マイペースで行こう!
〜亜久津@氷帝篇。

<冒頭文企画連動SS>



「杏仁豆腐は豆腐じゃない!」
 今朝のけんかは最悪だった。
 そりゃ、優紀が楽しみにとっておいた杏仁豆腐を、昨夜、勝手に食べてしまったのは悪かったと思う。
 でも、悪かったと思ったからこそ、亜久津は杏仁豆腐の容器に、さいの目切りにした豆腐を入れておいたのだ。
 木綿にすべきか絹にすべきか、深夜の台所で三十分も迷ったのだ。
 結局、のどごしを考えて、絹豆腐に決めたものだから、崩さずにさいの目切りにするのにむちゃくちゃ苦労したのだ。
 それでも何とか容器にキレイに豆腐を浮かべたわけで。
 その誠意くらいは汲んでくれても良いんじゃないかと、亜久津は思う。
「仁なんて、杏仁豆腐って名前になっちゃえばいいんだわ!」
 実の親にこんな罵られ方をする中三も珍しいだろうなぁ。
 そんな風に思いながら、土砂降りの雨の中を、亜久津は逃げるように学校に向かった。
 ホント、今朝のけんかは最悪だった。
 授業中、プリントの隅に「亜久津杏仁豆腐」と試しに書いてみて、がっくりしながら、亜久津はしみじみと溜息をついた。

 優紀から携帯にメールが届いたのは、昼休みの終わるころのコトで。
 件名を見て、亜久津は頭を抱えた。
 息子に「お前の母ちゃんでべそ!」ってメール送る母親がどこにいる……!
 とりあえず優紀がまだ怒っているらしいコトに亜久津はもう一度溜息をつく。
 しかし。
 受信してみたメールには、いつものように。
  ショートケーキ1個/フランボワーズ1個/モンブラン3個
  いつものケーキ屋さんで買ってこなかったら泣いちゃう(T_T)
 とあって。
 いい年して「泣いちゃう(T_T)」じゃねぇだろうが。ってかその顔文字はもう泣いてんだろうが。
 湿気で重い髪を掻き上げる。
 ケーキ買って来いという指令は、亜久津家の仲直りの儀式みたいなもので。
 学校から行くとすんげぇ遠回りになんだよ。くそばばぁ!
 そう口の中で悪態をつきながら、亜久津は携帯をポケットにねじ込んだ。

 下校時刻になっても、相変わらずひどい雨は止まなくて。
 しばらくはぼんやりと時間を潰していたが、どうも雨は止みそうにない。
 さすがのテニス部も今日は大人しく部活を休みにしてるんだろうな。
 ふと視界に入ったグラウンドが無人であることにどこかほっとしながら、亜久津は土砂降りの雨の中で傘を開く。
「亜久津先輩!」
 雨音の彼方から、小さな声を聴いた気がしたが、振り返っても誰もいない。
 空耳だったかな。
 亜久津はそのまま早足で駅に向かった。


 ケーキ屋の最寄り駅に着くころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
 帰宅ラッシュの時間はもう過ぎている。これだけの土砂降りなら、みな、寄り道もせずに真っ直ぐに家に帰るのだろう。いつもよりもずいぶんと人影がまばらであって。
 ケーキのケースが濡れていないのを確認して、亜久津はホーム外れのベンチに腰を下ろした。泥が跳ねてこそいないものの、ズボンの裾はひどく濡れている。
 白い制服なんて誰が決めたんだ。
 亜久津はいらいらと裾をハンカチでぬぐった。

 そのとき。
 ふとホームに制服の一団がたむろしているコトに気付く。
 こんな時間に集団下校かよ?何だ、あいつら。

 髪を掻き上げれば、髪はしんなりと大人しく重力に従っていて。
 最悪だな。だせぇ。
 鞄の中からヘアワックスを取り出す。
 そして、もう一度さっきの集団に目をやった。

 あれ?氷帝の跡部ってヤツだな。
 集団の真ん中に立つ、ムダに偉そうな男に見覚えがあった。その横にうっそりと立っている巨躯にも。
 氷帝って、この辺にあんのか?何群れてんだよ。かっこ悪ぃ。
 軽く舌打ちをして。
 かちり、とヘアワックスのケースを開けて。

 そのとき、ベンチに少年が一人腰を下ろした気配に気付く。
 横目で見れば、その少年も氷帝の制服を着ていて。
 やけにきっちり切りそろえられた髪が、なぜだか懐かしくて。
 そして、彼がとてもしょんぼりしているコトが気になって。

