マイペースで行こう!
〜河村@不動峰篇。

<冒頭文企画連動SS>



 この胸のトキメキはなんだろう。
 河村は深呼吸してみた。
 やっぱりどきどきする。
 嫌などきどきじゃなくて……幸せで温かいどきどきする気持ち。
 もちろん恋なんかじゃないけど。
 いや、ホント。この胸のトキメキはなんだろう。

 河村はその日、父親の仕事の手伝いのために部活を休んでいた。
 一足先に学校を後にする河村を見送って、廊下の窓から土砂降りの空を見上げた不二。
「きっと今日は部活ないよ。タカさん。仕事、頑張ってね。」
 車の窓を流れる雨を見ながら、河村は不二の言葉を思い出していた。確かにこんな雨じゃ部活はないだろうな。
 河村の父が運転する車は、土砂降りの住宅街をゆっくりと走ってゆく。まだ日は沈んでいない時間帯なのに、辺りは薄暗く、人通りもない。
「こんなんじゃ、今夜はお客さん来ねぇだろうな。」
 苦笑混じりの父親の言葉に、助手席の河村は少し困惑気味に頷いた。
「せっかく良いネタが入ったのに。残念だね。」
 雨が窓を叩く。空は真っ黒な雲に覆われている。
「あれ?」
 窓の外に大きな建物が見えた。
「不動峰だ。ここ。」
 不動峰中学校と書かれた校門の奥。こんなひどい天気なのに数名の人影があった。しかも全員見覚えがある。ああ、あいつら、テニス部の……。
「どうした?隆。知り合いか?ここで降ろしてやろうか?」
「え?でも、俺、店を手伝わないと……。」
「こんな雨じゃ客来ないって言ってんだろうが。」
 笑いながら河村の父親は車を停めた。
「降りんのか?降りねぇのか?」
「あ、うん。ありがとう。じゃあ、降りるよ。」
 後部座席から傘を取り、河村は土砂降りの雨の中に降り立つ。
「夕飯までに帰って来いよ?」
 そんな声を残して、父親の車は静かに走り去っていった。

 不動峰中の玄関の軒先には。
 テニス部の中二が何するともなく集結していた。
「……こんにちは。」
 傘をたたみながら、声を掛ければ。
「……河村さん?!」
 素っ頓狂な声を上げる石田。びっくりした様子で目を見開きつつも、わらわらと一同が河村を取り囲む。
「河村さんだあ!」
「河村さん、お久しぶりです!」
「今日はどうしたんですか?」
 上から順に神尾、桜井、森。
 内村と伊武も無表情に、河村を取り囲む輪に参加している。
 な、なんだろう。この……この胸のトキメキは。

「オヤジの車でそば通りがかったら、君たちが見えたから、ちょっと寄ってみたんだ。こんなところで集まって、どうしたの?」
 傘からしたたる雨の雫を軽く振って払って、河村は全員の顔を順繰りに見回した。
 一瞬、黙り込んでから、神尾が口を開く。
「土砂降りなんです。」
 いや、それは分かってる、と河村は思った。
「そんで、えっと……傘が3本しかないんです。」
 河村の表情から、言葉が足りなかったコトに気付いたのだろう。神尾が慌てたように付け加える。
 ああ、と河村はだいたいの状況を理解した。傘がない子がいるから、小降りになるまでみんなで待っていたのか。仲良しだな。不動峰の子たちは。もちろん青学の中二だって仲良しだけど。
 しかし。
 神尾はまだ言葉を続けた。
「どうやって帰れば良いのか、相談していたんですけど……どう考えても上手くいかなくて。」
「相談?」
「誰と誰が一緒の傘に入れば良いか、決められなかったんです。6人で傘が3本なんで、どうしたら良いのかな〜って。橘さんに相談しようと思ったんですけど、げた箱見たら、橘さんもう帰っちゃったみたいで。俺ら、困ってて。」
 橘は監督兼部長だから、後輩の相合い傘の組み合わせまで考えなきゃいけないのか〜、と河村は素直に橘を尊敬した。
 すごいなぁ。橘。きっと手塚はそんなコトまでは相談に乗ってくれないぞ。というか、誰も手塚にそんな相談持ちかけないだろうけど。

「傘を持っているのは俺と森と石田なんです。」
 桜井が説明する。
「神尾と内村はけんかするから、同じ傘には入れません。それから深司と神尾もダメです。けんかするから。」
「……うん。」
「石田はでかすぎるので、一人で傘さしてても濡れます。」
「……うん。」
「俺の傘は骨が一本折れてます。でも、使えます。」
「……うん。」
「森の傘は、今日に限って、なんでか花柄です。」
「……うん。」
「どうしたら良いでしょうか。」
「……えっと。」

 河村を取り囲む不動峰の良い子たちは、きらきらと目を輝かせて河村の言葉を待つ。
 橘は偉いなぁ、と、河村は思った。とにかく思った。よく分からないけど、橘は偉い。
 橘だったらこんなとき何て言うだろう?
 手塚だったら。大石だったら。不二だったら。何て言うだろう?

