猫の居る風景〜山吹篇。
<冒頭文企画連動SS>
「千石、この頃南の様子が変じゃないか」
と錦織は千石を呼び止めた。
「ん?」
部活がようやく終わってぐったりとくたびれた夏の夕方。下駄箱を覗き込むような姿勢で靴を引っ張り出していた千石は、緩慢な動きで錦織を振り返る。
「南くんが変?」
反芻するように錦織の言葉を繰り返し、そしてふと我に返ったかの如く。
「そうだよね!」
力一杯肯定した。
「最近、変な寝癖ついてるよね!」
「寝癖?」
錦織は首をかしげ、東方も首をかしげ。
むぅっとした様子で口を開く千石。
「ちゃんと見てよ!南くんね、まつげに寝癖ついてんの!最近!」
錦織と東方は顔を見合わせて、動体視力が良いってのも大変なコトだなぁと、しみじみ同情する気持ちを分かち合ってみた。
「しかもさ!変な寝癖ついてる上に、一緒に帰ろうって言っても、帰ってくれないし!」
「……そうだよな。」
「というか、そっちが本題なわけだが。」
ようやく本題に入れそうな予感に、錦織が安堵の表情を浮かべ。
「それにしても変だ!どうやって寝たら、まつげに寝癖がつくんだろう!?」
もとの話題にうっかり立ち戻りかけている千石に、東方が軽くチョップを入れ。
「とにかく。南の様子がおかしいのは確かだよな。」
無理矢理、話題を元に戻した。「先週からだっけ。南が俺たちと一緒に帰らなくなったの。」
昇降口の壁に寄りかかるように錦織が確認する。
「先週の木曜日からなのだ。」
いつから話を聞いていたのか、ひょっこりと顔を覗かせる新渡米。
「ああ。木曜からだな。仕事あるとか言って、部室に残るようになった。」
指折り数えて曜日を確認する東方に、千石も頷く。
「変な寝癖がつくようになったのは、金曜からだけどね!」
新渡米の芽が、温い夏の夕風に揺れた。
「朝も早く来てるっぽいよな。全然、駅とかで会わないし。」
東方の見事な千石スルーに、錦織は少し感動した。
伊達に地味なわけじゃない!さすがは東方!山吹の誇る最強ダブルス軍団の一翼を担う男だ!
そして、そんなコトに感動している自分にも、ちょっと感動した。
「でも……なんでなんだろ?」
千石の疑問は、南が自分たちを避けている理由を知りたいのか、あるいは変な寝癖がついている理由を知りたいのか分からなかったが、とりあえず一同は前者の疑問を解明する方向で話を進めることにした。
「彼女ができたとか……じゃないよなぁ。」
錦織の言葉に、千石がぶんぶんと首を振って否定する。
「絶対違うよ!南くんはそんな展開だったら、絶対、地味に幸せオーラにじませて、ばればれになるって!俺、南くんを信じてる!!」
千石と南の信頼関係は、濃厚だけど意味不明なのだ、と。
新渡米は考えかけて、思い直す。
意味不明なのは千石だけであって。南は比較的意味明瞭なのだ。「じゃあ、なんだ?南が俺たちを避けている理由って?」
疑問は再度振り出しに戻る。
「なんか隠している感じなのだ。」
「まさか……誰かにいじめられてて、俺たちに迷惑かけないように隠してるとか?」
我知らず声を潜めつつ尋ねる錦織に、小首をかしげるように新渡米が応じた。
「それはないと思うのだ。そんなコトがあったら亜久津が許さないのだ。」
「へ?亜久津?」
「そうなのだ。亜久津はこの前、南にせんべいをもらったのだ。亜久津はせんべい一枚にも恩義を感じて義理を貫く男なのだ。南をいじめるヤツがいたら、亜久津がきっと説教しに行くのだ。」
新渡米が芽をふるわせて力説すると、千石は目を輝かせ。
「仰げば尊し和菓子の恩ってヤツだね!」
いたく納得したように何度も頷いた。
「じゃあ、亜久津がいる限り、山吹の他のヤツらにいじめられてるってコトはありえないわけだな。まぁ、南もそういうキャラじゃないし。」
再び千石を見事にスルーして、話を元に戻す東方。
「でも、他校生とか宇宙人とかだったら分からないのだ。」
「あー、確かに。宇宙人は特に分からないな。」
千石は見事にスルーするのに、新渡米の真剣なボケにはきちんとリアクションを返す東方に、錦織はまた無駄な感動を覚えた。
っていうか、リアクションするなら、せめてつっこめ!
