卒業アルバム〜峰篇。
<冒頭文企画連動SS>
「っくしゅっ」
昇降口の低い天井に響く、聞き慣れたくしゃみの声。
部室へ向かっていた桔平は、柱を隔てた向こうに目をやった。
「あれ?お兄ちゃん。」
案の定、くしゃみの主は杏であって。
「どうした?風邪か?」
「違うよ。噂されてんの。」
にこにこと、杏は上履きをげた箱に押し込んだ。
杏と一緒にいた少女が「また明日ね!」と手を振って先に歩き出す。
黙って妹の友人を見送って、桔平はにやりと笑った。
「噂って……職員会議でか?」
時計を見上げれば、ちょうど職員会議の真っ最中で。
「違うってば!お兄ちゃんじゃないんだから!」
「どうだかな。」
「男子かもよ?私、結構もてるんだからね〜!」
杏はべーっと舌を見せた。
その様子がやけに子供っぽくて可笑しくて、口元に笑いが浮かんだ矢先。
「くしっ!!」
桔平もくしゃみをした。
「お兄ちゃんこそ風邪?」
杏の言葉に桔平は頬を掻き。
「俺も噂されているんだろうな。」
小さく笑った。
昇降口の窓の向こう、桔平の視線の先にはテニス部の部室があって。
窓は全開。
きっと中二の連中が集まって何かやっているに違いない。
「もてるね、お兄ちゃん!」
杏は勢いよくばしばしと兄の背を叩いた。
「あ!杏ちゃんいた!探してたんだよ!!」と廊下の向こうから少女の声がして。
「お前もずいぶんもてるみたいだな。」
桔平は喉の奥で小さく笑いながら、部室へと歩き出した。
話は昨日に遡る。
練習を終えた不動峰の良い子たちが着替えをしようと部室に戻ったとき。
「あ!」
桔平の鞄から一枚の封筒が抜け落ちるのに森が気付き。
その声に桔平はゆっくりと封筒を拾い上げて。
「何ですか?それ。」
中学生に似合わぬ茶封筒。
神尾が遠慮なく問いかければ。
「写真なんだが……。」
無造作にベンチに封筒を置き、桔平は着替えながら事情を説明する。それによれば、卒業アルバムのために中三は個人写真を数枚ずつ撮影していて、アルバムに使う一枚を除き、余った写真は本人がもらえるのだという。
昨日の終礼で封筒に入った余り写真が配られたのを、適当に鞄に放り込んでいてすっかり忘れていたらしい。
「見せてくださいよ。」
そういう話になれば、見てみたいのが人間の心情というモノ。
まして尊敬する先輩の改まった写真ともあれば、それはなおさらのことで。
「見てどうするんだ。」
苦笑する桔平を横目に、伊武が黙って手を伸ばす。
そして、封筒をそっと開き。
「へぇ……。」
証明写真サイズの小さな写真を食い入るように見つめた。
伊武の前から横から後ろから、わらわらと覗き込む。
「部活の写真も要ると言われたが、それは大会んときのを使うコトにした。」
寄ってたかって自分の写真を眺められている照れくささからか、桔平は中二たちに背を向けるようにして、着替えながら話す。
「全国大会のですか?」
「一人で部活写真撮られるのも気恥ずかしいからな。」
ああ、と桜井は小さく瞬きをした。
そうだ。いくら橘さんと一緒に立派な成績を残しても、不動峰テニス部として一緒に卒業アルバムに載ることはできない。俺たちはまだ良い。六人一緒だから。だけど……橘さんは一人で。「……一枚もらって良いですか?」
いきなりそう言いだしたのは石田だった。
伊武が言いだしたのなら、驚きはしなかったかもしれない。だが石田だった。
桔平は少しびっくりした様子で。
「構わないが……何に使うんだ?」
と、特に答えを期待していないような口調で尋ねて、苦笑を深めた。
そして翌日の朝のこと。
不動峰の良い子たちは、石田の教室に集まっていた。
「すげぇ!かっこいいじゃん!!」
神尾が歓声を上げる。
石田は昨日の写真をカラーコピーして、A5サイズ程度にまで拡大してきたのである。
真剣な眼差しに、軽い笑みを帯びた口元。
