参観日〜青学篇。




 これはとある月曜日のできごと。
 朝礼開始の本鈴が鳴る三十秒前、菊丸は不二とともに教室に駆け込んだ。
「うわ。間に合った……!」
「手塚も大石も気合い入るのは分かるけど、朝練長引きすぎだね。」
 ふぅっと息をついて着席すれば、ざわざわした教室に鳴り響くチャイム。
「起立!」
 日直の声に、二人は今座ったばかりの席から立ち上がった。

「朝礼終了〜!」
 椅子の背にもたれて足をぷらぷらさせる菊丸に。
「今週の土曜練、何やるか知ってる?」
 不二が小さく首をかしげて尋ねる。
「土曜練?知らないけど……どして?」
 陽差しはもうすっかり夏。半袖の制服でも朝から暑いくらいで。
「うん。今週は休もうかと思ってるんだ。」
「え?!なんで?!もうすぐ都大会じゃん!!」
 びっくりしたように椅子から跳ね起きる菊丸。その菊丸に少し驚いたように不二はくすりと笑って。
「……土曜日ね、裕太の参観日なんだけど、父さんも母さんも姉さんも忙しくて行かれないみたいだから……。」
 そう言って、不二にしては珍しく照れたように笑った。

「……裕太の参観日に……不二が行くの??」
「そう。だってみんな家族が来てるのに、裕太だけ家族がいないと可哀想だろ?ルドルフは日本各地から生徒が集まっているから、参観日は親御さんたち、相当気合い入れて来るらしいんだ。だからボクだけでも行こうかなって。」
「で……裕太が……来て良いって?」
「ううん。兄貴だけは絶対来るなって言われた。裕太ってば照れ屋だからね。」

 にっこりと微笑む不二の姿に、椅子ごと二歩ほど後ずさって、菊丸は考えた。
 ここは裕太のために、俺が頑張らなきゃいけないところなんじゃないだろうか、と。
 都大会に向けての練習を不二がさぼるかさぼらないかなど、あまり問題ではない。休む必要があるなら休めばいい。
 だが、裕太のためを考えれば、これは大問題だ。
 いや、ルドルフの平和も、俺の双肩に掛かっているのかもしれない。
 むしろ、全世界の未来が俺に委ねられていると言っても過言ではない。
 ああ!菊丸英二、優しい俺は♪ 行け!裕太の夢守るため♪

 その瞬間、菊丸の脳内には、あんパンのような正義の心が湧き起こった。もう、友達があいちゃんとゆうきちゃんだけでも構わないくらいの勢いだった。
 ってか、そうしたら亜久津の母ちゃんも友達じゃん?!

「いやさ……保護者の参観日に、兄弟とか来たら恥ずかしいと思わない?」
「そう?」
 教室のざわめきの中、不二は心底理解できない、という様子で尋ね返す。
「だってこの前の参観日、海堂んちは家族全員来てたじゃない?お母さんとお父さんと葉末くんと。」
「……だから海堂、むちゃくちゃ恥ずかしがってただろ……?」
「あれは照れてただけだよ。」
 不二はにこにこと笑っている。

「ボクだったら嬉しいけどな。父さん、母さん、姉さん、裕太、家族全員が参観日に来てくれたりしたら……張り切ってサービスしちゃうよ?(開眼)」
 授業参観のサービスってなんだよう……!
 と菊丸は怯えた。そして、不二家の人々が忙しい人たちで良かった、と心から思った。ホント、助かった!命拾いした……!

「英二は?嬉しくないの?」
「俺?!絶対、絶対やだ!!兄ちゃんたちと姉ちゃんたちが参観日来るとか言いだしたら、俺、登校拒否する!!そんな保護者に参観されまくるのはイヤ!!」
 ふるふる!!と首を激しく振りながら、菊丸は断固といった様子で言い張る。
「そんなんされたら、絶対、絶対、学校来ないかんな!俺!!」
 その菊丸の態度に、不二はやはり納得いかない様子で。
「そう?」
 と一言だけ返すと、一時間目の準備を始めた。
 あ、そだそだ。授業の準備!っと。菊丸はやり終わってなかった宿題を思い出して、ちょっぴり焦ってみたりもしたものの。
 世界の未来のために、俺、頑張るもんね!
 と心に誓ったのであった。


 だが。
 菊丸は打つ手を見いだせないまま、放課後を迎えた。
 何とかして不二を止めなくてはいけない。
 そう思いつつ、準備体操をするメンバーを眺める。誰か不二を止めてくれそうな人、いないかな。あの……食パンとかカレーパンみたいな正義の心を持った人とか……。

 靴ひもを結んでいる桃城が視界に入った。
 桃は……。
 桃はダメだな!こいつ、妹とか弟が参観日に来たら、喜んで手を振ったりしそうだ。
 ってか、張り切るタイプだな!
 ダメ。ダメ。こいつは不二を煽りかねない!!

