは分からん!」
「分度器、お貸ししましょうか?」
「……不二!にこにこしていないで、乾をどうにかしろ!」
 耐えかねた様子で竜崎はカメラを構えて微笑む不二に助けを求めたのだが。
 不二はおっとりとカメラを机に置いて。
「乾。先生はどんな姿勢でも美しいんだから、大丈夫だよ。」
 などとぬけぬけと言いつのり、竜崎にさらなるため息をつかせたのであった。

 卒業アルバムというモノは多くの場合、クラスごとの写真の他に部活や委員会の写真を載せる。青学もまたその例外ではなかった。
 男子テニス部の卒業アルバム係となった不二と乾は、「美しい想い出を作ろう」を合い言葉に、「美しいテニス部」の写真を撮るコトに決定。乾の頭脳と不二の写真技術をフル稼働して、さっそく写真撮影にいそしんでいたのである。
「さてと。竜崎先生の写真はこれで良しっと。」
 二十分以上かけて教員室での撮影会を終え、満足げにカメラを撫でる不二。乾は秘密ノートの間に挟み込んだ「美しいテニス部計画メモ」を取り出した。
 不二が一晩考えて練り上げた「美しいテニス部計画」は以下の通りである。

  ・清純な竜崎先生 with 林檎
  ・優美な手塚国光 with 薔薇
  ・端整な大石秀一郎 with 羽ペン
  ・可憐な河村隆 with かすみ草
  ・華麗な菊丸英二 with 太刀魚
  ・妖艶な乾貞治 with 三角フラスコ
  ・……な不二周助 with ??

「さすがに自分のネタは考えにくいから、タカさんと大石に頼んじゃった。」
 照れたように笑う不二に、乾は。
「菊丸と俺のトコだけ微妙な気がするんだが……。」
 とおそるおそるお伺いを立ててみたものの。
「え?そう?」
 にこにこと首をかしげられて、それ以上の突っ込みを断念した。
「みんな、部室で待ってるから早く行こう?」
 上機嫌の不二にこれ以上意見しても無駄である確率、89パーセント。脳内計算機がそう算出している。乾は自分のデータ処理能力を哀しい気持ちで信じることにした。
 窓の外はかすかに秋の気配。
 戦い抜いた夏の充実感がまだ全身に残っているようで、同時にそれは遠い過去のコトのようにも感じられた。
「あっという間に全部想い出になっちゃうんだね。」
 ふわり、と大きな柏の葉が窓を過ぎって宙に舞う。

「油断せずに行こう!」
 部室に手塚の凛とした声が響く。
 テニス部の三年生たちは、一様に久々のレギュラージャージに身を包んで、楽しげに待ち受けていた。
 確かに油断すると大変なコトになりそうだな。
 乾はぐっと気を引き締める。

 撮影は順調に行われた。
 最初の犠牲者は手塚。
「姿勢はそのままで良いよ。顔だけこっちに向けて。」
 椅子に腰を下ろした手塚に不二の魔の手が伸びる。
「はい、良い感じ。じゃあ、そのまま薔薇をくわえて。」
「……薔薇をくわえる?」
 ぴくりと眉を上げる手塚に、手品師のように鮮やかに乾が薔薇を差し出した。
 びっくりはしたらしいが、手塚は逆らう様子もなく、差し出された深紅の薔薇を口にくわえて。
「手塚……横向きにくわえた方が良いと思う。ストローじゃないんだから。」
「そうか。」
 大石に指摘されて、真顔でくわえる向きを修正した。
「良いね〜。そんな無表情に薔薇をくわえられる中学生なんて滅多にいないよ。」
 褒めているのか何なのか、不二は上機嫌に手塚にカメラを向けて。
 かしゃり。
 シャッターの落ちる音がする。

 次の犠牲者は大石だった。
「ほいほ〜い。持ってきたよん!」
 菊丸の姉の私物だという大きな羽ペンを片手に何かを書いている大石を、不二が斜め下から撮影しようと身構える。
「すごい羽ペン似合うね!大石ってばムーミンパパみたいだ!!」
 それって褒め言葉なのかな……。
 河村がためらっている間に、かしゃりと不二がシャッターを切った。
 乾は密かに「ムーミンパパ風味な大石秀一郎 with 羽ペン」と記述を訂正してから。
 褒めすぎか?想い出を美化するにもほどがあるか?
 と、ちょっとだけ考え直してみた。

 次の犠牲者は河村だった。
「かすみ草……?俺には似合わないんじゃない?」
 差し出された白い花束に狼狽えて後ずさる河村。しかし。
「何言ってるのさ!青学テニス部でかすみ草が似合う男と言ったら、タカさん以外いないって大和部長が言っていたよ!!」
 不二が真剣な眼差しでそう告げるので。
 不二の場合、嘘を付いているわけではなく、たぶん本当に大和部長とそういう話をしたのだろうと思うのだが。
 いったい、どんな文脈でそんな話になったのか。
 そう考えて大石は大いにどきどきした。
 そして手塚は。
 大和部長はやはり人並み外れた洞察力の持ち主に違いない、と尊敬の意を新たにした。
 そんな中、かしゃり、とシャッターの音が聞こえる。
 レンズは少し遠い目をした河村の姿をきれいに収めていた。