そうは思ったが、新渡米がギャグで言っているのではない以上、どうしようもないのかもしれないと思い直し、錦織は黙っておくことにした。
「でもさ。」
千石が昇降口の壁に掛けられた時計を見上げながら。
「南くん、いじめられて本当に困ったら、きっと俺たちに相談してくれると思うよ?」
根拠もなく、だがはっきりとそう言うので。
「だよな。」
何となく救われた思いで、錦織は東方の相づちを聞いていた。廊下の向こうから、規則正しい足音が聞こえる。
「……南だ!」
昇降口でたむろしていた三年生四人組は、打ち合わせをしていたわけでもないのに全員揃って、慌てて物陰に隠れた。
「……尾行する?」
「……当然。」
南はきょろきょろと辺りを見回し、それからそそくさと靴を履き替え、早足で駅への道を歩き始めた。いつもの帰り道と同じルートである。
「……。」
四人は目配せを交わして、そっと南のあとを付ける。
夏とはいえ、空はもう夜の色に染まり、かろうじて西の空だけが薄赤い夕暮れの名残を留めていた。
どこかに寄る様子も見せず、南はさっさと歩みを進めて。
駅までの路を半分以上行ったあたりで、ふと立ち止まると。
小さなたばこ屋の横。
自動販売機が二つ並んだその奥から。「みー!」
真っ黒な子猫が南の足下めがけて突進してきた。
「こらっ!飛び出すなって!」
そう言いつつも、笑いながらしゃがみ込む南。
子猫は南の膝に両手を載せて、くるくるとのどを鳴らした。「東方……どうしよう。南ってばしっかり彼女作ってたよ……!」
「気をしっかり持て。千石!あれは猫だ。」
電信柱の陰から、ドラマに出てくる探偵よろしくこっそり南の様子を見守っていた四人は、奇妙な展開に脱力をしながらお互いに顔を見合わせる。
風に漂う夏の夜のにおい。
「……南ってば、猫と遊びたいから、俺たちと一緒に帰ってくれなかったの?」
千石が哀しげにそう呟いたとき。
「……お前ら、何、電信柱の陰に詰まってんだ?」
心底あきれたように、南の声が聞こえてきた。「黒猫だったからだよ。」
南はため息混じりにそう告白した。
数日前に、寂しそうにしていたその子猫を撫でて以来、南は懐かれてしまったのだという。
たばこ屋横の自販機を通りがかると、いつも必ず飛び出して、子猫は南に甘えるのだという。
ただの猫だったら良かった。でも、その子猫は鼻の頭からしっぽの先まで真っ黒な、正真正銘の黒猫だった。
「……それがなんで?」
きょとんとして問い返す錦織。
南の膝の上の子猫を撫で回していた千石が、ゆっくりと顔を上げた。
「もしかして……俺に気兼ねしてくれてたの?南くん。」
眉を寄せて、南は一瞬困ったように千石を見返し。
「……だってお前、験とかジンクスとか気にするだろ?」
ぶっきらぼうにそう告げる南に、ちょっとだけ幸せそうに、千石はにっと笑った。
「俺ね、クレバーだからさ。科学的なコトしか信じないわけなのよ。」
千石は黒猫を抱き上げた。黒猫が小さな前足を伸ばして、南の制服にしがみつこうとする。
「黒猫が前をよぎるのを見たら、悪いことが起こるとするじゃない?そうしたら、黒猫ファミリーは一年中悪いこと起こりまくりになるわけじゃない?おかしいと思うわけよ。」
子猫は南の顔を見て、「みー!」と甘えるように鳴く。
千石が地面におろしてやると、子猫はまっすぐに南の膝に飛びついた。
「そうだよな?ラッキー?」
千石の問いかけに、黒猫はぱっと振り返って。
「みー!」
肯定するように大きな声で応えた。「ちょっと待て。ラッキーってのは、何だ?」
「この猫の名前!今週末の都大会もラッキーで勝ち抜けますようにって。だよね?ラッキー?」
南の膝によじ上っていた子猫は、覗き込むような千石の眼差しに。
「みー!」
もう一度、大きな声で賛同した。
南が脱力したようにふぅっと溜息をついて。
その姿を見守る新渡米の芽が穏やかに揺れた。「さて。帰るか。」
南が立ち上がる。ラッキーが名残惜しそうに南を見上げるが。
「また明日な?」
軽く頭を撫でられると、くぅと鼻を鳴らし、子猫は大人しく座り込んだ。
新渡米や錦織、東方にも撫でられて。
そのまま、ラッキーは帰ってゆく白ラン軍団の背を、ずっとずっと見送っていた。「俺が決めた。ラッキーに会ったら良いことが起こるってコトにしよう!」
スキップしながら機嫌良くそう宣言する千石に。
お前、科学的なコトしか信じないんじゃなかったのか?
と、南は内心ツッコミを入れたかったのだが。
エースがそれでご機嫌ならそれでいいかと思い直し。
「気遣ってくれてありがとね。南くん。」
上機嫌でスキップするエースの小さな声に。
一瞬の沈黙の後、自分の杞憂がおかしくなって、唐突に笑いがこみ上げてきた。
低い空に一番星が淡く輝く。
「どうしたの?南、何か変じゃない?」
突然笑い出した南。びっくりして振り返る千石に。
「確かに変だな。まつげの寝癖が。」
東方のとびきりよく分からないフォローが炸裂し、新渡米と錦織は小さく吹き出した。
☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
<今回のいただき冒頭文>
「千石、この頃南の様子が変じゃないか」
と錦織は千石を呼び止めた。
どうもありがとうございました!
ブラウザの戻るでお戻り下さい。