普段の桔平よりも少しだけよそ行きの雰囲気で。
伊武は神尾の手からコピーを奪い取ると、まじまじとそれに見入った。
「どうすんの?これ。」
ぶっきらぼうな口調だが、伊武の目はムダなやる気に満ちて輝いている。
「部室に飾ろうかなと思ってさ。」
「良いね!それ!」
森がにこにこと賛同した。そして昼休み。
内村がB5サイズの黒い色紙を持って現れた。
「どうした?」
問いかける桜井に、その紙を押しつけるようにして。
「写真の台紙。あった方が良いだろ。」
低い声でそれだけ言って、内村はついっとそっぽを向いた。
確かにコピー用紙ではすぐにぼろぼろになってしまいそうだったし。
制服姿とはいえ、桔平にはやはり黒がよく似合う。
購買部で色紙だけ買ってきたらしい内村に。
「ノリならあるよ!」
森がにこにことスティックノリを差し出した。放課後。
今日はもともと部活がないのだが、それでも不動峰の良い子たちは部室に集まって。
「もうちょっと右の方が良くねぇ?」
「オッケイ!それで良い感じ!!」
桔平の写真をロッカーの上の壁に貼り付ける作業に勤しんでいた。
石田の長身と神尾のリズムで、完璧なまでに見事に貼り付けられた写真は。
黒い台紙に縁取られて。
「……。」
これ、ちょっとだけ遺影っぽくないか?とか、桜井は心密かに思ってしまったが。
口に出すのは憚られたし、誰もそんなコトは考えてもいなかっただろうから、黙っていることにした。
かたり。
ロッカーの上、写真の手前に。
神尾がそっと未開封の缶ジュースを置く。
「何やってるの?」
「え?お供えだろ?!」
一応、聞いてみる森に、神尾が笑顔で応じた。
森はそれ以上何も突っ込まず、ただにこにこと微笑んで。
「じゃあ、俺も。」
鞄から取りだしたスニッカーズを写真の前にそっと置いた。
「……橘さん、ホントに卒業しちゃうんだよなぁ。」
しみじみと写真を見上げて、石田が呟く。
「まだ半年あるだろ。」
応じる内村の横で、神尾がぐすんと鼻を鳴らした。
や、泣くの早すぎるから!お前!
桜井はもう声に出して突っ込む気さえ失せて。
ただ静かに桔平の写真を見上げて溜息をついた。
まぁ確かに半年なんてすぐだよな。半年後……俺たちどうしてるのかな。
なんだか桜井までもが辛気くさい気分になってきて。
ふるふる!と頭を振るい、邪念を捨てようとしたとき。
唐突に。ぱん!ぱん!
厳かに柏手を打つ音が響き。
「深司……?」
彼らは真顔で写真を拝む伊武の姿を目の当たりにする。
しばらく凍り付く部室の空気。
その後。ぱん!ぱん!
なぜか神尾と内村も写真に手を合わせた。
……拝むなよ……!
ってか、絶対何か間違えているだろ!お前ら!!
とうとう桜井は目眩を感じて。
「まぁまぁ。落ち着いて?」
森にぽふぽふと頭を撫でられた。そのとき。
「……何やってんだ?」
苦笑を滲ませた低い声が聞こえ。
びくっとして振り返る不動峰の良い子たち。
「た、橘さん!!」なんだか遠くへ行ってしまったような気がしていた桔平が目の前にいる、というただそれだけ事実に。
峰っ子たちはわらわらと桔平を取り囲んで。
「なんだ?どうした?」
取り囲んだだけで、何をするわけでもなく。
ただ、わらわらと取り囲んで。
開けっ放しの窓から、秋の風がふわりと舞い込む。
彼を取り巻く十二の瞳は、どこか安堵の色を浮かべていて。
だけど大いに真剣な光を帯びていて。
その眼差しがなんだか妙にくすぐったい。「っくしゅっ!」
後輩たちのど真ん中で、桔平は小さくくしゃみをした。
☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
<今回のいただき冒頭文>
「っくしゅっ」
どうもありがとうございました!
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