 次は菊丸だった。
 鞄から河村がごそごそと小さいクーラーボックスを取り出しす。
「これで良いの?」
「ありがとう!タカさん。」
 クーラーボックスから登場したのはまるまると太った立派な太刀魚で。
「うわ〜!太刀魚ってホント綺麗だよね!!」
 菊丸がきらきらと目を輝かせる。
「俺ばっか良いトコどりで悪いね!」
 嬉しそうに太刀魚片手にキザなポーズを取る菊丸に、乾は世の中いろんな人がいるもんだなぁとしみじみした。
 たぶん、日本中のテニス部の卒業アルバム写真を並べたとしても、太刀魚を片手にキザに決めているやる気満々な写真なんて、他にはないんじゃないだろうか。
 ある意味、貴重極まりない卒業写真かもしれないと乾は少しだけ感動した。
 菊丸のやる気に触発されたのか。
「良いね。英二!」
 不二もやや興奮気味にシャッターを切った。

 そしてついに乾の番となる。
「タカさん、クーラーボックスにドライアイス残ってる?」
 菊丸が作った怪しげな緑色の汁(絵の具を水に溶いただけのニセモノだけれども)を三角フラスコになみなみと注ぎ、不二は嬉々としてその中にドライアイスをぶち込んだ。
 緑色の液体からはぶくぶくといかがわしい泡が湧き、もうもうと白い気体が立ち上る。
「うわ!すごい!怪しいよ!!乾!!良かったじゃん!」
 レギュラージャージに三角フラスコに緑色の汁、と三拍子揃ったいかがわしさに、乾はむしろすがすがしささえも感じ始めていた。確かに良い。確かにこの小道具はおいしすぎる。
「ちょっと怪しげな笑みでも浮かべた方が良いかな?」
 不二に尋ねる自分の声が少しうわずっているのは、気のせいではないだろう。 
 これが俺のテニス部三年間を象徴する美しい想い出……。
 乾はうっとりとフラスコに視線を落とした。
「……煙が出てるって何か良いな。」
 ぼそっと呟いた乾に、大石が小さく身震いしたのはおそらく秋風のせいではないはずで。
「その表情、良いね。ムリに作らなくてもそれだけ怪しかったら十分だよ。」
 ファインダーを覗き込んだまま不二が上機嫌に言う。乾は素直に褒められているんだと思っておくことにした。
 そのとき。

 かしゃり。

 軽やかなシャッターの音。
「……ん?」
 びっくりした様子で顔を上げたのは不二。
 振り返れば、カメラを構えた河村がいて。
「続けて?不二。」
「た……タカさん?」
 驚いたのだろう、一瞬開眼した不二だったが、すぐに小さく笑い出す。
「今のがボクの写真?」
「不二みたいに上手に撮れたかは分からないけど。」
 照れくさそうに笑う河村の隣には、太刀魚を後生大事に抱える菊丸と、薔薇とかすみ草を無表情に捧げ持つ手塚。 
「……ふふ。」
 三年間、か。
 泣いても笑っても、もう数ヶ月で中学生活は終わってしまう。きっとその先にはほとんど何も変わらない高校生活が待っているのだろうけども。それでもやはり三年間の区切りというものは、確かに大切で。
 乾にレンズを向けた不二の横顔を、もう一度河村のカメラが追いかける。

  ・風雅な不二周助 with カメラ

 大石がそっと机上の計画メモに筆ペンで書き込んだとき。
「忘れ物だよ。」
 扉が開き、林檎片手に竜崎が顔を見せた。
 そして部室を見回す。
 林檎、薔薇、かすみ草、羽ペン、太刀魚、三角フラスコ、そしてカメラ。
「なんてまぁまとまりのない……お前たちにそっくりだね。」
 卒業写真用の小道具に目をやった竜崎が、揶揄するように笑ったのは決して嫌みではなくて。

 撮影を終えた不二はゆっくり河村を振り返った。
「……タカさん、カメラ借りて良いかな?」
「うん?良いよ。」
 確かに……そっくり、かな?
 部室の隅の机に小道具を置いて。
 仲間たちが取り囲む中。
 穏やかな秋の気配の中。
 河村のカメラを借りた不二は、かしゃり、と小さくシャッターを切った。
「太刀魚とかすみ草って良く似合うね!」
 嬉しそうにはしゃぐ菊丸の声を聞きながら。







☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
   <今回のいただき冒頭文>
オレンジ色の光りの中、赤い林檎にそっと頬を擦り寄せていた。
 普段、めったに見せない女性らしい顔。
 これが他の人だったら、気にも留めなかっただろう。
 しかし、それが乾を前にした竜崎先生じゃ…話は別

どうもありがとうございました!




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