参観日〜峰篇。
<冒頭文企画連動SS>



 その日、不動峰の部室に衝撃が走った。
 森、伊武、石田、桜井の四名がいつもの調子でがちゃりと無遠慮に部室の扉を開ければ、そこに不可思議な、いや、正直に言えば「ありえない」光景が広がっていたからである。

 何しろ。
 そこには、古ぼけた机にレポート用紙を広げ、真剣な表情でシャーペンを握る神尾と内村の姿があったのだから。
 いったい、何が……?!
 勉強しているのか?理科のレポートでも書いているのか?あるいは何か自由課題でも?
 これはまさか。
 いわゆる天変地異の前触れではないのか……?
 桜井は不安げに窓の外に目をやった。
 大丈夫。まだ槍は降り出していない。まだ大丈夫。

「何やってるの?」
 極力普段通りの口調で森が声を掛ける。それまで人が来たことに気づきもしなかった様子で、レポート用紙をにらみつけていた二人は、はっとして彼らに目を向けた。
「うわっ!」
「うわ、じゃなくて。何やってるの?二人そろって。」
 にこにこしながら、森がレポート用紙を覗き込む。
「ばかっ!森は見るな!」
 慌ててレポート用紙を裏返す神尾。それでも腕を伸ばす森を内村が力ずくで制す。
「だめだ。森は関係ねぇ!」
「何だよ。俺、仲間はずれ?」
 相変わらずにこにこしながらも、ふてくされたように言う森。
「じゃあ、俺らなら見ていいのか?」
 フォローするように桜井と石田が森の後ろから机を覗き込めば。
「……桜井も石田も……だめだよな?」
「当たり前だろ。」
 というリアクション。
 神尾は裏返したレポート用紙を乱暴に鞄に押し込んだ。
「なんでだめなんだよ。」
「……だめなもんはだめなんだよ。」
 のほほんと食い下がる石田に、困ったように、だがきっぱりと内村が応じる。
 そのとき、神尾の背後でがさりと大きな音がして。

「何だよ、この汚い字……。」

 神尾の鞄から勝手にレポート用紙を発掘した伊武が、眉を寄せてつぶやいた。
「わっ!深司!!勝手に何やってんだよ!!」
「何って……お前らの汚い字を読んでやってるだけだろ。ホント、お前ら、救いようがない無様な字を書くよな。」
 ぼそぼそとぼやきながら、伊武はレポート用紙を隣にいた森に手渡した。
「ほら。見ろよ。このありえない汚い字。」

 そこには、お世辞にも丁寧とは言えないが、大きくて勢いのある文字で、こう書かれていた。
 さんかんびぜったいそし!
 ゆっくりと森の目が文字をたどる。
「さんかんびぜったいそし……?……ああ!参観日絶対阻止か。」
「漢字使えよな。」
 森が解読し、桜井が突っ込んで、石田がのんびりと笑った。
「今度の土曜だっけ。参観日。阻止すんの?」

 内村は神尾を見、神尾は内村を見、お互い、困ったように視線を交わしていたが、こうなっては仕方がない、と、意を決した様子でうなずきあった。

「土曜日に参観日やると、土曜に授業がある上に、部活がつぶれるだろ。」
 と神尾。
「関東大会までもうすぐだ。そんなときに……土曜練をつぶされてたまるかよ!」
 内村が吐き捨てるように言う。
「で、参観日をやめてもらうために二人でこっそり作戦を練ってたのか?なんだよ。俺も仲間に入れてくれればいいのに。」
 石田は森の手元からレポート用紙を受け取って視線を落とす。
 レポート用紙にはこうあった。

 学校をばくはするぞってきょーはくじょうをおくる → こうちょうびびる → さんかんび中止! → どようれん!

