猫の居る風景〜青学篇。
<冒頭文企画連動SS>


「手塚が…子猫拾ってきた!」
 菊丸が部室のドアを乱暴に開けるや否やそう叫んだ。

「ん?」
 あまりに予想も付かないできごとだったからだろうか。振り返った大石は一瞬言葉の意味を理解しかねた様子で、じっと菊丸を見据え。
「手塚が……どうしたって?」
 そのまま聞き返せば。
「子猫拾ってきたんだってば!」
 反応の鈍い大石の両肩を掴み、顔を覗き込むように菊丸が繰り返す。
「子猫、拾ってきた……って、江戸家小猫さん?」
「違うって!誰だよ!!それは!!」
 予期せぬ大石のボケに、菊丸は正面からツッコミを入れ。
 その謎すぎるボケを、乾はしっかりとノートにメモした。

 そのとき。
「手塚部長が……そこで三者面談やってるんすけど。」
 途方に暮れた様子で海堂が部室に入ってくる。
「三者面談?!」
 ああ。中三だからなぁ。そういう季節だよなぁ。
 と、大石はのんびりとそう考えて。
 隣で目を見開いている菊丸の姿に、うっかり現実逃避をしてしまった自分に気付く。
「三者面談って?」

 海堂の指さす方向。
 部室を出て数歩の場所で、手塚がいつも通り、腕組みで仁王立ちをしていた。
 部室に背を向けているために、表情は見ることはできないが。
 恐らく、彼の表情はいつも通りの冷静さを崩してはいなかっただろう。
 だが。
 仁王立ちの手塚が見下ろしていたもの。
 それは。
 子猫と母猫であって。

「うむ。油断せずに行こう!」
 猫相手に、手塚は力強く言い切り。
「にゃー!」
 母猫は、親しげに手塚を見上げて小さく鳴いた。

 海堂の話によれば、迷い猫だと思って手塚が拾い上げた子猫は、本当は迷い猫ではなかったらしく、後ろから母猫が慌てて追いかけてきて。
 母猫の声に気付いた手塚は、抱えていた子猫を母猫に返した。
 そして、なんだかよく分からないが、一人と二匹はそのまま睨み合って、海堂言うところの「三者面談」に突入した、ということらしい。
 母猫は、手塚を見上げ、にゃーにゃーと何かを訴えるように鳴いていた。
 まぁ、確かに三者面談に見えないこともない。
 乾は再びノートを開くと、何事かをそっとメモした。

 そこへ、うさんくさいものを見るような目で、ちらりと手塚に目をやって。
「ちぃっす。」
 越前が通りがかる。
「越前。」
「うぃっす。」
 声を掛けられて立ち止まり、帽子を目深にかぶり直す越前。手塚は、猫から視線を離さずに尋ねた。
「確か、猫を飼っていたな?」
「うぃっす。」
 越前の気配に、一瞬立ち上がって逃げ出しかけた猫たちであったが、すぐに安心したようにぺたりと座り込む。手塚はゆっくりと視線を越前に向けた。

「猫の言葉は分かるか?」
「……はい?」
 越前は辛うじて「え?」でも「あ?」でもなく、「はい?」という丁寧な聞き返し方をした。それが今の彼には精一杯だった。しかし、手塚は本気である。
「さっきからこの猫が懸命に何かを言っているのだが、俺には分からん。」
 困ったことに全くもって手塚は本気である。本気で、猫が何を言いたいのか分からなくて困っている。それが伝わってくるだけに、越前は遠い目をするしかなく。
「……俺、ヒマラヤン専門なもんで。すみません。」
 賢明にもさっさと逃亡することにした。

「……手塚は、猫が相手でも全力投球だな。」
 良くも悪くもね、と口の中で言い足して、乾が軽くメガネを光らせる。
「本当だな。」
 手塚のその真摯さは美徳だと思う。彼らしい、優しくて温かいところだと思う。
 大石は少し眩しい気持ちで手塚の背中を見つめた。
 ただ。
 多少は相手を選んだ方が良いんじゃないかな。手塚。

