参観日〜六角篇。
<冒頭文企画連動SS>
「お母さ〜ん!ただいま帰ったっすよ〜!」
もちろん、親でもなければ子でもない。
しかし。
「お帰りなのね。剣之介、ダビ右衛門。」
部室の奥からは平然と樹の返事が返ってくる。
もちろん、剣之介でもなければダビ右衛門でもない。
「くすくす。先にテニスにする?それともテニス?」
もちろん、新婚さんでもない。場所は六角中。ただいま朝練前。
木更津が窓を全開にすれば、朝のすがすがしい空気が、埃っぽい部室いっぱいに流れ込む。「ところでダビ夫。お前、樹母さんに謝らなきゃいけないコトがあるだろう?」
ごそごそと着替えを始めようとする天根を捕まえて、佐伯が真顔で問いかける。
どうやら佐伯はお父さんのつもりらしい。
「……うぃ?」
小首をかしげる天根。「……これは何だ?」
佐伯の手には三枚のわら半紙。
一枚目は漢字テスト。
目を覆うような結果ではあるが、佐伯の視力よりは良い点数である。
二枚目は今月の給食の献立表。
アサリご飯に大きく赤丸を付けてあるのが天根らしい。
佐伯はその二枚をこともなげに横に置いて。
「部室に大事なプリント忘れて帰るなって、いつも父さん言ってるだろ?」
天根の眼前にB5サイズの紙を突きつける。
そこには。
六角中参観日のお知らせ。
という大きな文字。「剣吉はきちんと持って帰ってきたのに、ダビ次郎は参観日のお知らせプリントを持ってこないって、樹母さん、昨夜、父さんの胸に縋って泣いてたぞ?」
「……うぃ。ごめん……。」
天根は少し困惑した様子で、樹を振り返って頭を下げた。
「俺に謝ってどうするのね?今日は忘れずにうちに持って帰るのね。」
と樹。
「部室に置きっぱなしにしてると、オジイが参観日に来ちゃうのね。」
「うぃ!」
樹の言葉に、天根は大あわてでプリントを鞄に押し込む。
「それからサエ。その子はダビ右衛門なのね。ダビ夫でもダビ次郎でもないのね。」
「ああ、ごめん。」
佐伯は爽やかに笑って天根の頭をぽんぽんと叩いた。音を立てて扉が開き、「うぃっす。」などと低く挨拶しながら首藤が姿を見せる。
だんだんと賑わってくる朝の部室。
「あ!」
天根と佐伯、樹のやりとりを見守っていた葵が、唐突に大きな声を出した。
「お母さん!!ボク、良いこと考えた!」
「なんだ?お母さんに話してみなさい。」
なぜか今度は首藤が返事をする。
「あれ?ボクのお母さんは誰?」
「くすくす。俺に決まってるだろ?」
そう答えたのは木更津。
「お母さんがたくさんいる!!面白い!!」
葵はいたく上機嫌である。「あのさ、ボク、部長じゃない?部長は部員のコトをよく知っていないといけないじゃない?」
佐伯と樹が顔を見合わせる。
「くすくす。それで?」
続きを促したのは木更津で。
ぐるりと部室を見回して、葵が目を輝かせて叫んだ。「だからボク、参観日にみんなの授業を見に行くよ!!」
やる気満々の葵の言葉と同時に。
ぼふっと葵の頭に大きな手のひらが降ってくる。
「何、言ってんだ。お前。」
「バネさん!」
いつの間にか登場していた黒羽に、びっくりしたように葵が振り返る。
無造作に鞄を床に置いて、黒羽は着替え始めつつ。
「俺らが授業中だったら、お前も授業中だろうが。」
極めて常識的なツッコミを入れる。しかしそのツッコミを全く意に介した様子もなく。
「やだやだ!ボク、参観日する!!」
葵が全力でごねる。
天根は「参観日ってするもんだっけなぁ?」と思ったりもしたが、気にしないコトにした。「参観日するも何も……。うちの連中がそんな複雑だと思うか?」
シャツに腕を通しながら黒羽が葵に目をやる。
「複雑?」
葵は首をかしげ。
「こいつら、裏も表もねぇんだから、授業中も部活中も変わらないっての。」
黒羽が笑いながら応じた。
「サエは授業中でもムダに爽やかだし、樹ちゃんはムダに鼻息が荒いし、亮はムダにくすくす笑ってるし、聡はムダにキャラが薄いし。」
首藤は少しだけ自分の立場に不安を感じたが、まぁしょうがないかなと思い直した。
樹ちゃんや亮よりキャラが濃いってのは大変そうだからね。うん。
そして、首藤は、自分がこういう思考回路の持ち主だから、キャラが薄いと言われるのではないかと気付いてしまい。
まぁ、それはそれでしょうがないかなと、改めて思うことにした。「ダビ子はこれだしな。」
佐伯が天根の漢字テストをひらひらと葵に見せつける。