 ゆっくりと小声で音読して、意味を理解したらしい石田が目を上げる。
「脅迫状……送るのか?」
「お前にゃ、こんなやばいコトできねぇだろ。だから誘わなかったんだよ。」
 目をぱちくりさせている石田に視線を合わせずに、内村が舌打ちするように言った。
「いいか?邪魔すんなよ!チクったりしたら、許さねぇんだからな!」
 石田は目をぱちぱちしながら、桜井を振り返る。しょうがねぇなぁという表情で彼らを見守っていた桜井は、挙手をして。
「ちょっと良いか?」
 と話に割って入った。
「その脅迫状で校長がマジでびびったら、学校立ち入り禁止になるはずだし、危険だから部活禁止で家にいろとか言われるだろうし、どっちみち土曜練なしだと思うんだけど。」
 桜井の言葉に神尾と内村と石田はフリーズする。
 あれ?石田はフリーズしなくてもいいんじゃないかな?
 と、森はにこやかに考えたが。
 そんなトコが石田らしいや。
 と思い直し、やっぱりにこにこしておくことにした。

 そこへ。
 がたり、と椅子を引く音がして、伊武が神尾と内村の間に割り込んで座った。
「脅迫状以外のネタ、考えろ。橘さんと一緒に土曜練やるんだろ。」
 まっすぐに虚空を見据えてぼそぼそと言う。なぜか伊武が乗り気になっている。
「お、おう。」
 神尾は慌ててもう一枚レポート用紙を取り出した。
 時は七月。暑い盛りであった。

「うーん。……じゃあ、学校爆破じゃなくて、参観日を中止しないと大変なコトになるぞってう脅迫状にしたらどうだ?」
「内村……お前の頭は帽子かぶるだけのためについてるのか?あきれたな。全く。そんなコト書いたら、明らかに参観日が嫌な生徒の犯行だってばれるだろ。アキラなみのあほだな。お前。」
 内村の提案は瞬時につぶされる。
 確かに伊武の意見は真っ当である。
「だったらお前も何か考えろよ。深司!」
「アキラもあほだな。というかむしろ内村よりアキラの方が救いがたいな。俺が何か考えついてたら、お前らになんかわざわざ考えろなんて言うわけないだろ。少しくらい頭使えよ。」
 確かに伊武の主張は真っ当ではある。
 しかし、何か違うんじゃないかなぁ、と石田は考えて。
 森がいつも通りにこにこしているので、自分もいつも通りのほほんとしているコトにした。
 悩むのは桜井に任せておこうっと。
 石田はのほほんとそう思った。

「ねぇ、こういうのはどうかな?」
 森が提案する。
「参観日をね、授業参観日じゃなくて部活参観日にしてもらうっていうの。」
 伊武が厳しい視線を森に向ける。
「どうやって?」
「PTAが『授業より部活を見たいです』って学校に言えば、実現するかもしれないな。」
 横から桜井が助け船。
「じゃあ、PTAにそう言わせるにはどうするんだよ。」
 伊武は相変わらず手厳しい。
 そして、自分では全く考える気がない。
 と見せかけて。
 伊武は、ふと、虚空に目を留めた。

「そうか……。」
「何?深司。良いこと考えついた?」

 さらさらと髪を掻き上げながら、伊武はゆっくりと目を上げた。
「まず一つ、確認しておかなくてはならないことがある。杏ちゃんのお母さんは……。」
 全員の顔を見回し、伊武にしては珍しく、言葉を句切りながら。
「橘さんのお母さんでもある。」
 と断言した。
 そりゃ、そうだ。
 とは思ったものの、それはなかなか驚きの真実で。
 そうか。
 橘さんのお母さんが、中二の授業参観に来るかもしれないのか……!
 ムダに動揺する仲間たちの顔を一通り見回した後。
「だけど、それはどうでもいい。」
 伊武は自分で自分の話の腰を折った。

「なんだよ。」
 焦れた様子で神尾が突っかかるが、伊武はそちらに目も向けず。
「必要なのは……PTAに部活の素晴らしさを気付かせるコトだ。そのためにはまず一度、部活を見てもらうのが良い。部活を……というか、橘さんの素晴らしさを。橘さんがいかに立派で、いかに素敵で、いかに偉大であるか、を。」
 あいにく、伊武は大まじめである。
「どうやってPTAに部活を見てもらうんだよ。」
 内村の至極真っ当なツッコミ。
 伊武はキッと鋭く内村を睨み付けた。
 どうやらそこには思い至っていなかったらしい。
 そこで会話が途絶え、沈黙が部室に満ち。
 桜井は額を抑え、森はにこにこして。
 暑いのに、部室の端っこにみんなでぎっしり詰まって、俺たちってホントに仲良しだなぁ、と石田は汗をぬぐいながらのほほんと考えた。