「あれ?猫だ!」
「どうしたの?その猫。」
 河村と不二が現れて。
 また、猫たちは一瞬だけ警戒する様子を見せたが、すぐにくつろいで小さく「にゃー」と鳴いた。
「人なつっこいね〜。」
 かがみ込む河村。不二は仁王立ちの手塚に小首をかしげ。
「どうしたのさ。」
 少しからかうように尋ねた。
「不二……天才と呼ばれるお前ならば……猫の言葉は分かるか?」
 真顔で不二を正面から見据える手塚。
 不二はしばらく猫と手塚とを見比べていたが、にっこりと微笑んで。
「だいたい分かるよ。彼女が何を言いたいか、通訳すれば良いんだね?」
 母猫の前にそっとしゃがんだ。
「にゃー!」
 不二の顔を見上げ、甘えたような声を上げる猫。

「手塚は……もう少し笑った方が良いってさ。」
 不二の翻訳に、手塚は眉間にしわを寄せる。
「……そうか。」
 だが、反論する気もないようで、素直にその翻訳を受け入れて頷く。
「考えておこう。」
「にゃー!」
 母猫が嬉しそうに鳴いた。河村の大きな手のひらに、子猫が身をすり寄せている。

「それからね、手塚。このお母さん猫、娘をテニス部に入れたいって。」
 子猫を手の中で転がしていた河村が、小さく吹きだした。
 しかし、手塚はまっすぐに母猫を見つめ。
「悪いが、ここは男子テニス部だ。娘ならば、女テニだろう。」
 極めて正しい反論で、母猫の希望を却下するコトに成功した。
「にゃー!」

 乾がまた何かをメモし始める。
「女子だからって話以前に、あの猫、青学の生徒じゃないだろ!」
 菊丸が鼻の穴をふくらます。
「その前に……猫はテニスできないっす。」
 控えめに付け足す海堂。
 菊丸と海堂にちらりと視線を送り、乾は何かを追記した。
 大石は。
 や……あの猫は別に部活に入りたいわけじゃないだろう?
 と、突っ込もうかとも考えたが、乾のノートが怖かったので、黙っていることにした。ついでに言うと、自分も猫語は分からない。もしかしたら不二の翻訳が正しいのかもしれないのだ。

 入部を断られた猫の親子は、しばらく遊んだ後、どこへともなく消えた。
 たぶん、校内に住んでいる野良猫なのだろう。
 部活が始まるまでの間、部員たちは猫の噂で持ちきりだったが、すぐにそんな話も忘れてしまい。
 あっという間に、翌日の部活の時間を迎える。


「また来てるっすね。」
 桃城がラケットで軽く肩を叩きながら、コートの隅に視線を送る。
 コートの隅には、昨日の親子猫。
 仁王立ちで部員たちを見守る手塚の足下に、ちょこんと座っている。
 別にエサをねだるわけでもなく。
 遊んでくれとせがむわけでもなく。
 ただ、手塚について歩く。
 それだけであって。
 そして。
「油断せずに行こう!」
 その頼もしい声がテニスコートに響き渡れば。
「うぃっす!」
「おう!」
「にゃー!」
 あちこちから、元気な声が返ってくる。
 そんな日が、何日も続いた。


 猫たちはどこかに引っ越したのかもしれない。
 十日ばかりで、ふっつりとその姿を見なくなった。
「手塚、寂しい?」
 ずいっと眼鏡の奥を覗き込むように、菊丸が尋ねれば。
「……何がだ?」
 不機嫌というわけでもなく、本当に分かっていない調子で手塚が聞き返す。

 大石は知っている。 
 手塚が、猫の親子を女テニの見学に連れて行ったというコトを。
 乾は知っている。
 大石が、毎日、部誌に「見学:二匹」と律儀に書き入れていたコトを。
 そして、手塚は知っている。
 乾のノートには、猫たちの情報が大量に記されているというコトを。

「手塚が子猫拾ってくるなんて、ホント、あのときは驚いたよね〜。」
 菊丸が猫のように大きな伸びをする。
 部活が休みの放課後、日はまだ空の高いところに掛かり。
 教室の窓からは、女子テニス部の元気な掛け声が聞こえてくる。
「ねぇ、あれって。」
 窓枠に肘で寄りかかるようにして外を見ていた河村の声に。
 隣から不二がおっとりと身を乗り出す。
「ふふ。元気そうだね。」
 河村の指さす先。
 テニスコートの片隅を。
 小さなシルエットが二つ、跳ねるように駆け抜けて行った。







☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
   <今回のいただき冒頭文>
「手塚が…子猫拾ってきた!」
 菊丸が部室のドアを乱暴に開けるや否やそう叫んだ。

どうもありがとうございました!




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