 その横を無表情のまま海堂が通りすぎる。
 ……海堂は止めてくれるかもしれないけど……あの家族参観の古傷をえぐるようなコトをするのは可哀想だ……!!
 ダメだな。海堂にも頼めない……!!

 海堂を呼び止めて声を掛ける乾。そしてその横に手塚。
 あー。うー。
 乾も手塚も一人っ子だからな〜。使えない。うん。使えない。
 兄弟のいる辛さなんか、こいつらには分からない。
 ダメダメ。他を当たろう。

 大石がグラウンドに姿を見せ、手塚と何か話し始める。
 ……大石は……優しいけどなぁ。なんか違うんだよなぁ。
 こいつも妹の授業参観とか、普通に行っちゃいそうだからなぁ……!
 で、すっげぇ自然に他の保護者と談笑したりして。
 んで、「大石さんちはお母さんが二人いるみたいで良いわね〜!」とか他の保護者に言われて。
 きっと、帰ってきてから微妙に凹むんだ。なんて可哀想な大石……!!
 じゃなくて!!
 ダメだ。大石も俺の味方じゃない。

 そのとき。
「遅れました。」
 低く無愛想に呟いて、越前が姿を見せる。
 おちびは……一人っ子だけど、従姉と一緒に住んでるから、姉ちゃんの怖さを知っているはずだよな!
 ……おちびはきっと参観日に姉ちゃんが来たらイヤだと思うに違いない。
 うん!そうだ!おちびはたぶん父ちゃんが来たってイヤがるはず!
 おちびに援軍を頼もう!そうだ!そうしよう!!

 菊丸は越前に向かって猛然とダッシュしようとして、はた、と気付く。

 でも。
 あいつ、カルピンの授業参観があったら、絶対行くよな?
 土曜練どころか、全国大会の決勝の日でも、部活さぼって絶対参観日に行くよな?!
「だってカルピンが可哀想じゃないっすか!!」
 とか、柄にもなく涙目になって主張するよな?!
 そうだ!あいつはそういうヤツだ!
 ダメだ〜。おちびも使えない……!!

 夏の陽差し降り注ぐグラウンドの隅で、菊丸は一人、くるくる回ったり、いきなりジャンプしたり、激しくいろいろ悩んでいたが。
「英二……?あの……大丈夫?どうかしたの?」
 ついに耐えられなくなった河村が声を掛ける。
「ん?何が?」
 そう応えて振り返りながら、菊丸は気付く。
 タカさんだったら助けてくれるかもしれない、と。

「あのね、タカさん!不二がね!!」

 河村は「うんうん」と何度も頷きながら、菊丸の話を聞いてくれた。そこへ。
「どうしたの?」
 不二が通りがかる。
「いや、不二が土曜日に裕太の参観日に行くって話。やっぱり不二は優しいね。」
 河村の言葉に、不二は少し困ったように笑った。

「うちもね、店やってるから、オヤジもお袋も参観日とか来られないコト多くてさ。確かに寂しいんだけどさ。妹の参観日とか、俺が行かれたら行っても良いんだけど。」
 頬をぽりぽりとかきながら、河村が訥々と言う。
「俺が代わりに行くとさ……俺もちょっと照れくさいし、参観日に行ってやれないオヤジとお袋が何か肩身狭いんじゃないかな、とか思っちゃうんだよね。俺。……あはは。これじゃ言い訳みたいだ。」

 菊丸は思った。
 食パンな正義の人はここにいた……!と。

「そっか。裕太も母さんたちのために来るなって言ってたのかな。」
 不二はにこにこしたまま、静かに呟いて。
「ありがと。タカさん。英二。」

 菊丸は思った。
 裕太の夢と、ルドルフの平和と、全世界の未来は守られた!と。
 お疲れ!あんパン!お疲れ!食パン!

 そのとき、「集合!」と手塚の凛とした声が響いた。
「英二!」
 大石が呼ぶ。
「うわ!何するんすか!英二先輩!」
 じゃれつかれて応戦する桃城。
「英二ってばどうしたんだろ。今日ははしゃぎすぎだね。」
 河村がおっとりと笑う。

「英二は、いつだって保護者に参観されまくりなのにね。」

 笑いながら、不二が小さく呟いた言葉は、河村にも聞こえずに消えて。
 初夏の風に若草が薫る。
「久し振りに……白鯨の練習でもしておこうかな。」
 不二の二度目の独り言もまた、風の中に消えていった。






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