「あ、すみません。電話だ。」
 河村を取り囲む輪の端っこで神尾がポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出す。
「誰だろ?」
 知らない番号だったのか、小首をかしげながら、通話ボタンに指を当てる。
「もしもし?……はい。そうです。……えっと。えっと。こんにちは。……携帯どころか連絡先なんて、俺、全く知らないです。……ちょっと待ってくださいね。」
 面食らった口調で誰かと会話していた神尾は、困ったように一同を見回した。
「誰か、千葉の六角の人の携帯番号知ってる人いない?」
 神尾の問いかけに、一同は黙ってふるふると首を横に振る。
「あの、河村さんも?」
「うん。ごめん。俺も知らないや。」
 再び携帯に向かう神尾。
「すみません。誰も知らないみたいです。……はい。え。じゃあ青学の桃城とか。……はい。あいつで良ければ。」
 土砂降りの虚空を見上げ、おっかなびっくり会話を続ける神尾を見守りながら、不動峰の良い子たちは静かにしている。
 花柄の傘でチャンバラごっこを始めた内村に、やむを得ず桜井が応戦したりしながら、折れた傘の骨を真顔で逆向きに曲げようとしている伊武を、森と石田が必死に止めようとしたりしながら、河村の周りで静かに大人しくしている。
 不動峰の中二は本当にみんな仲良しだなぁ。
 河村はにこにことそう思った。

「すみません。いきなり電話掛かって来ちゃって。えっと、氷帝のおし……?」
「……忍足くんかな?」
「あ、はい。氷帝の忍足さんからでした。何があったのか、よく分からないんすけど。」
 言い訳のようにぶつぶつ言いながら、神尾は携帯をポケットに押し込んだ。

 そして一同は再び河村を取り囲む。
 どうも、彼らにとって「先輩を取り囲む」というのは、一番落ち着く陣形であるらしい。
 12の瞳に見つめられる状況に、河村もだんだん慣れてきて。
「あのね。みんな、家、近いの?」
 一人一人の顔を見回しながら尋ねると。
「はい。」
 返事をしたのは桜井だったが、全員がこくこくと頷いた。
「じゃあ、傘の話、こうしたらどうかな?」
 提案するように口を開いた河村に、一同、きらきらと目を輝かせる。
「その……3本の傘があるだろ?それを借りて、神尾と内村と伊武は一度家に帰って、自分の傘と借りた傘を持って、ここに戻ってくる。そうしたら、傘は6本になるわけで、全員、自分の傘で帰れるだろ?」
 河村の言葉に。
 全員、目を丸く見開いて。
 それから、尊敬を瞳いっぱいに湛えて。
「はい!河村さん!」
 元気に声を揃えて返事をした。

「内村。これ。」
 森が笑顔で花柄の傘を渡すので。
 内村は断れなかったのか、デザインなど別に構わなかったのか。
「おう。悪い。」
 そのまま、花柄の傘をさして、家に向かう。

「神尾、骨折れてて悪いけど。」
 伊武に渡すともっと壊されそうだからだろうか、桜井は迷わず傘を神尾に手渡して。
「サンキュ。」
 神尾は少しいびつな傘を片手に、土砂降りの中を駆け出して行った。

「折りたたみ傘でごめん。」
 自分の傘を伊武にそっと差し出す石田に。
「なんで謝るわけ?お前、悪いことしてるわけ?分からないな。石田。変なやつ。」
 感謝しているのかしていないのか、微妙な言葉をぼやきながら、伊武は傘を受け取って。
「じゃ、借りる。ありがと。」
 一応は礼の言葉を口にして、雨の中を歩き出す。

 三者三様のその姿を見送って。
 河村は思った。
 不動峰の良い子たちは本当に仲良しだなぁ、と。

 そして、不動峰中学の玄関先には、石田、桜井、森と河村の4名が残った。
「やっぱ、河村さん、すごいですね!」
 石田が無邪気に笑って。
「俺たちが六人で悩んでもどうしようもなかったコトをあっという間に解決しちゃうんですから!」
 桜井の言葉に、森もまたにこにこと河村を見上げる。
 河村は、青学の後輩たちと決して仲が悪いわけではない。
 だが。
 こんなにも素直で熱烈な「お慕いしています!」攻撃を受けたのは初めてのことで。
 この胸のトキメキはなんだろう。
 なんといって表現したら良いのだろう。
 河村はどきどきしながら。
 俺には身に余る光栄だなぁ、と。
 橘を思って目を細めた。
 橘ならこんな風に慕われるのに相応しいのだろうけど。
 ……自分と橘は同じくらいの身長だから、きっと彼が見ている世界って、毎日こんな感じなんだろうな。

 のんびりとおしゃべりをして。
 10分くらい経ったころだろうか。
 ばしゃばしゃと水を蹴りながら、神尾が駆けてくる。制服で雨の中を走り回るわけにもいかないのだろう、Tシャツに短パンという動きやすい服に着替えて、全力で駆け戻ってくる。
「桜井。傘、ありがとな!」
 軽く乱れた息で、神尾は桜井に傘をさしだした。
 内村も伊武も、数分のうちに戻ってくる。そして、各人、借りた傘を持ち主に返して。

 これで、全員傘がある状態になったんだけど。

 河村を取り囲む少年たちは、別に何を期待しているわけでもないようなのに、きらきらと目を輝かせて、河村を見つめている。困ったように頬を掻きながら、河村が尋ねた。
「あの。」
「はい!」
「みんな、帰らないの?」
 一瞬、きょとんとする不動峰の良い子たち。
 そこでようやく河村は気付いた。
 橘だったら、「帰らないの?」とは聞かない。橘だったら、きっと。

「じゃあ、帰ろうか。」
「はい!河村さん!」

 河村がただそこにいるだけなのに。
 嬉しそうに、楽しそうに、はしゃぐ不動峰の良い子たち。
 決して青学の後輩たちが無邪気じゃないとは言わないけれど。
 なんというか。
 この胸のトキメキはなんだろう。
 河村は静かに全員を見回して。
 土砂降りの雨の中、うきうきと帰路に就く少年たちの一人一人に目を留めて。
 橘の日常を思い。
 そしてふと。
 なぜか、大和部長のコトを思い出していた。







☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
   <今回のいただき冒頭文>
この胸のトキメキはなんだろう。

どうもありがとうございました!




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