「仲間はずれにされたのか?」
 集団の方に目をやったまま、亜久津はうっかり声をかけてしまう。
 少年はびっくりしたように目を見開いたが、ふるふると首を振った。
「ふ〜ん。」
 別にこんなひ弱そうなヤツどうでも良い。
 ヘアワックスに目を戻そうとした瞬間。
 きぃぃぃぃん!と謎の効果音とともに、その少年は「友人を待つぬれせんべい」の構えを取って見せたのである。
 その構えの隙のなさ、完璧な間合いに、亜久津は目を奪われた。
 ひ弱なものか!こいつ、できる……!
「友達待ってんのか?」
 構えを崩さずに、頷く少年。
 そしてゆっくりと膝を落とし、右腕を掲げた。そう、かの有名な「友人が帰ってこないんじゃないかと心配している天津甘栗」の構えである。
「何が心配なんだよ。」
 亜久津が尋ねると、少年は黙って首を振った。

 ケーキの箱を持ってトイレに行く気にもならない。
 亜久津は鞄から手鏡を取りだして、その場で髪を整えるコトにした。
 一挙手一投足を食い入るように見つめる少年。
 大人しく重力に従っていた髪が、あっという間につんつんに突っ立つのを見て、少年は。
「……スーパーサイヤ人?!」
 小さく驚愕の声を上げる。
「俺は亜久津仁だ。」
 むっとして言い返した亜久津は、実はスーパーサイヤ人が何だかよく分かってなかった。
 少年はこくりと頷いて。
「亜久津仁!」
 「新しいお友達に出会ったコノハズク」の構えでご挨拶をする。
 亜久津は自分が「亜久津杏仁豆腐」でなくて本当に良かった、としみじみ思った。

 電車がホームに滑り込んでくる。
 だが、亜久津は髪を整えている途中だったためにそれを見送るコトにした。
 隣でコノハズクの構えを披露している少年は電車から降りる人をじっと見つめ、目当ての友人がいなかったのか、がっかりした様子で、もう一度ベンチに座り直す。たむろしている氷帝の面々も、少し気落ちしたように見える。
 ことに跡部とかいう男は、走り去る電車に対して何か居丈高に文句を言っているようで。
「鳳はどうした!あーん?」
 電車に文句言ってもしかたないだろうが。あほか。全く。
 亜久津は仕上げとばかりに、前髪をひねりあげ、手鏡を覗き込んだ。

 そして。
 隣に座っている少年があまりにもしょんぼりしているので。
「お前もやるか?」
 ヘアワックスを見せてやると。
 一瞬、目をぱちくりさせた少年は、深く頷いて「チャレンジしてみるシシトウ」の構えでやる気を見せた。
 亜久津は彼の髪型に何か軽い既視感を感じながら、適当に整えてやる。
 ちょっと長いけど、仕方ねぇ。
 空はもう真っ暗で、時計を見ても夜の支配下に入る時刻で。

 そのとき氷帝軍団から一人の少年がこちらに気づき、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「日吉ー!どこ行ったかと思ったよー!」
 またしてもおかっぱか!
 亜久津は眩しい気持ちで駆け寄ってきた少年に目をやる。
「滝さん!」
「行方不明になるのは鳳だけにしてよー。髪型まで変わってるし、びっくりしたー!」
 滝と呼ばれた少年は、とうていびっくりしたとは見えない表情で、にこにこと亜久津と日吉を見比べて。
「かっこよくしてもらったねー。でも、明日までに元に戻さないと、監督に怒られるよー?」
 機嫌良くそう言った。

「何やってんの?!」
 もう一人少年が駆け寄ってくる。
「あ、向日ー。」
 おっとりと振り返る滝。亜久津は思った。
 またおかっぱか!!氷帝ってのはおかっぱ学園か!!
「えー!いいな!俺も俺も!!」
 三人目のおかっぱ、向日が亜久津にせがむ。
 馴れ馴れしいやつらだなとは思いつつ、亜久津はなぜかおかっぱには不思議なシンパシーを覚えてしまう自分に苛立った。
「しょうがねぇな。」
 山吹にはこんな馴れ馴れしく俺につきまとうやつなんかいねぇぞ。……太一以外。
 舌打ちしながら、亜久津は向日の頭も適当に整えてやった。
 こいつもちょっと長すぎるが、まぁいいか。
 そう思った瞬間、視界の端で、一人の少年が崩れ落ちる。
「……!」
 驚いて立ち上がる亜久津に。
「あー。ジローってば寝ちゃったー。」
「気にしなくて平気。あいつどこででも寝るから。」
 滝と向日は平然と言い放ち、日吉は「大丈夫ですよと慰めるアリクイ」の構えを取った。
 氷帝って……。
 向日が飛んだり跳ねたりしながら、新しい髪型を自慢しに氷帝の集団に突入してゆく。
 亜久津は動揺している自分に苛立って、軽く首を振ると、問答無用で滝の頭に手を伸ばした。
「俺もなのー?」
 小さく声を立てて笑いながら、滝は抵抗する素振りも見せず。
「……スーパー亜久津仁!」
 「おそろのイソギンチャク」の構えで日吉は満足げにきぃぃぃぃん!とポーズを決めた。