 そこへ。
 がたり、と扉が開く。
「どうした?」
 みんなで机を囲んで、睨んだり、睨まれたり、悩んだり、にこにこしたり、のほほんとしたりしている後輩たちの姿に、橘は戸口で立ち止まる。
「何かあったのか?」
「た、橘さん!」
 見られてはならないところを見られてしまった、とばかりに、口々に敬愛する先輩の名を呼んで、慌てて着替えを始めようとする不動峰の良い子たち。
「何でもないです!」
 首をブンブンと振って必死に平静を装う神尾。その姿にはさすがに軽い違和感を覚えながらも、橘はあえてそれ以上の何かを穿鑿することなく、部活の準備を始めた。

 制服のシャツは、運動する前から汗で濡れている。そんなじっとり暑い初夏の午後。
「そういえば。」
 誰に言うともなく橘が話し始めた。
「今週末、参観日だな。」
 神尾が肩をびくりっと震わせる。
 一瞬、誰も返事するコトなく、沈黙が部室にあふれ。
「はい。」
 伊武が低く応じて、次の言葉を待つ。
 だが、橘は後輩たちの動揺に気付かない様子で、いや、参観日の話などで動揺するなど思いもよらないだろうから、橘を責めるのは酷な話であろうが、ともかくも橘は普段通りの口調で続けた。
「参観日の後は……ここの学校じゃ、普通、部活はやるものなのか?」

 きょとん、とする峰っ子たち。

「去年は……やりませんでしたけど。」
 数秒後、桜井が答えて。
「そうか。他の部活もやってなかったか?」
 桜井を振り返り、橘が訊ねれば。
 記憶の糸をたどるように。
「野球部は……やってたかもしれません。」
 桜井の返事に、伊武と森が頷いた。

「なら、うちもやるか?全国大会も見えてきたしな。」

 神尾が内村を振り返った。
 橘さんにとっては。
 「関東大会までもうすぐ」なのではなくて。
 「全国大会が見えてきた」わけで。
 それは橘さん個人の話ではなく。
 不動峰テニス部の話であって。

「ご両親に部活も見てもらえると良いな。全員、ずいぶん上手くなったからな。」

 ロッカーに頭を突っ込んで、がさごそと何かを探しながら、橘がこともなげに言うので。
 誰も、上手な返事が見つからなくて。

「……。」
 石田は桜井を見、桜井は森を見、森は伊武を見、伊武は内村を見、内村は神尾を見。
 神尾は。
 心から嬉しそうに目を輝かせて。
「参観日、すげぇ楽しみですね!!」
 リズム良く真っ正直にそう言いはなった。

 部活ができないから、授業参観日は大嫌いだ!
 授業参観日、断固阻止!いっそ部活参観日に変えちゃえ!
 そのためには部活のすごさを親に見てもらわなきゃ!
 じゃあ、授業参観日に部活を見てもらおう!
 ああ、授業参観日、楽しみだなぁ!!
 ってか、もう、俺、授業参観日、大好き!

 神尾の論理展開には、一点の疑義もない。
 全くもって一点の瑕疵もない。
 神尾にしては珍しく、筋の通った議論である。

 その日、不動峰の部室に走った衝撃は。
 あっという間に、衝撃でも何でもない過去の遺物となったわけだが。
「何だ?この紙は?」
「わっ!わっ!橘さん!!見ないでください!!」

 さんかんび → あんちゃんのおかあさん → たちばなさんのおかあさん → たちばなさん → すてき → PTA

 神尾の大きな文字でそう書かれた紙を、見てしまった橘。
 しかし。
「何でもないです!!」
 横から内村がフォローに入り。
「気にしない方が良いですよ。橘さん。あんな紙きれなんか。」
 なぜか伊武までもが神尾をかばうので。
「……??」
 それ以上、穿鑿できないままに、五分後にはそんな紙の存在自体、橘は忘れてしまうのであるが。
 まぁ、それはそれ。
 不動峰中学は、脅迫状を送りつけられることもなく、平和な参観日を迎えるのであった。







☆☆15万ヒット記念☆ぷち企画☆☆
   <今回のいただき冒頭文>
その日、不動峰の部室に衝撃が走った。

どうもありがとうございました!




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