「うわあ!すごいよ!!何この点数!!ボク、こんなひどい点、どうやったらとれるのか、想像もつかないや!!」
そのプリントを両手で高々と掲げ、葵は極めて素直に、真っ正直に目を輝かせた。「……ダビ子じゃないのね。その子はダビ右衛門なのね。」
しゅぽー!という鼻息とともに、樹が小さく呟いた。「でも、ボク、参観日したい!」
天根の漢字テストをそのまま横に置き捨てて、葵は頑張る。
佐伯が小さく肩をすくめた。
「仕方ないヤツだな。」
脱ぎ捨てた制服を適当にロッカーに押し込みながら、黒羽が諭すように口を開く。
「じゃあ、特別に俺が許すから。」
「うん?」
「今度の参観日、中一A組の授業参観してこいよ。」
黒羽の言葉に葵は目を見開いて。
「やだよ!それ、ボクのクラスじゃないか!」
間髪入れず猛然と抗議する。
だが。
「知らないのか?敵を知り己を知れば、百戦危うからずだぞ?」
真顔で真っ直ぐに葵に向き直る黒羽。
「何それ?知らないよ!」
葵はにこにこと言い切った。着替えを終えて部室を出て行こうとしていた木更津が立ち止まり、振り返る。
黒羽は何を言い出すのやら。
お手並み拝見、といった様子で、帽子を目深にかぶり直した。
窓の外からはスズメの鳴き交わす声が聞こえる。「良いか?参観日したかったら、まずは参観日というヤツを良く知らなくてはいけないだろう?そのためには自分が参観日に観察されてみるコト。これが敵である『参観日』というヤツを知る第一歩だ。」
「うん!」
あごに手を当て、ゆっくりと説明する黒羽の声。聞き入るように、樹がしゅぽーと息を吐く。
「そして、授業中の自分を良く知るコト。これが己を知るための近道だ。お前、授業を受けている自分を見たことあるか?」
「ない!」
「そうだろう。だったら、まずは自分のクラスで自分をよく観察してみるコトだ。授業中の自分がどんなかを知れ。つまり、己を知れ。良いな?そうすれば百戦危うからず、どんな参観日が相手でも怖くねぇってことだ。」
樹はもう一度小さくしゅぽっと息を吐いた。
なんだかよく分からなくなってきた様子である。
自分が親に混じって教室の後ろから授業参観していたら、授業中の自分なんか見られないのね?とか。
どんな参観日が相手でも怖くねぇって、もともと参観日は怖くないのね?とか。
そんな素朴な疑問が、ありありとその大きな瞳に浮かんでいる。
しかし。
「うん!分かったよ!バネさん!!ボク、頑張る!!」
葵は全く混乱もせず、元気いっぱい決意を固めていた。「よぉし!今回の参観日には、ボク、自分のクラスに行って、授業中の自分を良く観察するね!で、参観日ってヤツの正体を見極めてやる!そんでもって参観日をぶっ倒せば良いんだね!」
拳を握りしめて、宣言する葵。
「そうだ。剣太郎。敵を知り己を知れば、もう参観日なんか怖くねぇぞ。片手で捻り潰してやれ。」
黒羽はにっと笑って、その頭をぽふぽふ撫でた。えっと。
参観日をやっつける話していたんだっけ?
木更津が佐伯を振り返ると、樹の背後に隠れて、佐伯は耐えられない様子で懸命に笑いをかみ殺していた。首藤は思った。
これがサエだったら間違いなく騙すつもりで嘘ついてると思うトコだけど、バネの場合、途中から自分でも何言ってるか分からなくなってそうだよな。
視界の端では天根が漢字テストを小さく小さく折りたたんでいる。
ダビデにはダビデなりの哀しみがあるらしい。
どの辺で哀しくなってきたのか分からなかったけれども、首藤は少しだけ天根に同情してみた。堪えきれない笑いを無理にかみ殺して、佐伯が小声で言う。
「敵を欺くにはまず『自分』からってね。」
木更津もくすくすと笑いながら、賛同した。
「自分の台詞に自分で騙されてるなんて、バネってば器用なヤツだね。」その横で、樹が小さい声で。
「剣太郎じゃないのね。その子は剣之介なのね。」
と呟いて。
天根が困ったように。
「……うぃ……。」
と相槌を打つ。
そして今日も、六角中の元気な朝練が始まろうとしている。
☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
<今回のいただき冒頭文>
「お母さ〜ん!ただいま帰ったっすよ〜!」
もちろん、親でもなければ子でもない。
どうもありがとうございました!
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