「……亜久津仁?」
 滝が軽く眉を上げる。
「……そうか。山吹の制服だっけ。それー。」
 気怠い声で滝は亜久津を見上げ。
「ふん。それが何だ。」
 睨み返す亜久津に、滝はにっこり微笑んだ。
「ううん。何でもないー。」
 こいつの髪はさすがに長すぎたなと思いつつ、亜久津はもうこうなったら世界中のおかっぱを無造作ヘアに変えてやろうという勢いで氷帝軍団に目をやった。残念ながらというべきか、幸いというべきか、おかっぱはもう他にはいなかったのだが。

 かちり、と、ワックスのケースを閉じて、鞄の中にねじ込むと、亜久津は立ち上がった。
 構内アナウンスが電車の到来を告げている。
 日吉とかいうやつも、滝に押しつけておけば大丈夫だろうよ。
 亜久津はそのまま振り返りもせずに、ケーキ箱片手に歩き出す。
 背後で日吉が「いろいろ感謝するあんみつ」の構えで見送っている気配を感じながら。

 電車がホームに滑り込んでくる。
 氷帝の集団の横を通り抜けようとして。
「おい。」
 跡部に腕を掴まれる。
「あー?」
 睨み付けてやれば、動じる様子もなく。
「てめぇ、山吹の亜久津か?」
 低く尋ねる跡部。
「だったらどうした?」
 よく覚えているもんだな。
 そう思いつつ、低く応じる。
「……いきなり部活やめてんじゃねぇよ。部員がいきなりいなくなったら、てめぇんとこの部長……って、山吹の部長は誰だ?」
「……南。」
「南って誰だ……?まぁ、良い!その南ってヤツが悲しむだろうがよ!あーん?」
 跡部に真顔でこんな説教くさいコトを言われるとは思いもしなかった。
 亜久津は軽く舌打ちをする。真剣だから手に負えない。跡部の背後に立つ巨漢がせわしなく瞬きを繰り返す。
「……俺に指図すんじゃねぇ。」
 そう言い捨てて滑り込んできた電車に乗り込む。
 亜久津とすれ違うように、長身の少年が下車してきて。
 あ。こいつ、氷帝の制服。
 そう思った瞬間。

「長太郎!!てめぇ、勝手に氷帝やめるとか言ってんじゃねぇぞ!!」
 さっきまで沈黙を守っていた帽子の少年が、勢いよく胸ぐらを掴む。
「し、宍戸さん……!」
 あっという間に少年は氷帝軍団に囲まれて。
「わ、若、お前、その頭……?!」
「日吉ってば鳳がいなくて寂しすぎて、髪の毛こんなになっちゃったんだよー?」
「滝さんも……!」
「見て!俺も!俺も!」
「ジローも眠い目こすって鳳が帰って来るの待ってたんやで?」
 発車のベルが鳴る。
 少し離れたところで腕を組んで彼らを見守っていた跡部が、ちらっと亜久津に目をやった。

 てめぇらの馴れ合いに俺を巻き込んでんじゃねぇよ。
 俺はスーパーサイヤ人でも亜久津杏仁豆腐でもねぇ。亜久津仁だ!

 ドアが音も立てずに閉まる。
 窓はひどく濡れていて、ホームの様子が滲んでみえた。
 さっき呼んでたヤツ、太一だったかもしんねぇな。
 亜久津は、ふと、昇降口で聞いた声を思い出し、そんな自分に小さく舌打ちをした。
 お友達ごっこなんて、つまらねぇての。
 真っ暗な空から雨が降り続いている。
 全国大会とやらで氷帝とぶつかったら、負けてんじゃねぇぞ。
 携帯を開くと。
 「絹ごし豆腐も買ってきて。豆腐は杏仁豆腐じゃないよ。」と書かれたメールが届いていた。
 最高じゃねぇの。
 亜久津は喉の奥で小さく笑って、携帯を閉じた。







☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
   <今回のいただき冒頭文>
「杏仁豆腐は豆腐じゃない!」

どうもありがとうございました!




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